軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

19話【あなたのお名前は】

――エリンダル、領主館の執務室にて。

「失礼します」

執事のリーガルが礼儀正しく入室してくるのを、部屋の主はムスッと黙したまま出迎えた。

「おいおい、まだあるのか? こっちは戻ってきたばかりなんだぞ」

ドンッ、と書類の束が机の上に置かれる。

「リク様に目を通してもらう必要がある書類は、これで約半分といったところです。突然ふらりと居なくなってしまうことを考えてみますれば、こうして執務室にいらっしゃる好機を逃すわけにはいきませんので」

領主になってからもリクの自由奔放な性格は直っていないようで、何も告げずに領主館を空けることがしばしばあった。

執事のリーガルも、それにはもう慣れっこといった感じである。

「今回帝都グランベルンに行ったのは、ちゃんとした用事があったからだって知ってるだろう? 皇帝の婚約祝いに呼ばれたんだよ、俺は」

「ええ、それは存じております。あくまで今回は」

「はあ……わかったよ。残りの半分も持ってきてくれ。できるだけ急いで終わらせることにする。その他に報告するようなことはあるか?」

諦めたように息を吐き、リクは机に積まれた書類へ手を伸ばした。

「ええ、リク様が留守にされているときにレン坊っちゃ……レン様が訪ねて来られました。不在であるとお伝えしたところ、帰りを待つとのことでしたが」

リーガルは街に滞在するのであれば領主館に泊まってはどうかと提案したが、レンは遠慮して宿を取ったらしい。

「レンが俺に会いに? ……ふむ、わかった。そろそろ書類仕事にも飽き……いや、弟がせっかく訪ねてきてくれたんだ。すぐに会ってやるのが兄の務めというものだろう」

そう言われてしまうと、リーガルも素直に頷くしかない。

「かしこまりました。さっそくレン様が泊まっている宿に使いを出すことにしましょう。ただし――」

執務室から退室しようとした執事は、去り際にリクのほうを振り返ってにこりと微笑んだ。

「――レン様がいらっしゃるまでは、書類仕事を続行していただきますようお願いします」

結局、レンが領主館に顔を出したのは、リクが書類の半分ほどまで目を通した頃だった。

「やあ、リク兄。久しぶりだね」

「……遅い」

「え? オイラ呼ばれてすぐに来たと思うんだけど」

「まさか、リーガルのやつ……」

「どうかした?」

「いや……なんでもない。ところで、今日はお前だけか? レイはどうした?」

「レイ姉は一緒じゃないんだ。もう少しゆっくりリク兄と話したかったから」

リクはそれを聞いて、納得したふうに苦笑いした。

「はは、あいつは俺を嫌っているようだからな。それなら、今日は男兄弟だけで語らうとしようじゃないか」

「うん、とはいっても、オイラがここで暮らしてたのは小さい頃だし、昔話を懐かしむほどにたくさんの想い出があるってわけじゃないんだけど」

そう口にして、レンは執務室に飾ってある絵に視線を向けた。

リクが、友人と三人一緒にいるところを描いたものだ。

「そうだ、せっかくだからリク兄のこと色々教えてよ。ずっと離れ離れだったわけだしさ。あの絵に描かれてるのは、仲の良い友達だったんでしょ?」

「ああ、リーガルから聞いたのか? この二人とは、そう……お前とレイが生まれる以前からの仲だ。このラハルってやつとは……たしかこいつが店から商品を盗もうとしてたときに出会ったんだったか」

没落貴族の息子と、領主の息子のくせに盗みを手伝うと持ちかけた少年との――奇妙な出会い。

リクは懐かしむようにして、その頃の想い出を語ってくれた。

「……もっとも、実際には商品を盗んだわけじゃなく、ちゃんと金を払っていたわけだが」

領主としての愛想笑いでもなく、兄弟に向ける柔らかな笑みとも違う、友達同士で笑い合うような無邪気な笑みをこぼしながら、リクはそんなことを口にした。

「思い返せば、二人で色んなことをしたな。ラハルは酒場で働くようになったんだが、俺が訪ねて行くといつも嫌そうな顔をしてた。大抵はろくでもない遊びに付き合わされる羽目になるから、無理もないとは思うんだが……こっちの誘いを断らなかったところをみると、きっとあいつもそこそこ楽しかったんじゃないかと思う」

「ふぅん、ちょっと羨ましいな。オイラには同世代の友達なんていなかったし」

レンは幼い頃のほとんどを領主館の中で過ごしたため、そのような気さくな友達はいなかったのだ。

「こっちのアリーシャっていう女性とは、いつ出会ったのさ?」

「ああ、近隣の森に発生した緑イモムシを退治するために、ラハルと一緒に森を探索しに行ったときのことだ。スモールゴブリンの群れに襲われて、危なかったところを助けてくれたのが彼女だった」

弓の扱いに長けていたようで、襲い来るスモールゴブリンの喉を一射で貫いたらしい。

そのときにアリーシャは魔物の血や体液で衣服を汚してしまい、彼女が着替えるのを覗いたリクは思いきりビンタをされたとか。

「アリーシャとは、それから仲良くなったんだ。彼女は理由あって冒険者になったんだが、ラハルとは一緒に依頼を受けることも多かったみたいだな」

「あれ? リク兄は一緒じゃなかったの?」

「お前たちが生まれてから、親父は少し厳しくなったんだ。妹や弟の模範となれってことだろうが、館から抜け出すのも一苦労でな。そうそう頻繁にはあいつらと遊べなくなっていった」

リクは三人の絵を眺めながら、そう呟いた。

「まあ、俺は駄目と言われればやりたくなる人間だからな。親父の目を盗んでは、館を抜け出していたわけだが」

レンが酒場の店主から聞いた話では、リクは常連客だったらしいので、厳しくなったとはいえ、かなりの頻度で目を盗んでいたのではないだろうか。

「へえ。リク兄にとって、この絵は大切なものなんだね」

「ああ……大切な想い出だ。アリーシャが帝都に行くことに決まってから、酒場で三人が一緒のところを描いてもらった。彼女はこれでお別れみたいだから嫌だと、照れくさそうにしていたけどな」

どうやらこの絵は、アリーシャを送り出す祝いを酒場で盛大にやった時のものらしい。

「あのまま、平和な時間がいつまでも続けばよかったのにな……」

寂しげな表情とともに、リクはわずかに低い声を漏らした。

「その、アリーシャさんは帝都に何をしに行ったの? リク兄やラハルさんは引き止めなかったのかい?」

その問いに、絵を眺めていたリクが弟のほうを振り返る。

「……なんだ? ずいぶんと興味を持ってくれたようだな。引き止めたかった……が、さすがに相手が悪かったのさ」

リクの話すところによると、アリーシャは皇帝の側室として迎えられたらしい。

「え!? 皇帝の側室って……アリーシャさんって、もしかして現皇帝ミハサ様の母親とされているあの……」

「驚くのも無理はないか。お前も帝都にいたのなら知っているだろうが、そのアリーシャ様だよ。もっとも、今は所在不明だけどな」

レンとて、長く特務部隊に籍をおいていた手前、ミハサの母親の名前や、前皇帝が亡くなってから行方がわからなくなったという程度の知識はある。

しかし、まさかそれが話にあったアリーシャと同一人物だとは思っていなかったのだ。

「そりゃあ、また……相手が悪いよね」

「まあな。没落貴族の息子や辺境領主の放蕩息子が太刀打ちできる相手じゃない。だが……ラハルのやつは俺とは違う答えを出したんだろう。アリーシャが帝都に行ってからしばらく、あいつはずっと悩んでいたみたいだった」

結局ラハルは、帝都に行くと言い残して姿を消したらしい。

酒場の店主も言っていたように、ラハルが辞めたのはその頃だろう。

「アリーシャが心配だったんだろうが、今頃はどうしてるんだろうな」

「それ以来、ラハルさんとは会ってないの?」

「……ああ、二人とはそれきりだ」

机にある書類の束を、目線を落とすことなくぺらぺらとめくるリクの姿は、どこか遠くを見ているようで寂しげだった。

「さて、この昔話はこれぐらいでいいだろう。まだまだ他に積もる話はあると思うが、この書類を片付けてからにしないと、リーガルがうるさくてな。今夜はささやかな晩餐を用意させるから、またそのときに話すことにしよう」

「うん。どうせなら、話に出てきた酒場でリク兄と一緒に飲みたい気がするけどね」

そんなレンの提案に、リクは苦笑した。

「さすがに、今の俺があの酒場に顔を出せば騒がれるだろうな。お前はまだ小さかったから知らないだろうが、なかなか良い雰囲気の場所だし、一度は連れて行ってやりたいんだが」

――その言葉に、レンの身体が一瞬だけ硬直する。

今、目の前にいる兄がとても奇妙なことを口にしたからだ。

――”一度は”連れて行ってやりたい――

「ん? どうした、そんな変な顔をして」

レンは幼い頃、たしかに兄に連れられて話にあった酒場へ行ったはずだ。

もしかすると、リクは親友たちと楽しく過ごした大切な場所へ、弟を連れて行きたかったのかもしれない。

いや、きっとそうだろう。

「あのさ、リク兄……オイラ、その酒場に連れて行ってもらったことがあるんだけど」

思わず、そんな言葉が口を衝いた。

「そう……だったか? かなり昔のことだから、悪いがよく覚えていないな」

そういう……ものだろうか。

たしかに、もう十年以上も昔の話だ。記憶が薄れている可能性だってある。

しかしながら、レンの心の中で、もやもやとした違和感が膨らんでいく。

そもそも、彼がエリンダルまで来たのは、ほんの小さな違和感を拭うためだった。

久々に兄と話したときに感じた、微小な、棘のようなしこり。

母親にべったりで、あまり兄と親しくなかった姉のレイには、気にならない程度の不調和。

――それが、どんどん大きくなっていく。

酒場の看板娘も微妙に話が噛み合わないと言っていたが、思い入れのある酒場に弟をこっそりと連れていった記憶を、すっぽりと忘れてしまうことがあるのだろうか。

レンは知っている。

自分の兄は、そういったことを忘れる人間ではない、ということを。

そんなことがあるとすれば――それは……。

「どうしたんだ? レン。お前がそんな真剣な顔をするのは珍しいな」

一歩、歩み寄ろうとするリクに対して、レンは釣られるようにして後ずさった。

「……ねえ、リク兄。館からオイラを連れ出すときに使った秘密の抜け穴は、まだそのままになってるの?」

「ん? ああ、特に手を加えていないから、当時のままになっているはずだ。それがどうかしたのか?」

ごく自然ともいえる口調で、相手はそんなことを言う。

「うん、まあ……秘密の抜け穴なんて……――ないんだけどさ」

「…………」

しばしの間、静寂が室内を支配した。

遠くエリンダルの大通りの喧騒が聞こえてきそうなほどに、それは静かな時間だった。

先に口を開いたのは、現領主であるリクだ。

「……まったく、幼い子供を深夜の酒場に連れてくって……何を考えてるんだ、あいつは」

声や口調に変化はないが、レンには違いがはっきりと判る。

この男は、やはり違う。

自分が親しんだ相手では、ない。

「あんた――誰なんだ?」