作品タイトル不明
235 森の中での共同生活
「おはようございます、ノール先生」
「ああ。今日も早いな、リーン」
俺がララの棲家に居候し始めて、あっという間に一ヶ月が経った。
もう一人の同居人となるリーンは朝早くから目覚めて活動していたらしく、ララが見守る前で集めた枯れ木で火を焚き、いつものように朝食の準備をしている様子だった。
「ここの生活にもだいぶ、慣れた感じだな?」
「はい。最初は少しだけ不安もありましたが……こうして住んでみると、とても快適に過ごせますね」
「まあ…………あれだけちゃんとした家を建てれば、な?」
辺りには建物はおろか雨風凌げる場所すらなかったが、今ではちゃんとした家と呼んでもよさそうな小屋が一つ建っている。
あれはリーンの『家』だ。
リーンはここに住むことを決めた当日に、周辺の森から巨木を数本刈り取ってくると風の魔法で綺麗に製材し、あっという間に小ぶりではあるものの立派な木造の山小屋を建ててしまった。
ついでに俺の分もどうかと聞かれたが、どうせ二ヶ月ほどでいなくなるのだし、俺一人であればずっと屋外でも問題ない。なのでその辺で木陰で適当に寝るし小屋はいらない、と断ったが、その後もリーンの小屋の完成度は目にする度に上がっていき、気づけば窓にはキッチリと綺麗なガラスを嵌め込まれ、装飾まで作り込まれたドアにはおしゃれなドアベルが取り付けられていた。一度、中を見せてもらった時には玄関ドアの向こうに色鮮やかなマットが敷いてあってあちこちの棚には調度品が整っていたり、花瓶に花が生けてあったりと、俺が前に住んでいた格安の宿よりずっと居心地が良さそうな空間だった。
最初は食事も都合によりメインの献立は魚料理ばかりで、せいぜい焚き火で焼き魚程度のものだったが、数日に一度ぐらいの間隔でリーンが定期的に王都の市場に出て色々な食材を買い揃えてきてくれるおかげで、日に日に屋外の食卓に並ぶ料理のバリーエーションが豊かになっていく。というか、リーンが建てた小屋の中には簡易的ではあるがちゃんとしたキッチンが設置してあり、調味料などは俺が王都に住んでいた時よりも揃っているのでやろうと思えばかなり手の込んだ料理も作れる様子だった。
おかげで人里から離れているというのに、俺は食事には何一つ不自由もしないばかりか、正直、王都に住んでいた時よりずっといいものを食べている。
そればかりかリーンは自分の住処の建設が終わると「ついでだから」といつの間にか俺の衣類も洗濯してくれるようになり、自分の山小屋の周りばかりでなく俺の寝床の周りまで落ち葉一枚残さぬように念入りに掃除してくれる上、薪や枯れ木の小枝などの各種燃料も整理整頓して使いやすいような場所に常に準備してくれていたりと、俺は結局、ここでの生活に関しては何もすることがなくなっている。
おかげで『魔竜の森』での暮らしは快適そのものだった。
リーンがそこにいる、というだけで日々俺の住環境が整っていく。
もちろんそれはそれでありがたいことだが、もはや俺が当初抱いていた気楽な 野営(キャンプ) のイメージとはかけ離れたものになっている。
「ノール先生。本日も、いつものから始めてよろしいでしょうか?」
「ああ。でも流石にもう飽きたんじゃないか……?」
「いえ、全く。毎日が新しいことの発見ばかりで本当に勉強になります」
「………………本当に…………???」
俺はいつものように少々疑わしい目をリーンに向けつつ、まずは自分の指先に集中する。
「じゃあ、始めるか」
「はい」
「「【プチファイア】」」
夜明け前の森の清々しい空気と共に二人並んでの【プチファイア】の詠唱が始まる。
俺が自分の作業に気を向けつつチラリと横を見ると、目を閉じて集中しているリーンの横顔が見える。
もう、彼女は俺が教えたようなことは当然のようにマスターしており、【プチファイア】の微妙な魔力操作にもだいぶ慣れた様子だった。
初日こそ、俺独自の練習のやり方に戸惑っていた様子だったが、翌日にはキッチリとコツを掴み、そのまた次の日にはさらなる飛躍的な上達を見せ、今では見た感じ俺よりもずっと上手くなっている。
それから朝日が登り始めるまで二人で集中を続け、ララのあくびの音で同時にふう、と息を吐く。
「まあ、【プチファイア】はこんなものか」
「はい。では、ララ。今日もまた、よろしくお願いしますね!」
『グァオ!!』
「……今日こそ一勝も譲らない、と言っている感じだな……?」
「はい。望むところです」
俺たちは軽く朝食を済ませると、ララが歩き回っても問題のない開けた場所に移動し、リーンは早速、鼻息荒く待ち構えるララの身体にがっしりと両手を添えた。
「じゃあ、行きますね……【身体強化】」
『グァ!』
リーンの【プチファイア】の成長は凄まじい。
が、【身体強化】を使ったララとの押し相撲の方がすごかった。
当初はララの巨体を見上げ「こんなの絶対に無理に決まっている」とでも言わんばかりの真っ青な顔をしていたリーンだったが、案の定、やり始めてさえしまえばあっという間に上達した。
力の押し合いだけに気を取られず、相手の力をほんの少しずらしてやったりするだけでいいのだと気づいたその瞬間、楽々と 相手(ララ) を地面に転がし、自分で自分のしたことに驚いている様子だった。
ララはリーンに地面に転がされる度に悔しがり、また一回、二回、三回……と繰り返し勝負を挑み続け、日が暮れる頃には二人(一人と一竜)はだいぶ疲れ果てていた様子だった。その後、リーンが何かの魔法で癒してあげると気持ちよさそうに唸り声をあげ、その時には少し仲良くなっていた。
単純に腕力の成長速度も半端ではないらしく、つい昨日などララの巨体を片手で真正面から押し込んだ、と嬉々として俺に報告してきた。
もちろんすごいが、この子は一体、この調子でどこまで行こうとしているのだろう……? と俺が期待と不安が入り混じった視線を向けていると、たちまち不動に見えたララの巨体がぐらり、と大きく揺れる。
「……えいっ!」
『────グァオゥ!?』
次の瞬間、ララは頭から綺麗な水を湛えた湖に突っ込んでいた。
悲鳴のようなか細い唸り声と共に、ララの巨体を飲み込んだ湖に巨大な水飛沫が上がり、かわいそうな魚や周囲の木々の鳥たちが驚き逃げ惑う。
「これで通算390勝、389敗。やっと、私の勝ち越しですね!」
そう言って、リーンは湖の中に倒れ込んだララに笑う。
日々こういう光景を見るたび……この子、やっぱり俺に教わることなどないのでは?
と、思わずにはいられないが特に最近、【投石】の訓練でそう感じている。
こちらも当初こそ「こんな離れ業、自分にはできっこない!」といういかにも不安げな表情だったのに、今では朝のちょっとした食材の買い出しの前にそこらへんで拾った石を適当に放り投げ、お昼、王都の市場からの帰り際にきっちり必要な食材となる数の魚を揃え、鼻歌混じりに野営場所に戻ってきている。
────聞けば、精度は百発百中だという。
あまりにも短期間の出来事に俺のこれまでの努力はなんだったのだろう、と思わず疑問を抱かずにはいられないが、もちろん、こうなるのはやる前からわかっていた。彼女はあの恵まれすぎた才能の割に、どういうわけか自分に自信がない。なので、彼女が自分の力にほんの少し気づけて自信をつけただけでも、俺が彼女に関わった役割はあるのだろう。たぶん。
「じゃあ、次だな。これもララと一緒にやるか」
「はい────では、ララ。よろしくお願いしますね」
『グァオゥ!』
そうして俺たちは一息つくと、二人並んで地面に寝そべったララのお腹に手を当てて、例のスキルを発動する。
「「【しのびあし】」」
するとララの巨体ごと、俺たちが消える。
というか……これは正確には単に周囲に気づかれなくなっているだけらしいのだが。先ほどまで恐怖に逃げ惑っていた鳥や臆病な小動物たちが自分を脅かす者がすっかりいなくなったのだと勘違いし、バラバラと戻ってくるのが見える。
それも俺たちがそこにいることに全く気づかないせいで、気にせず人の頭や肩の上に乗ってきたり、そうとは知らずララの牙の上でご機嫌に囀り、巣作りを始めようとする鳥のカップルさえいる。うまく誘導すれば手のひらの上にもちゃんと乗ってきてくれたりもするので、普段は見れない鳥や動物たちの様子をこっそり間近から観察するのが楽しい。日々の森の生活を彩る、憩いのひと時だ。
とはいえ────
実は俺が今、一番怖い思いをしているのもまた、この【しのびあし】だったりする。
リーンは俺に用事がある際、何故かいついかなる時も背後の死角から急に声をかけてきがちだが、この【しのびあし】の練習を一緒に始めてからというもの、その気配がスッと消えたのだ。
おかげで……夜中、何もない場所から急に声がする。
聞けば日々の修練のためにと彼女は普段から特に支障がない限り【しのびあし】の状態で生活するようにしたそうだが、何も知らずに声をかけられると思わず幽霊かと思ってびっくりする。
もちろん、レイと比べてしまえばまだ進展の余地はあるのだろうとは思うが……スキルを使っている時のリーンはすでに普段のレイほどには存在感が薄くなっている。なので、もうこれで十分じゃないのか、と本人に伝えると「いえ、私などまだまだです」と言って嬉しそうにしつつ、さらに張り切り出してしまった。
そんなわけで、俺はここまでずっと彼女の急な背後からの声掛けに怯える日々を過ごしている。おそらく、これからの一ヶ月もこのままの状態か……放っておけばより、悪化するのだろう。元はといえば俺が彼女に教えたことが招いた事態ではあるし、やる気になっている本人の邪魔もできないが……できれば、あの状態で真夜中の暗闇に紛れて背後から声をかけるのだけはやめてほしいと思う。切実に。
「ララ。今日もお疲れ様でした」
『グァ!』
そんなこんなで、今日一日のやるべきことが一通り終わる。
ララも毎日のように付き合ってくれているので、二人で生活するというより、二人と一頭で一緒に住んでいるような感覚だった。
おかげで変わり映えのないことを続けているというのに、毎日が楽しい。
最初はリーンに一緒にいたいと言われて、少し困ったものの、今は来てくれて本当によかったと思っている。俺は別に一人は苦にならないが、やはり話し相手がいてくれるのはいい。
『グオ。グァ? グゥ』
「えっ? はい……わかりました。明日はライアスさんにララ好みのレシピを聞いておきますね」
『グォ!』
リーンはだんだんとララの言葉もわかるようになってきているようだった。俺もなんとなく仕草や声色・雰囲気でこう考えているんじゃないか、という大雑把な推測はできていたが、リーンはそういう気分や感情などだけでなく、ちゃんとあの唸り声を『言葉』として理解できるのだそうだ。
なので、リーンがいる時はララの機嫌はリーンに聞いた方が早いし、意思疎通も格段に楽になった。二人はよく深夜まで会話していて、思ったよりずっと仲良くなっている。
そんなわけでリーンはこの一ヶ月の俺たちとの生活の中、彼女を知っているつもりだった俺でさえ驚くような成長ぶりを見せた。
俺がただ呆然と眺めているうちに勝手に成長していった、というの本当だと思うが。
一応、俺も彼女に求められるまま教えられることは教えたつもりだが、どれもリーンは見せた瞬間にコツを掴んでしまい、あとは自分の力で俺よりもずっと上手くなっていった。
そもそも彼女は俺に何かを教わることなんてないはずで、むしろこっちが色々と教えて欲しいぐらいだったが……一つ言えるのはリーンはここに来て少し表情が明るくなった、ということだ。ここの生活は非常に単調だが、それがかえって彼女にとってのびのびと過ごせる時間になり気晴らしになっているのかもしれない。彼女にとって、俺と一緒にいることが本当に勉強になっているかは不明だが……まあ、ひとまず目に見えて元気にはなっているので、これでよかったのかもしれないと思う。
「ノール先生」
「ん?」
「早いもので……ここにお世話になり始めて、もう一ヶ月ですね」
「ああ。そうだな」
「逆に言うと…… 王都(ここ) に居られるのもあと一ヶ月、ということになるんですね」
リーンはそう言って俺たちの拠点から夕暮れ色に染まる王都を見下ろした。
「正直、俺はずっとここでのんびりしていたい気分だ。思ったより楽しいし」
「はい。私もそう思います……あの、ノール先生」
「なんだ?」
「本当に今更なのですが、私がここにいることが先生のお邪魔にはなっていないでしょうか? 先生が本来、するべきことが私がいることでもし、できていなかったのだとしたら……」
「いや。最初にも言ったがリーンがいようといまいと、俺がやることは何も変わらない。それに俺としてはリーンにいてくれた方が非常に助かることが多いというか、特に料理なんかはすごく助かっている。自分でやると、絶対にあんなバリエーションは出せないからな」
「……そうですか。本当にそうであれば嬉しいのですが」
「その代わり、俺がリーンの為になることができているかは全然、わからない。正直、飽きてないか?」
「い、いえっ!? と、とんでもありません! 私がさまざまな分野でここまで成長できたのは全てノール先生の適切なご指導の賜物です!」
「……………………本当に……………………?」
「も、もちろんです!」
「なんにせよ、俺はリーンがいてくれてよかったと思っている。練習は一人でもできるが二人いると何かと都合が良かったりするし。こうして話し相手がいるのもいいな」
「そう言っていただけると少し、安心します。で、あれば……なのですが」
リーンは言い出しにくそうに俺の顔色を窺った。
その表情で俺はリーンが何を言いたいのかを察した。
「非常に図々しいことを申し上げるようで大変に恐縮なのですが、その……」
「そうか。やっぱり退屈してたんだな」
「いっ、いえ!? そ、そんなことは……!?」
「わかってる。俺が教えたことなんて初日ぐらいから全部できてしまっているし、あれで飽きないはずがない」
「い、いえ! 今に何一つ、不満があるわけではありません。で、でも……」
「大丈夫、俺もそろそろ同じことばかりで飽きてきたんだ。とはいえ……本当にあれ以上に俺から教えることがないんだよな?」
少し暗くなり始めた森の中で、リーンは焚き火に照らされつつ申し訳なさそうに俯いた。
「……本当に図々しいことを申し上げているのはわかっているのですが。でもせっかく、ノール先生から直接ご指導をいただけるという貴重な機会をいただけたのですし、残りの一ヶ月はもし先生さえよろしければもっと厳しいご指導をいただければ、と。その覚悟はあるつもりですので」
「厳しい、か?」
「もちろん、先生のお邪魔にならない範囲で。どんな些細なことでも大変なことでも構いません」
リーンはそう言って再び、俺の顔色をじっと窺う。
でもその表情は一月前の切羽詰まっていた時とはまるで違い、どこかイキイキしており、今の状況を楽しんでいるようにも見える。
「そうだな。もう俺に教えられることはなんにもないが────ここに3人いるなら、たとえば、こんなのはどうだ?」
静かな森の中で、完全に日が沈む。
俺はひとまず指先に【プチファイア】を灯し、自分が考えたアイデアを同居人たちに話してみることにした。