作品タイトル不明
招かれざる客
リリーが商会へ身を寄せて一ヶ月が経った。その間彼女は日々刺繍をしつつキリアンと離婚に向けた打ち合わせを続け、先日とうとう勝利をもぎ取ることに成功した。
その結果にミラベルも胸を撫で下ろしたのだが、揉める相手というのはやはり何事も一筋縄にいかないもので、ある日突然招かれざる客がやってくる。
「ミラベルさん、大変です!」
その日商会の会議室でルドヴィックから送られてきたリストを確認していたミラベルは商会員の声に顔を上げた。
常日頃は慌てることのない商会員の焦ったような様子に嫌な予感がする。
「どうしたの?」
「あの、リリーさんと離婚した伯爵様が突然やってきて……」
「え⁉︎」
離婚が成立したとはいえリリーの身の安全のためにもしばらくの間彼女は寮から出ないようにしていた。相手の元夫と主にやりとりをしたのはキリアンだったし、リリーとは離婚書類に署名をする時に顔を合わせたくらいのはず。
すべての手続きはキリアンの事務所で行い、リリーの居所がわからないように徹底していた。
(なぜここがわかったのかしら?)
そうは思うものの今はそのことを気にしている場合ではない。
領都の目抜き通りに店を構えるこの店舗の従業員は、基本的に貴族家出身の者たちだ。しかし下位貴族の者が多く相手が伯爵だと強く出ることができないだろう。
アルバートを除けば離婚して身分が伯爵家へと戻ったミラベルが家格としては一番高い。それでも相手は年上の男性で当主ともなると分が悪かった。
「アルバートにも報告を」
折り悪くアルバートは商会長室で仕入れ関係の打ち合わせをしているところだ。そのせいもあって商会員は彼に知らせる前にミラベルへと助けを求めてきたのだろう。
それにリリーの件がミラベルの担当ということもある。
(元々暴力的な面のある人だと聞いているわ。暴れられたら厄介ね)
そう思いながら階下に降りると、警備員に制止されながらも奥にやってくる男の姿が見えた。
(警備員も下手に手を出して怪我をさせるわけにはいかないものね)
男は元々は整えられていたであろう髪を振り乱し、服装からもどことなく荒んだ雰囲気が感じられた。目は血走り顎にはうっすらと無精髭が生えている。
「お前か! お前がリリーを唆したのか!」
ミラベルの前までやって来た男が指を指しながら忌々しげに言った。
「お客様、いったい何事でしょう。ここでは他の方の迷惑になりますわ。一先ず応接室の方へご案内させていただいても?」
相手をこれ以上興奮させないためにもミラベルはなるべく冷静に声をかける。今はたまたま客が少ないが、このままでは他の客にも影響が出かねなかった。それにこういったトラブルは商会としては評判に傷がつくものだ。
「俺が何も知らないとでも思っているのか?」
男がミラベルを睨みつけながらさらに言い募る。
「自分が離婚された傷物だから他にも仲間を作ろうとしているんだろう! リリーを使って俺から金を巻き上げて、お前はいったいいくら儲けたんだろうなぁ?」
男はわざとミラベルを貶めるような言い方をしているのだろう。もしくはそれだけ品位のない者なのかもしれない。しかしそうとわかっていたとしても、ミラベルは自分の心臓が嫌な感じにギュッと縮むのを感じる。
「あなたが離婚に至ったのはご自身のせいでは?」
ここで言い返さない方が良いというのはわかっていた。今の状態ならそれこそ伯爵に対して名誉毀損だと訴えることも可能だろう。
しかしミラベルは『離婚された傷物』という言葉が我慢できなかった。離婚は双方の理由によるものだ。そして貴族社会においてはたいていの場合夫に原因があって妻が泣き寝入ることが多い。ミラベルの場合も原因はリカルドにあった。
(それに、なぜ傷物などと言われなければならないの?)
男はたとえ離婚したとしても『傷物』などとは言われないのに。女の価値が純潔で男に従順であることしか認められないことに憤りさえ感じた。
それに、リリーの場合は圧倒的に伯爵の方に非がある。
「なんだと⁉︎」
ミラベルの言葉が伯爵のさらなる怒りを呼んだのだろう。ハッと気づいた時には振り上げられた拳が向かってくるのが見えた。
殴られる!
そう思い咄嗟に目をつぶった瞬間、ミラベルの体がグイッと後ろに引かれて温かくも硬い物にぶつかった。
バチン! と何かと何かが激しく当たる音がしたがミラベルの体に痛いところはない。
「……え?」
詰めていた息を吐きながら、ミラベルは恐る恐る目を開く。
「いい年をしてやんちゃはいけませんよ、伯爵」
見上げた位置に人を食ったような顔をしたアルバートが見えた。
(なぜアルバートの顔がこんな位置に見えるのかしら?)
そう思いながら視線を動かせば振り下ろされた伯爵の拳をアルバートの手が受け止めているのが視界に入る。さらには伯爵がしきりと腕を動かしてアルバートの手の中から自身の手を抜こうとしているものの、握りしめる力が強いのかまったく抜け出せずにいるのもわかった。
「ここは人を殴る場所ではなく商品を選ぶ場所ですからね。お客様は綺麗な物を見に来ているのであって、伯爵のような醜悪なものなど見たくもないでしょう」
歌うようにそう言いながらアルバートは伯爵の拳を引くと手首を掴み直し、さらには伯爵の身柄をすぐ近くにいた警備員の方へと押しやった。
「上へ連れて行け」
警備員へと命令し、アルバートはそこで初めて腕の中にいるミラベルを見る。
「肝が冷えたぞ。頼むから、お転婆もほどほどにしてくれ」
そう言ってミラベルをギュッと抱きしめる。
(温かい……)
アルバートの温もりを感じて緊張で固まっていたミラベルの体から余計な力が抜けた。それと同時に、自分がアルバートの腕の中にスッポリと包まれていることに気がつく。
(さっきぶつかった温かくて硬いものって、アルバートの胸だったんだわ!)
思わぬ状況にミラベルの頬に一気に血が昇ってくる。今自分の顔は真っ赤になっているだろう。
「伯爵のことは任せておけ」
「でも、私の担当している案件だわ」
耳元に響くアルバートの声に混乱しながらミラベルは答えた。
「最終的に責任を持つのが商会長の仕事だからな。手に負えないことは任せておけばいい。何事も適材適所だ」
今まであまり意識したことはなかったが、アルバートの低い声にミラベルの鼓動が速まった。
(きっと伯爵から助けてもらった驚きがまだ残っているのよ)
そう無理やり自分に思い込ませながら、未だ半分混乱したままのミラベルは了解の返事をアルバートに返したのだった。