軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

228 散歩道

「おはよう、ロロ。また、例の訓練か?」

まだ王都が薄暗い早朝、習慣で目を覚ましたイネスは屋敷の中で身支度を整えるロロを見かけ、静かに声を掛けた。

「うん。イネスも、いつも早いね」

「私のはただの習慣だ。何をするわけでもないのに決まった時刻に目が覚めてしまう。毎日、精が出るな」

「出発は二ヶ月後だから、それまでにできることはやっておきたくて」

「あまり気を張り過ぎるな……と、言いたいところだが。今回は出来る限りの準備はしたほうがいい。必ず、自分を試されるような旅になる」

「うん、ボクもそう思ってる。やっぱり、イネスは一緒に行かないんだよね?」

「ああ。【恩寵】がなくなった私は足手纏いになる。それにリンネブルグ様も王都に残られると聞いている。ならば、私の役割は国を出ることではないだろう」

「……うん。そうかもね」

靴紐を堅く結び終え、少し寂しそうに俯いたロロにイネスは白んできた空を窓から眺め、苦笑した。

「まさか、こんな風に立場が逆転するとは。私が見送る立場だな」

「……うん。なんか、不思議な感じだね」

「もちろん、悪い意味じゃない。【六聖】からも目覚しい成長だと聞いている」

「うん。ボク、結構強くなったんだ……ダンダルグさんや、シグさん、ミアンヌさん、ギルバートさんにも手伝ってもらって」

「元からのロロの才覚だ。もっと自信を持つといい」

「そうだね、ありがとう」

イネスとロロは顔を見合わせると、互いに微笑み合う。

「じゃあ、行ってくるね」

「ああ。無理だけはしないように」

ロロが屋敷を出ていくのを見届けると、イネスは小さくため息をつく。

それは少々の、日々の気疲れからくるものだった。

「……身体だけでなく、 精神(こころ) も鍛えたつもりだったのにな」

イネスはエルフが王都を襲撃したあの日以来、ずっと動揺を隠しきれないでいる。

自分が目覚めた時、既に全ての事件が終わっていた。

聞けば、冒険者ノールとレイがすぐさま危機を察知し、王都に侵入したエルフ二体のうち一体を撃破し、もう片方も退けたのだという。その一部始終を聞いた時、イネスは自分が本格的に戦力外となっていることを痛感せざるを得なかった。

自分には以前のような超常的な力はなくなっている。

それでも、自身の生涯を通して守護すべき考えているリンネブルグ王女に危険が迫った際には、自らの身を差し出してでも使命を全うするつもりだった。

なのに、あの日はそれすら許されなかった。

自分はただ、皆と同じように眠りこけて寝息を立てるばかりだった。

今後行われる『エルフ討伐』の遠征には特別な資格がある、ごく限られた者だけが参加を許される。その「特別な資格」を持つ者の中にロロが含まれていることに、イネスは驚きが半分、納得も半分だった。

レイン王子からロロ本人より遠征への志願があった、と聞いた時、イネスは少し意外に思った。でも、その志願が王と【六聖】に承認されたことについては、何も疑念を抱かなかった。

なぜなら、ロロはもう以前のようなか弱い少年ではない。

六聖それぞれからの厳しい指導に耐え、ミスラ教国、商業自治区サレンツァへの旅にも同行する中でも自ら研鑽し、通常なら一生に一度すら遭遇しないような数々の修羅場の中で目まぐるしく急成長を遂げた。

イネスの目から見てもロロはすでに一人前の戦士と言ってもいい。

そこに、かつて『魔族』として恐れられた『レピ族』の生来の特性の相手の「心を読む」力が加わることで、戦闘時における彼の強さは既に『王都六兵団』の団員のトップクラスに並ぶか、状況によっては様々な特殊能力を備えた副長クラスとでも渡り合える、とイネスは考えている。

その上、聖都で『聖ミスラ』と繋がったことで得られた知識はあらゆる面で有望視され、国家の重要人物とされるに相応しい。

【六聖】のロロに対しての評価もイネスとほぼ同じようだった。

イネスとしてもロロが成長し、評価されることは嬉しく思っている。

だが、その一方で……どうしても見比べてしまう自分がいる。

「きっと、ロロにはわかられているのだろうな」

喜びよりもむしろ、焦りを感じてしまっている自分を少しでも誤魔化せるよう、イネスは自分の思考自体を表層に出すことを避けている。おそらく、そんな心の動きすらロロにはわかられているのだろうと思うが、他にやりようがわからない。

不意に応接間の壁に掲げられた姿見に自分の姿が映る。

「……本当に。私はこれから、どうすればいいのだろうな」

イネスは鏡の中にいる憂鬱そうな顔をした人物とじっと見つめ合うと、その人物が持つ意味合いを考えた。

──── 自分(これ) は、最早か弱い一般女性とは言えないだろう。

が、かと言って、特段に秀でたところもない人物だ。

無論、並大抵の兵士には遅れを取るつもりはないが、これから冒険者ノールを中心とした人々が挑もうとする想像を絶するような困難に抗うような力は持ち合わせていない。

この人物はかつて、国の将来を背負うほど周囲から期待を寄せられていた。

でもそれは当然、あの理不尽な【恩寵】ありきで注がれていたものであり、根拠たるその力を失った今、は全ての重責を肩から下ろされている。

王やその側近である【六聖】の判断に全く異存はない。

それどころか、むしろ安堵し、感謝すらしている。

なのに……どういうわけか心の中はずっと虚しいままだった。

急に休暇を言い渡されたまでは良いものの、肝心のその過ごし方がわからないのだ。

周囲は「いいからそのまま何もせず休め」と言うが……自分はその休み方すらろくに知らないのだという事実が、改めて見えてくるだけ。

……何かをしたいとは思うが、本当に何もすることが思いつかない。

自らやりたいと申し出た、ロロの保護者の役割すら終わり始めている。

自分の道を着実に歩み始めたあの少年におそらく、今後自分は必要ないとイネスは考える。

じきに自立してこの屋敷も出ていくだろう。

そうなればイネスは一人だった。

だが……リンネブルグ王女は今回の遠征には参加しない、と聞いている。

であれば、また昔のように身の回りの世話程度ならば────

「……イネス。少し、いいですか?」

イネスがいつになく長時間鏡を見つめて考えに耽っていたところ、誰かが遠慮がちにドアをノックする音がする。

「リンネブルグ様?」

「朝早くにすみません。入っても?」

「ええ、もちろん。どうぞ」

イネスはドアを開け、声の主を招き入れた。

何か言いたげな様子で俯いたままの王女の様子をイネスが窺っていると、王女はこう切り出した。

「……少し、私とお散歩しませんか?」

「はい。もちろん、お供いたします」

どこか寂しそうな微笑みに、イネスは違和感を覚えつつ王女と共に邸宅の外に出た。

◇◇◇

「こうして貴女とのんびりお散歩するなんて、何年振りでしょう。こうして、ただ二人で並んで歩いているだけで懐かしい気分になりますね」

王都の『新市街地』にはそれほど広大とは言えないものの、緑地を備えた広場が設けられている。その中央には人工の小さな湖が存在しており、周りをぐるりと取り囲むように配された人工の林の中に、細い木々の間を縫うようにして散策用の小路が整備されている。

王都を訪れる渡り鳥や、周辺に住まう人々の憩いの場となっているその街中の森の中をイネスとリンネブルグ王女は並んで歩き、時折、足を止めては辺りに落ちている木の葉を拾ったりして、雑談に興じている様子だった。

「そうですね。リンネブルグ様が『王位継承の儀』の試練に挑まれる前には頻繁にあったように思いますが」

「……小さい頃の私はいつも、貴女を子分か召し使いのように連れ回していましたから。今思うと反省点だらけです」

王女とイネス以外にもちらほらと湖の畔を歩く人々がいるが、静かに対話する二人を気に留める様子はない。二人の並んで歩く姿は一見、仲の良い友人のようでもあり、少し歳の離れた姉妹のようにも見えた。

「いえ、それが私の仕事でしたから。」

「でも、貴女が私の護衛であるという立場をいいことに、取るに足らない個人的な買い物や、ごくごく私的な用事でも好き放題に付き合ってもらっていましたので。今思うと、流石にやり過ぎだったなと思います」

「いえ、それで助かった面もあります」

「……助かった? 迷惑ではなく?」

「……正直なところ、最初に陛下にリンネブルグ様の護衛を命じられた時、私はそこで自分が何をすれば良いのかが全くわかりませんでした。それまでの私は、ほぼセイン様の孤児院と訓練場の中しか知りませんでしたから。それでも、リンネブルグ様がああやって気軽に接してくださったおかげで、少しずつですが自分の役割がわかっていったのだと思います」

「それにしたって、少し連れまわしすぎた感がありますよね……?」

「おかげで、王都のことにも詳しくなった気がします。そうでもなければ、私は自らの行動範囲を広げることはできなかったでしょう」

「……そう言ってもらえると、少しは罪悪感が薄れますが……でも、やっぱり迷惑もかけましたよね?」

「確かに、一般的にはそうなのだと思います。リンネブルグ様が引き起こす、想定外のトラブルを日々受け止めることは人によってはかなりのストレスを伴う仕事でしょう」

「……意外と、はっきりと言うんですね?」

「しかし……私は不思議と迷惑だと思ったことは一度もありません。むしろ、困ったような素振りをしつつ、奇想天外な毎日を楽しんでいたような気がします」

「……えっ? そうだったんですか?」

王女は意外そうな目をイネスに向けた。

「意外でしょうか?」

「……はい。私の記憶にあるイネスは楽しそうにしている姿なんて、一度もなかったような気がしますから」

「それは感情を表に出さず、常に冷静を装うのが自分の仕事だと思っていたからだと思います。今となっては、少しは表に出してもよかったのだろうとは思いますが……」

「……本当ですよ? ノール先生ではないですが、楽しめる時に楽しまないのはものすごく勿体無いことだと思います」

「ええ。今であれば、彼の言い分にも一理あるとわかります」

イネスと王女は互いに顔を見合わせると、微笑んだ。

「……それで言うと、実は、私も今更ですし、ちょっと恥ずかしいのですが……私はずっと、貴女のことを実の姉のように思っていたんです」

「私を?」

「……もちろん、今ならちゃんと、貴女がお父様に命じられて『護衛』という名目で私に付き合ってくれていたことはわかります。でも、最初にイネスと挨拶させてもらったとき、これからこの人と毎日ずっと一緒にいられるんだ、と思って、急に年の離れた姉ができたようですごく嬉しかったんです」

「そうですか。それは光栄です」

「……本当に、そうなんですよ? もちろん、貴女にはそうは思えなかったかもしれませんが……私には実際に家族が一人増えたように思えたんです」

「勿体ないお言葉です」

「当時、私はお母様を亡くしてすぐのことでしたから。寂しかったのもあったと思いますが」

二人は足を止め、静かに並んで街中の湖を見つめていた。

「……どうですか? その後の『恩寵』の調子は?」

「やはり、未だ戻る気配はありません。おそらく、【魔聖】オーケンとメリジェーヌが言うように、商都であの砂の巨人と対峙した時、消え失せてしまったのだと思われます」

「ごめんなさい。私があの時、貴女に頼りきってしまったばっかりに……」

「いえ。私もご判断は適切だと思い、命令に従いました。リンネブルグ様が責任をお感じになる必要はありません」

「でも……」

「正直なところ。ほっとしているのも事実なのです」

「ほっとしている?」

「あの力は私一人が持つには強大すぎました。だからと言ってあれがあったからこそ、このようにリンネブルグ様と近しくお話しさせていただけるようになりましたから……もちろん、感謝はしています。でも、今となってはあれは自分のような人間には荷が重かったのだろうなと感じます」

「…………そうですか」

「……おそらく、あの力が私の元に戻ってくることはもう二度とないのだと思います。であれば、私も次の生き方を探す必要があります。まだ、それがどんなものかはわかりませんが……しかし、何らかのかたちで今後にお役に立てるように、とは思っています」

「ありがとうございます」

「リンネブルグ様は、王都に残られるのでしょう? であれば今後、もし機会をいただければ身の回りのお世話などで……」

「────イネス。そのお話なんですが」

言葉を濁しながら俯いた王女はやがて意を決したように顔を上げ、イネスに向き直った。

「実は……私は今回の遠征に、ついて行こうと思っているんです」

「『 長耳族(エルフ) 』の討伐に?」

「はい」

「……レイン様はリンネブルグ様には今回は参加 させない(・・・・) 方針だと。陛下も同様のご意見だと伺っています」

「そうです。なので、私も一旦はそうするべきなのでは、と思ったんです。でも……」

「でも?」

「こうも思ったんです。私がその意見を受け入れてしまったら、きっと私は今後一生、貴女やお母様のように強い 女性(ひと) にはなれないのかもしれない、と」

「…………私、はともかく。王妃のように、とはリンネブルグ様の口癖でしたね」

「はい。なので、これは単なる私の意地というか、完全なる我儘だということはわかっているんです。でも、もし私がそれを諦めてしまったら、私はきっとお母様との約束も破ってしまうことになるのでは、と」

「約束、ですか」

「はい────もちろん、子供の頃の約束ですが。でも、『お母様のような強い冒険者になる』。それが、お母様と交わした唯一の約束みたいなものですから……お母様があまりにも早く亡くなったので、私にはそれしか無くなってしまったんです」

王女は寂しそうに微笑むと、木々の影が写り込む穏やかな湖面を見つめた。

「……このことは、陛下やレイン様には?」

「まだ、貴女以外に言っていません。少し、迷っていましたから。でも、貴女の元気そうな顔を見て決心が固まりました」

「……わかりました。では私も────」

「違うんです、イネス。貴女は私と一緒に来ないでください」

「リンネブルグ様?」

「お兄様に言われたんです。『もう家族をなくすのは嫌だから』と。だから、貴女のことを私に頼みたい……と」

「レイン様が、リンネブルグ様に?」

「はい。でも、私は貴女がそんなに弱くない人だということは知っています。貴女は私なんかに守られなくたって、一人できちんと何でもできる人です。だから……きっと、私がいなくても大丈夫」

「それは────つまり」

思わず驚きの目を向けるイネスの前で、王女は努めて明るく顔を上げた。

「イネス。今まで、本当にありがとうございました。それだけは貴女に言っておきたくて」

言葉に詰まるイネスは、王女から向けられた微笑みに笑みで応える。

「……いえ、滅相もありません。こちらこそ、ここまでリンネブルグ様とご一緒できて本当に光栄でした」

「すみません、こんなことに長々と付き合わせてしまって……でも、こうして貴女とお話しできて、意思が固まりました。ずっと一人で悶々としていましたから」

「お役に立てて光栄です。しかしながら、一番の問題は陛下をどう説得するかでは?」

「確かにお父様をどう説得するかが一番の課題ですね……でも、あとはどう頑張るかだけの話だと思いますから」

「────では、ご武運をお祈りしております」

イネスの穏やかな笑みに少し安堵したように胸に手を置くと、王女は隣に立つ自分より少し背の高い女性に向き直る。

「では、イネス。行ってきます」

「はい。お気をつけて」

簡単な挨拶を最後に二人は別れ、王女は振り向かずに去っていった。

そうして人気のない湖の畔にはぽつりとイネスだけが残され、イネスは自分がかつて仕えた小さな主人の姿が視界から消えたことを確認すると深く、静かに息を吐く。

「…………私が弱くない、か。そんなわけがないのにな」

イネスはそれからしばらくの間、何をするでもなく閑静な湖畔にじっと佇んでいた。そうして自分の掌をじっと見つめ、改めて何事も起こらないことを確認すると、誰もいなくなった自分の屋敷へとゆっくり帰ることにした。