軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

179 虚栄の鍵

「ザイード様。火急にてお耳に入れたいことが」

「……なんだ、ワイズか」

クレイス王国からの来客との謁見を終え、ザイードは一人、広大な部屋の脇にある自分専用の部屋に篭っていた。その部屋の壁に掛けられた『 物見の鏡(スクリーン・ミラー) 』には先日の『時忘れの都』で『始原』のゴーレムを屠り続けている男の映像が映っており、ザイードは既に何度となく見たはずのその映像を食い入るように見つめながら、必死に何かを考え込んでいた。

その苦悶に満ちた表情を浮かべた顔は汗ばみ、自身の部屋に足早に駆け込んできた腹心の進言に耳を貸す余裕すらないといった様子だった。

「……後にしろ。儂が考え事をしている時は邪魔をするなと、あれほど────ッ?」

だが初老の男が一言、耳打ちすると、ザイードはその苦悩で歪んだ丸い顔に新たに困惑の色を滲ませた。

「なん……だとぉ!? ミスラの教皇が、無断で我が邸宅の敷地内まで入り込んでいるだとッ!?」

「は。猊下は例年通り、オークションへの参加をご希望とのことでした。ただいま御子息のティレンス殿下と共に会場にお通ししております」

「あの女狐めェッ! よりによって今のような時にッ!? 毎回、作りたくもない笑顔で出迎えてやったというのに……先日の急な心変わりといい、どいつもこいつも……!!」

ザイードとしても、商都でそれらしき胡散臭い人物が何かを嗅ぎ回っているという情報は把握していた。にもかかわらず、クレイス王国からの来客に気を取られ、対応を後回しにしたツケが早々にやってきたことに思わず歯噛みする。

「その後の対応は、いかがいたしましょう? 猊下のご様子ですが、かつてとはまるで別人のように思えました。判断には注意を要するかと」

「……人が入れ替わったとでも言いたいのか? アレの虚言と鉄面皮の振る舞いは今に始まった事ではない。呑まれるな」

「は」

「それより、例の件の準備は進めてあるのだろうな?」

「はい。しかと……しかしながら、例年ご参加くださるご親族の皆様は今回は残念ながらご都合がつかないとのことで、席の穴埋めに代理の者を出席させております」

「ち、いつもながら逃げ足の早い奴らだ。欠席者のリストは控えておけよ。いずれ、儂を見限ったことを後悔させてやる……邸宅警備のゴーレム兵は?」

「各位置に必要数を配備しております。またアリ様とニード様が新たに与えられたゴーレム兵を率いて戦う、と御自ら名乗り出てくださいました」

「……あいつらか。もう、少しでも時間を稼げればなんでもいい。期待していると伝えろ」

「かしこまりました」

「これ以上はもう良い、下がれ。一人にしろ」

「は」

腹心の一人である初老の男が去った後、ザイードは再び見慣れぬ黒い物体を手にする男の 映像(すがた) に目を戻す。

「……くそっ……! これ以上、儂にどうしろというのだ……!?」

先ほどの謁見、思い出しただけでも身の毛がよだつ。

平静を装い、対等を演じきるので精一杯だった。

上手く渡り合えた、あの場で会話の舵取り一つ間違えば、あの男にいつ殴り殺されていてもおかしくはなかった、という恐怖だけが脳裏にこびりついている。

あの一見、のらりくらりと無害を装った不気味な男と同じ部屋で言葉を交わしていた事実を思い出すだけで、全身から嫌な汗が吹き出し、緊張に呼吸が浅くなるのを感じる。

ザイードは今や、あれほどの力と栄華を誇った自分が既に弱者の側であり、今だかつてないほど追い詰められていることを自覚していた。

「……だが、冷静になれ。落ち着けば何か糸口がある。ある、はずだ……!」

そう。

自分はこれまでの人生で修羅場など無数に経験してきた。

その度に決して諦めなかったからこそ、道が拓けてきたという自負がある。

だが────

ザイードは知っている。

今回はそれとは根本的に違うのだ、と。

あまりにも、これまでと状況が違いすぎている。

ザイードの磨き抜かれた商人としての勘が理性よりも計算よりも早く、身に迫る危機を訴えかけている。

クレイス王が寄越したあの理不尽極まりない力を振るう男は、片手で息をするようにこちら側の 始原のゴーレム(最高戦力) を砂糖菓子のように砕いていった。何かの夢か、見間違いだろうと思って何度記録を見直しても、改めて男の力が事実であり、絶望的な現実が確認されるだけだった。

────今や、『力』で理不尽を押し付ける立場が逆になってしまっている。

とっくに『サレンツァ家』が支配を行う秩序を維持する前提が、崩れている。

故にいくら考えても解決に至る糸口などあろうはずもない。

今、必要なのはただ、『力』だけ。

自身に迫る理不尽を排除するに足る力が要る。

そして最早、頼れる者が一人しかいないということも。

損得勘定に長けたザイードはよく、理解している。

「ええい……! 何をやっておるのだ、あののろまなエルフはッ……!?」

常軌を逸した長寿を誇るあの種族に、自分達と同じ時間感覚を求める方が間違っている、ということはザイードは百も承知の上だった。また、ザイードは自分達本位の都合で動く『 長耳族(エルフ) 』を信用の置ける 仲間(パートナー) だとは決して見做していない。

たが、ザイードが明晰と信じる自身の頭で 記憶(・・) する限り、あの男が約束を違えたことは一度もない。その「過去、常に信用する者足りえた」という揺るがぬ実績こそが、今、彼らを拠り所とする唯一の根拠であった。

────故に、苛立つ。

自らが舵取り儘ならぬ立場に追いやられ、気まぐれな他者に命運を握られているという自覚で焦りばかりが募っていく。差し迫った脅威への不安で目が血走り、先ほどのあの男との対話から止まない震えのせいで奥歯の鳴りも止まらない。

人並外れて危機を予見する能力に長けていたザイードは、今や、己を待ち受ける運命に恐怖するだけになっていた。

「……ええい、ルードッ!! ルードはまだかッ────!?」

「そのように声を荒げずとも、ここに」

焦りから名を呼んだ黒いローブの男は既に 背後(うしろ) に立っていた。予期せぬ場所から響いた声に、巨躯の男は背中をびくりと震わせる。

「お、脅かすなッ!? 例の件、一体どうなったのだ!? いつまで待たせるつもりだッ!?」

「ご心配なく。ご所望の品はこちらに」

いつものように黒いローブの男が気だるそうな動作で差し出した青白い手の中に、怪しく輝く見慣れぬ黄金色の物体がふわり、と浮いている。

「そ、それは?」

「これは『栄光の鍵』と呼ばれる、『忘却の迷宮』本来の力を解き放つ為の特殊な遺物です」

「……忘却の迷宮の、本来の力だと?」

「ええ。過去に『忘却の迷宮』から産出されたゴーレムの力を全て一つに束ね、その上で、持ち主にさらなる力を与えるという、我が一族に伝わる秘宝にございます」

「それはつまり、今サレンツァ中に散らばった『 始原(オリジン) 』のゴーレムを、全て儂の手の中に取り戻せる、という意味か?」

「お察しの通りです」

顔の見えないローブの男の説明に肥え太った巨躯の男からゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえる。

この際、怪しい男に信用を置けるかどうかは問題ではなかった。

重要なのは目の前にあるそれが本当に機能するかどうかだった。

そんな男の心の内の期待を感じてか、黒いローブの男はゆっくりと手の中の黄金を差し出しながらこう言った。

「……こちらの『鍵』を当主自ら『忘却の迷宮』へとお持ちになり、迷宮の 核(コア) の前で掲げてください。それだけで、サレンツァ国内に存在するあらゆる『力』は瞬く間に当主のモノとなりましょう」

ザイードは最初、男の言葉を信じようとはしなかった。

だが────自らから距離を置いた、親戚筋。

多くの者に裏切られたと感じていたザイードにとって、その者たち全ての力を奪い取れる、という言葉も甘く響いていた。

そうして逡巡しながらしばらくの間、黄金色の物体から放たれる不思議と心地よい光を浴び続けたザイードはやがて、それが事実であろうとなかろうと、 どちらでも良い(・・・・・・・) 、という気分になっていた。

「……なるほどな。それが、お前たちの秘宝か」

黄金色の光に照らされる男の 表情(かお) が、次第に不安による歪みから恍惚とした笑みに変わっていく。その変化は、その場を誰かが目撃すれば自らの意思でそうなったというより、何かにそう させられた(・・・・・) と映るのが自然であったが、そこには他には誰もおらず、本人もそれに気づかない。

ザイードはいつしか自信に満ち、心の底から笑みを浮かべていた。

「────ああ、いいだろう。もし、これが本当に役に立てば、貴様らの都合で招いた奴らを貴様の責任で処理する、という契約を果たすモノだと認めようではないか。しかし……普段はケチの見本のようなお前らが随分と奮発したな? そんなにあの古臭い遺物が大事か」

「……当主を初めとして、サレンツァの血に連なる皆様方には大変長い間お世話になりましたので。これはほんの お礼(・・) としての気持ちです。どうぞ、お受け取りを」

顔の見えない男がその白い手のひらを差し出すと、浮遊する黄金色の物体はザイードの手の中に移動し、一層眩く輝いた。

「お、おお……? これが────?」

その奇妙な光に照らされた 表情(かお) は、一層恍惚に彩られているように見えた。

「それでは、我々はこれで失礼いたします……と、その前に一つ。用事を忘れておりました」

「なんだ、まだあるのか? 追加の支払いの要求ならば諦めろよ。これは元はと言えば、お前ら『 長耳族(エルフ) 』の失態────でッ!?」

巨躯の男は一旦立ち去ろうとして振り向いたローブの男に突然顔面を鷲掴みにされ、その場で宙吊りにされた。

「な、何をするッ!? ルードッ!?」

「……もう、喋るな。その臭くて軽い口にはいい加減うんざりだ」

青白い手の中の巨躯の男が発する悲鳴が苦痛の呻きに変わる間も無く、ゴキリ、と頭蓋が砕かれる音が部屋中に響く。同時に、肥満した胴体から僅かな抵抗を試みようとした両腕がだらり、と力なく垂れた。

「元々、 我々(エルフ) に関する記憶はお前達には荷が重かったのだ。今思えばなぜあのような契約を結んだのかと不思議に思うが……今日でそれも終わりだと思うと、清々する」

無惨に砕いた頭部から鮮血が滴るのをしばらく忌々しげに眺めていた男だったが、不意に、その頭部を握る青白い手から赤い光が発される。

「我々に関することは全て────『忘れろ』」

黒いローブの男の手から放たれた赤い光が、薄暗い部屋に充満する。

不気味に蠢く光はまるで生き物ように広い部屋の中を舞い、一見して既に死体────厳密には数秒後に確実に物言わぬ死体となるであろう身体に一斉に注ぎ込んでから、辺りをひとしきり赤く照らして回った後、何処かへと消えた。

その作業めいた動作を終えたローブの男が放り投げるようにその手を離すと、無抵抗な身体はゴトリ、と鈍い音を立てて冷たい地面に転がった。

そのまま黒いローブの男はただ無感情にその命の灯が尽きるのを眺めていた様子だったが、ふと、思い出したように息を吐く。

「……いや、この手順はまずい。つい、うっかり殺してしまうところだった。コレにはまだ仕事が残っている。少なくとも与えた役目を果たさせてから、そのつまらない生を終わらせる必要がある」

そうして男は再び深いため息を吐くと青白い手を掲げ、面倒そうに床に力無く横たわる 物体(モノ) に向けた。

「────まだ、『死ぬな』」

すると純白の床を赤く染めつつあった血溜まりが拡がるのをやめた。

同時に破裂した頭部から噴き出す血がピタリとその流れを止め、その部屋に転がる巨体の生命活動が一旦、全て停止する。

その一見、あらゆる法則に反するかのような現象を冷ややかに眺めながら、ローブの男はまた小さく息を吐く。

「……それにしても。また、俺はこれを治さねばならんのか。想像しただけでも憂鬱だ。さっさと終えたいところだが、また騒がれても気分が悪い。適当に時間をかけて────『ゆっくり治れ』」

男が気だるそうに口にした瞬間、破壊された顔面が発された言葉の通りに緩慢な速度で修復されていく。

美しく磨かれた床の石畳の隙間に染み込んだ血液が宙に浮き上がり、男の砕けた顔面に向けてまるで茶器から注がれる紅茶のように優雅に流れ込んでいくのと並行して、 長耳族(エルフ) の強力な握力によって無惨に弾けた肉片が部屋の隅々から群がるようにして、それらが元々存在したであろう身体の部位へ戻ろうと蠢いていく。薄暗い部屋の中で理不尽に顔面を破壊され尽くした男が酷くゆっくりと、元通りになっていく。

そんな奇異で呑気な光景を作り上げた黒いローブの男は、自身にとって大して意味をなさない男が再生していく様子をまるで他人事のように眺めていたが、ふと、背後に現れた気配に顔を上げた。

「戻ったか、ザドゥ」

「────あァ。ルードの旦那ァ……取り込み中のところ、邪魔して悪いなァ?」

冷たい床の上で淡々と再生を続ける男から完全に興味を失くし、振り返ったローブの男だったが、そこに立っている黒い包帯を顔に巻いた男の姿を見ると意外そうに首を傾げた。

「……珍しいな。お前が手ぶらとは」

「今回は下見が必要そうな現場だったんでなァ? 案の定、面倒臭そうなやつだった」

「依頼内容の変更が必要か?」

「その必要はねェかなァ……ま、依頼報酬の見積額の 桁(・) がちょっとばかし増えそうな気配なんで、一応、事前に知らせてやるのが筋じゃねェかって思ってなァ?」

「事前にいくらでも構わないと伝えた。方針の変更はない」

「それじゃ、確かに伝えたからなァ────?」

「……今回はいつもよりも急ぐ。早めにあの遺物が手元に欲しい」

「あァ、わかってる。あの面倒くせェ奴らに力押し一辺倒ってのも馬鹿見てェだしなァ? 依頼人(クライアント) からの同意も貰ったし、色々と手を変えて試してみるかなァ────?」

男はそうやって愉しそうに笑うと、その血生臭い臭気の漂う薄暗い部屋を出ていった。その場に残されたローブ姿の男は、床に転がる男が眺めていた『物見の鏡』に目を移す。

「…… あれ(・・) が、もうここに。ようやく、ここまで近付けた」

不鮮明な記録映像の中で、黒い何かを持った男が立っている。

黒いローブの男はそれを手にする男には目もくれず、ただその手の中にある黒い棒状の塊を見つめていた。

それは長い寿命を持つエルフにとってのごくつい最近────ほんの数十年前に『還らずの迷宮』という、酷く厄介な性質を持つ迷宮から人の手で持ち帰られた『黒い剣』と呼ばれる遺物だった。

「……やっと。やっとだ。あれさえあれば、この地での憂鬱な作業もやっと終わりを迎える。短いようで、長かった。たった五百年前後の仕事だが……あの遺物さえ手に入れば全てを終わらせることができる。我らの二万年に及ぶ悲願を達成することすら夢ではなくなる」

黒いローブの男はその青白い指を無意識に強く握り締めていた。

「……あともう少しだ。それまでの辛抱だ」

黒いローブの男が部屋を後にしようとすると、床に転がっている金色の何かを足蹴にした。それは白い石の壁に跳ね返ってから床に当たり、辺りにカラカラと乾いた音を響かせる。

「……おっと。うっかりしていた。この 塵(ゴミ) はまだ、こいつにしっかりと握っていてもらわねばならないのだったな」

そう言って男は衝撃を受けて生き物のように不気味に蠢き始めたその金色の物体を拾い上げると、未だに床にうつ伏せになったまま顔の再生を続ける巨躯の男に目を向けた。

「……こんなものが、我々の 秘宝(・・) だと? 自分で口にしておきながら反吐が出る。もう少し、マシな言い回しはなかったものか……こんなもの、使い回しの 罠(トラップ) の起動キーでしかないというのに。いや、確かにお前達には、これが似合いの宝か」

ローブの男が砕けた顔面を床に押し付け続けている男の手のひらの上に、そっとその黄金色の物体を載せる。すると、肉付きの良い指が反射でガッチリとそれを握り締める。

「……そうだ。お前達はそうやって何もわからぬまま、己が宝と信じるモノを握っていればいい。 砂上(かりそめ) の栄光で心を満たし、いつものように欲望に任せて滅びていけばいい。そうして、最後にはものの見事に歴史から忘却されるのだ────そういう惨めな立ち位置こそ、貴様ら 人類(ヒト) に 相応(ふさ) わしい」

やがて巨躯の男の顔面が最後まで再生され、周囲に血飛沫の欠片すら存在しなくなったのを見届けると、黒いローブの男はその自分のことを二度と思い出すこともないであろう男の屋敷から自身が存在した全ての痕跡を消し、また自分自身も同じように消え去った。