作品タイトル不明
234 任務継続
「……レイ、そこにいるな?」
「カルー様? はい。私はここにおります」
レイは再建された尖塔の頂上から王都の旧市街地を俯瞰して眺め、哨戒任務に当たっていた。
ノール護衛の任務はエルフの襲撃以来、一時停止となり、元の『隠密兵団』としての通常業務に戻っていたレイの元に、上司である【隠聖】カルーが影のように現れた。レイはおそらくは自分の姿までは認識しないまま静かに隣で佇んでいるカルーに念の為、探るように声をかける。
「カルー様。私の声は……聞こえておりますか?」
「ああ。辛うじてだが、わかる。そのままでいい。お前に話がある。聞いてくれ」
「はい」
「知っての通り、先日、周辺三国の首脳を招き王都で重要な会議が行われた。その結果、『エルフ』の討伐隊が組織されることになった。その人員は我が国からも出すことになっている」
「……お話は、聞き及んでおります」
「まず、その概要を伝える。現時点で遠征のメンバーに決定しているのは中心人物である冒険者ノール。そして、ロロ。それと未確定ではあるがセインからの推薦者が一名と、ミスラ教国からの人員一名。予定されているのは以上となる」
「……その四人だけ、ということでしょうか?」
「ああ、現状はな。今後、多少の増減はあると思うが、想定しうる状況を考えるとどうしても少数精鋭にならざるを得ない。基本はその程度だと思って欲しい」
「……わかりました。ということは、私へのお話とは?」
「そうだ。知っての通り、ノールは今やクレイス王国きっての要人だ。しかしながら、あいつを『守る』ことのできる人物はそう多くはない。故に……我々としてはお前に引き続き、ノールの『護衛』任務の継続を頼みたいと思っている」
「それは……つまり。私もノール様と共に旅立つ、と?」
「ああ。ただ先に言っておくが……これは命令ではない。お前の意思次第では断っても良い。参加はあくまでも任意となる」
「任意、ですか」
「ああ。行けばもう二度と王都に 戻れない(・・・・) 可能性が高い。もっと率直に言えば……基本的に 死に行く(・・・・) と思って間違いない任務だ。そもそもの行き先が前人未到の僻地。強制されたところで逃げ出す方が理に適っている、という話だ。故に、何よりも重要なのが当人の意思となる」
レイはしばらく無言で俯くと、静かに口を動かした。
「……カルー様。よろしければ幾つか質問をしてもよろしいでしょうか?」
「ああ。俺に答えられることなら全て答える」
「私には二人の家族がおります。父と母です。ただ、私が家を黙って出てからは一度も連絡を取っておらず、会いに行ったこともありません。疎遠となってはおりますが、もし、私がいなくなった場合……仮に死亡したり、行方不明になったりした場合は私がこれまで貯めたお給料を全て、両親に渡していただくことは可能でしょうか?」
「原則として任務中に殉職となれば団員の家族には王宮から遺族年金が支払われる。無論、希望があればそのようにしよう。だが……悪いが、今回の任務失敗に伴う国家存続の保証がそもそもない。故に確率は半々、いや、実際はもっと悪いだろうが……クレイス王国が存在する限りは最大限に努力する、という程度の答え方しかできない。それでいいか?」
「大丈夫です。ありがとうございます。では次に……もう一点、確認させていただきたいのですが。私がその任務の上で、最も重視すべきこととはなんでしょう? 先ほどノール様の護衛として同行を求める、とおっしゃいましたが」
「まず、何よりも優先すべきはノールの生命の保護となる。次いで、周囲の重要人物の保護となるだろう。希くば、誰も失いたくないところだが」
「では、私は誰よりもノール様を優先してお守りする必要がある、ということですね」
「そうだ。故に遠征中、お前は護衛対象のノールと常に行動を共にし、片時も離れないことが求められる」
「……………………わかりました」
「それと……現在『魔導具研究所』のメリジェーヌ主導で建造されている『シェルター船』には乗れる人数が限られ、必然的に参加者は非常に長い時間を狭い密室で過ごすことになる。その点も併せて理解した上で判断してほしい」
「……長い時間、狭い密室で、ですか」
「概要は以上だ。どうだ、受けてもらえるか?」
カルーの端的な問いに対し、レイは王都の街へと視線を落としてしばらく沈黙した。
「────少し、考える時間をいただけますか」
「結論はすぐにでなくともいい。だが、悪いがそれほど悠長に悩むほどの時間もない」
「お返事は一両日中にはできると思います」
「それぐらいで決断してもらえるとこちらも助かる。それと……今日の哨戒任務はもういい。俺がこの場を引き継いでおく。今の話を考えることに時間を費やしてくれ」
「ありがとうございます。では、よろしくお願い致します」
レイは上司であるカルーにその場を託し、尖塔をからふわり、と飛び降りた。
そうして直ぐに自宅へと向かう。
王都の旧市街地の狭い路地をいくつも抜けると、その外観の古さにしてはよく手入れのされた風の、しかし少し年季の入った雰囲気のレンガ造のアパートが見えてくる。階段を静かに登り、王都を訪れた頃からずっと親しんだ古びた木製のドアを開けて玄関に入ると、本がぎっしりと詰まった大きな本棚が見える。
この古いレンガ造のアパートは今まで誰にも知られたことのない、レイの隠れ家だった。昔から『隠密兵団』が所有している建物で、レイは浮浪者同然の生活をしていたところを王都の酒場でカルーに発見されて以来、タダ同然で住まわせてもらっている。
近隣の住民からすればこのアパートの住人の姿を誰一人見たことがなく、時折、夜に灯りが灯るだけで無人同然だと思われているが、道に面する花壇が常に綺麗に整えられているため、印象は悪くないという。
レイが住むこのアパートの2階の部屋はドアを開けて玄関から入るとすぐに巨大な本棚が壁一面に備え付けてあり、それは以前の入居者が趣味で設置したものだというが、レイはカルーに案内されてすぐにこの部屋のことが気に入った。
一人で暮らすには少し広い家だったが、全ての部屋が壁一面の本棚で覆われており、そこがレイには魅力的に思えた。
レイは昔から本を読むのが何よりも好きだった。
というより……レイの人生には本以外の対話相手がいなかった、という方が正しい。
故に正式に王都の『隠密兵団』に所属することが決まってからも、レイは自ら希望してこの少し古ぼけすぎた感のある建物に住み続け、また実力を認められて『副団長』に任命され、より良い給料を得られることになってからもずっと、他に移ろうとはしなかった。
なぜなら、日々読み漁る本が空っぽだった本棚を次第に埋めていくのに充足感を覚えるようになっていたから。
入居時に空っぽだった本棚はすぐにレイの本で埋まっていった。そうしていつしか、レイは自分が読んだ本でいっぱいになった本棚にも愛着を感じるようになった。
……収まる本のジャンルには、少しばかり偏りがあるものの。
「もう二度と戻れないかもしれない旅、ですか……なのに」
レイは自分の書斎兼、図書室とも言えるアパートの窓際に置かれた木製の椅子に静かに腰を下ろすと、傍の小さな読書机に肘をつき、小さくため息をついた。
カルーに先ほど言い渡された任務。
それはレイにとって、青天の霹靂であり、思いもよらぬことだった。
だが、心の中にあるのは不安というより、どちらかというと 期待(・・) と興奮。
そして、並々ならぬ 高揚感(・・・) だった。
「……こんな時に私は何を考えているのでしょう。国の命運を賭けた重要な任務だというのに、このような」
任務の内容を耳にしてからずっと、自分の顔がわずかに火照っているのを感じる。
正直なところ、怖くないわけではない。
行けばもう二度と戻ってこられないかもしれない。
でも────
今、レイの心にあったのは、もっと別のことだった。
あの二人のエルフと対峙した時の恐怖は記憶に新しい。
『エルフの討伐』とは、これからまた彼らに挑むことになるということ。
それは身の竦むような話だった。
でも……レイにとって、その後の体験の方がずっと印象に深く刻まれている。
あの人の周りでは自分には一生無縁だと思っていたことばかり立て続けに起こる。
その人物が引き続き今回の自分の護衛対象となるという。
そして、任務の内容は最優先でその人物を守護することであり、大事なのはいついかなる状況でも片時も離れず、共に過ごすこと。
「ノール様と、いついかなる時も片時も離れず、共に……? そっ、それはつまり……あわよくば。狭い密室でノール様と二人きりという事態も────?」
レイは高揚しすぎた気分を落ち着かせようと窓から路地の風景を見下ろした。そこにあるのはいつもの風景だが、それすらいつもと違ったものに見え、落ち着かない。
「い、いえ。そんなことは当然のこと。護衛任務なのですから……」
口に出してみて、やはりこれはあくまでも『隠密兵団』副団長としての任務であり、不埒なことは考えるべきではないのだと思い直す。でも……ついつい、余計なことを考えてしまう。
カルーの前で即答しなかったのはこうした動揺を悟られないためだった。
内心、二つ返事で快諾したいところだった。
しかしながら、それではあまりにもはしたない、とレイは思う。
「……いけませんね。国の存亡に関わる重要なお仕事だというのに」
レイは頭を振り、邪な考えを懸命に頭から追い払おうとする。
とはいえ、一旦始まった妄想はなかなか止まらなかった。
あの場面を思い出すたび、自然と身体全体が火照り、頬が紅潮していくのを感じる。
あの日、ただほんの少しの間過ごしただけの人物と一緒にいた場面のことが忘れられなくなっている。
要は、レイがカルーから任務を告げられた際にレイの頭の中に最初に沸き起こった感情はまず、不安や恐怖ではなく純粋な 歓喜(・・) の感情だった。
……あの人とまた一緒にいられる、と。
同時に強く疑問にも思った。
皆が決死の思いで参加するはずのこの遠征に、自分だけがこんなに前向きというのはいかがなものか、と。
レイはその邪な気持ちをカルーに悟られるのが恐ろしく、そそくさと逃げ出したのだ。
その場で二つ返事の即答で引き受けようとする自分の感情を必死に押さえ込み、一旦、冷静に考えるフリをして心を落ち着ける時間をもらった。
だが、一人になったことでかえって平静を保つことが難しくなっている。
なぜなら、レイにそういう思考をもたらすことになったレイの 愛読書(・・・) たちが所狭しと並べてあるのが、まさにこの部屋なのだから。
「……妄想と現実を取り違えるようでは本好きの風上にも置けません。し、しかし────」
レイの自制心とは裏腹に、レイの脳裏にはこれまで読んできた物語の名場面が次々と浮かんでは消えていく。
そう。たとえば、あの小説のあの名場面では。
主人公の女性は相手の殿方と劇的な出会いを果たした後、二人で様々な困難を乗り越え。
そうして、その後────
……その後?
「い、いけません。護衛の分際で、このようなことばかり」
レイは一旦、その人物とこれから非常に長期間、狭い密室内で寝食を共に過ごすことになるかもしれないという可能性を努めて忘れ、自分の身を挺して対象を護るという己の職務だけに集中することにした。だが、お気に入りの恋愛小説ばかりが収まった自室の本棚の前ではそれもうまくいかず、感情を押さえ込もうとするとかえって、考えてはいけないことばかりが頭に浮かぶ。
要するに、レイは少々恋愛脳だった。
生来ひたすら孤独に過ごし、唯一の話し相手といえば本に印刷された物語の空想上の登場人物ばかりであったレイにとって、先日の出来事の刺激は強過ぎた。
故に最初からカルーからの依頼への回答は決まっている。
──────── 行く一択(・・・・) 。
行くか行かないか、ではなく。
行かない選択肢がそもそもない。
何を犠牲にしたとしても、絶対に行きたいのだ。
たとえその身が引き裂けようとレイにとって、あの人物と一緒の空間で過ごせること自体が何事にも代えられない価値であった。
だが……それをどのように上司であるカルーに伝えるのかが問題だ。
このまま包み隠さず伝えればまず間違いなく、動機に問題ありと見做されるだろう。そうなれば最悪、そんな感情を抱えた人間は任務に不適格として外されかねない。
「────いかにももっともらしい、穏便な理屈を考えなければ────!」
レイはいつまでも折り合いのつかない己の混沌とした感情に悶々としつつ、遠征への参加をどのようなもっともらしい理屈で肯定するか、その一点において朝まで徹夜で頭を悩ませた結果────結局、それらしく聞こえる理屈は見つからず。
翌日、上司のカルーにはただ、「……行きます」とだけ短く返事して伝えた。