作品タイトル不明
27話 英雄になりそこねた小物
深夜二時。魔の森は、静寂と不気味な気配に支配されていた。
でも私のテントの中だけは別世界なんだよね。
心地よい羽毛の寝袋に包まりながら、私は手元の小さな受信機に全神経を集中させている。
イヤホン越しに、カサカサと枯れ葉を踏む足音が聞こえてくる。
超小型集音マイクが、アレジオとその取り巻き三人の動きをしっかりと拾っていた。
『……よし、誰も起きてないな。予定通り、女子テントの裏にこれを仕掛けるぞ』
アレジオの得意げな囁きが聞こえる。
いよいよ、浅はかな英雄ごっこの開幕というわけだね。
私は音を立てずに寝袋から抜け出すと、以前購入した暗視ゴーグルを頭に装着した。
スイッチを入れて、さらに上からスッポリと光を反射しない特殊素材のステルスポンチョを被る。
これは五千ポイントほどで取り寄せた夜間迷彩グッズだ。
異世界の夜の森でこれを着て暗視ゴーグルをつければ、私は完全に闇に溶け込むことができる。
テントのジッパーを僅かに開け、私は音もなく外へ出た。
暗視ゴーグル越しの視界に、アレジオたちの姿がハッキリと映し出される。
彼らは女子テントから少し離れた場所で、怪しげな香炉を取り出している。
『いいか、火をつけたらすぐに女子テントの裏に置くんだ。……この魔物寄せの香の臭いが風に乗って森の奥まで届き、魔物が釣られてやってくるには、大体一時間くらいかかる』
『一時間ですか。けっこうかかりますね……』
『そのくらい待てないでどうする。僕たちはあっちの岩陰で待機だ。魔物が現れて女子たちが泣き叫んだら、颯爽と飛び出すんだよ。……ふふ、リナリーの奴、僕の頼もしさに腰を抜かして縋り付いてくるだろうな!』
「変な話ですけど、アレジオ様ってリナリー様とは、どこまでいってるんですか?」
「ん? それはもう、最後の一歩手前的な……」
「おぉぉ! すごいじゃないですか!?」
「リナリー様とあれこれできるなんて羨ましいっす!」
「まあ、僕の前では従順だよ?」
イヤホンから流れてくる妄想まみれの台詞に、思わず吐き気がこみ上げる。
なにが最後一歩前ですか……。
キスすらしたことないでしょうに。
しかしアレジオは本当に、心の底から自分が主役だと信じて疑っていないらしい。
取り巻きの一人が火をつけた香炉を女子テントの裏に隠すように置く。
そして彼らは足早にヒーローの待機場所である大きな岩陰へと移動していった。
さあ、彼らが岩陰に引っ込んだ。
ここからが一時間のタイムリミットを利用した、私の潜入ミッションね。
派手な飛び道具を使わなくても、彼らの愚かな計画を逆手に取る方法はいくらでもある。
私は周囲を警戒しながら、無音の足取りで女子テントの裏へと近づいた。
そこには、モクモクと紫色の煙を吐き出す香炉が置かれている。
独特の嫌な臭いが鼻をつく。
「……こんなもの置いておいたら、本当にロリナたちが危ないじゃない」
私は耐熱アウトドアグローブを取り寄せる。
焚き火の熱い鉄板でも平気で持てる優れものだ。
グローブを嵌めた両手で、熱を持った香炉をひょいと持ち上げる。
暗視ゴーグルでアレジオたちが潜んでいる岩陰の位置を確認し、音を殺してその裏手へと回り込んだ。
彼らは岩陰から、女子テントの方向を注視しているため、背後の暗闇から私が近づいていることには全く気づいていない。
私は岩陰のすぐ後ろ、アレジオの背中から数メートルしか離れていない茂みの中に、そっと香炉を置き直した。
最後に、私は少し離れた木の幹に『暗視・防水機能付きトレイルカメラ』を括り付ける。
六千ポイントと安価だけど、日本でも使ったことがある。機能はちゃんとしている。
これを岩陰全体が映るようにアングルを調整した。
よし、ミッションコンプリート!
私は再び闇に溶け込み、自分のテントへと無事に帰還した。あとは、安全な寝袋の中からイヤホン越しに結末を見届けるだけだ。
☆
およそ一時間が経過した頃。
アレジオたちの潜む岩陰から聞こえる声に、焦りと期待が混じり始めていた。
『アレジオ様、そろそろ一時間経ちますよ』
『ああ、間違いない。……ほら、森の奥から足音が聞こえてきただろう?』
確かに、遠くからドタドタという複数の重い足音が近づいてくるのがわかる。
低く唸るような声も混じっていた。
『さあ、剣を抜くんだ! 悲鳴が聞こえたら一気にいくぞ!』
アレジオが鼻息を荒くして囁く。
だが、彼らは致命的な勘違いをしていた。
魔物の群れ──数匹のホーンウルフと、巨大なフォレストボア──が向かっているのは、彼らが見つめている前方の女子テントではない。
強烈な誘引剤の臭いを放つ、彼らの真後ろだ。
『……あれ? なんだか足音、こっちに向かってきてませんか?』
『馬鹿言え、香炉は女子テントに置いたんだぞ。こっちに来るはずが……』
アレジオが振り返った直後。
静寂な夜の森に、取り巻きたちの絶望の悲鳴が響き渡った。
「ぎゃああああああああっ!? なんでだ! なんで真後ろにいるんだぁぁぁっ!!」
魔物たちは自分たちのテリトリーに強烈な臭いを放つ侵入者がいると判断し、容赦なく岩陰に襲いかかる。
アレジオたちは完全に虚を突かれ、腰を抜かした。
剣を振るう余裕などあるはずもなく、取り巻きたちは一目散に逃げ出そうとして互いにぶつかり、無様に転倒している。
「誰か助けてくれぇぇぇっ! アレジオ様、食われるっ、助けてくださいっ!」
先ほどまでの英雄気取りはどこへやら。
取り巻きたちは地べたを這いずり、恐怖のあまり下半身を濡らしている。
「叫んでないで君たちも戦え! 英雄になりたくなりのか!?」
「こんな強そうなの来るって思わないじゃないですか!」
「クッ……なんて使えない奴らだ……」
アレジオだけはプライドがあるのか、必死に魔物と戦うも、取り巻きが使えないので分が悪い。
キャンプ地全体が、その尋常ではない騒ぎに飛び起きた。
女子テントからもロリナたちが顔を出す。
「なにが起きてるのよ!?」
そこへ、誰よりも早く動いた影があった。
アバイン先生だ。
彼は寝巻き代わりの軽装のまま、剣を片手に凄まじい速さでアレジオたちの元へと駆けつけた。
「オレがやる。下がってろ」
アバイン先生の怒号と共に、銀閃が走る。
魔物の群れは、その圧倒的な武力によって瞬く間に蹴散らされていった。巨大なフォレストボアが一刀両断され、ホーンウルフたちは恐れをなして森の奥へと逃げ帰っていく。
魔物が去った後の岩陰には、ガタガタと痙攣するように震えるアレジオたちが転がっていた。
「……おい貴様ら。こんな夜中に、ここで何をしていた?」
アバイン先生の声は低く、地獄の底から響くような怒りに満ちていた。
アレジオは震える指で、遠くの女子テントを指差した。
「せ、先生……! あそこに、魔物が向かうのが見えて……。僕は、みんなを守ろうと、ここで待ち伏せを……っ!」
アレジオの見え透いた嘘だ。
私はポンチョとゴーグルを脱ぎ捨て、トレイルカメラを回収する。
ついでにボイスレコーダーもスイッチオンと。
「本当にそうでしょうか?」
私は手元にあるデジタルカメラの液晶画面を確認する。
アレジオたちの悪行がバッチリと写っている。
私がお香を仕掛けたところはカットしておく。
準備が整ったので、アバイン先生に声をかける。
「映像を記録する特殊な道具です。仕掛けていたこれになにが起きたか残っています」
「……なぜ仕掛けていた?」
「妙な声が聞こえてきたんです。英雄になるとか、女子にモテたいとか。だから念の為」
「なるほどな。見せてみろ」
機器を操作して、記録していた画面を再生する。
そこには、アレジオが女子テントを狙って魔物寄せの香に火をつける姿から、それを設置する取り巻きの姿、さらには岩陰で笑い合ってる映像までが、記録されていた。
記録時間はそれぞれ短いが、犯行を証明するには十分だろう。
「リナリー、相変わらず凄い道具を使うな……。夜間でもこんなに撮れるとは驚きだ……!」
「時刻も記録されていますよ。アレジオ様が香を設置したのが二時五分。そして魔物に襲われたのが三時ですね」
アバイン先生が画面を覗き込み、額の血管がドクンと脈打つ。
「……アレジオ・ブスマン」
「……先生、違うんです、これは……ちょっとした悪戯のつもりで……!」
「悪戯で魔物を呼ぶ奴があるかっ!」
アバイン先生の咆哮が森を震わせた。
彼はアレジオの襟首を掴み、まるでボロ雑巾のように軽々と宙に持ち上げた。
「貴様のような腐った根性の持ち主が、騎士を目指すなど片腹痛い。この件は学園長に即刻報告する。それからブスマン伯爵家にもだ! 貴様がしでかしたことは、もはや学生同士のトラブルでは済まん。覚悟しろ!」
「……冤罪だ! リナリー、あれを捏造したんだろう!?」
「なんの話かわかりません」
アレジオの訴えは即座に否定しておくに限るよね。
そしてアバイン先生の目は一切の容赦を許さない。
取り巻きたちも、その場で膝をついて顔を覆っている。
騒ぎを聞きつけて集まってきたクラスメイトたちからは、容赦のない軽蔑の視線が突き刺さっていた。
「最低……。私たちを囮にしたの?」
「英雄どころか、ただのクズじゃない」
「アレジオ様って卑怯すぎる……」
女子たちのヒソヒソ話が、アレジオのちっぽけなプライドを粉々に砕いていく。
彼が望んでいた英雄への称賛は、一瞬にして犯罪者への蔑みへと塗り替えられたのだ。
そしてこれは、私にはどうしても必要なことだった。
私がアレジオと離れるために、彼の失態の証拠をなるべく多く集めたい。
「リナリー、あんたのおかげで騙されずに済んだわ」
「リナリーさん、ありがとうー!」
「はい、みんなの寝顔はこのリナリーが守りますよ!」
調子に乗ってみたところへ、女子たちからの感謝ポイントが次々と入っていく。
「私がこれで魔物が戻ってこないか監視するので、みんなは朝まで眠ってください」
これで朝起きたら、その分の感謝ポイントもいただける。
ロリナが心配そうに言う。
「でも、あんただけ頑張らせちゃ悪いわ」
「いいんです。それより、耳栓を使ってください。アレジオ様たちがうるさいので」
彼らはアバイン先生にお尻百叩きされており、汚い悲鳴が森中に響いている。
女子たちに耳栓をあげると、小さめだけどまた感謝ポイントをもらった。
今日はウハウハ(死語)だぁ。
みんながテントに戻ると、私はアレジオたちの歪んだ顔を眺め、ブラックコーヒー片手に乾杯した。