軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

魔弾の射手とシャトンの危機

ヤバい、と直感が告げた瞬間、思考すら置き去りにし、シャトンはその身に刻み込まれた生存本能と反射だけで、アレクサンドラの影から飛び出していた。

アレクサンドラの影は現在その足元にわだかまっているだけで、他に接している部分はない。となればイチかバチか――虎口を逃れて竜穴に入る覚悟で――実体をさらして、物理的にこの窮地を脱するしか方法はなかった。

とはいえ、部屋の出入り口は閉まっている上に外には警備の騎士がいる。戦って負ける相手だとは思えないが、余計な時間と隙は見せたくはない。そうなると 硝子(ガラス) が張られている窓を突き破って、ここが何階かはわからないが、手足の一、二本を犠牲にしてでも一瞬でも早くこの部屋から逃れなければならない。

シャトンは駆け引きも何もなく、ただひたすら首筋のあたりに感じる死神の吐息から逃れるため、三メルトばかり――だというのに永遠にも感じるほど――離れた窓に向かって、わき目もふらずに一気に跳んだ。

「〝 影分身(シャドウ・ブランチ) ”!」

同時に目くらましの術を放つ。

刹那、妙に存在感のないシャトンをかたどった人影が、瞬時に六体の立体化した影に分裂するや、それぞれがバラバラに窓に向かって跳躍するのだった。

危機に際して咄嗟に逃走用の術を放つことができたのは、当人の才能もさることながら、いざという場合に備え、前もってルーチン化された技術を、彼女の師匠である〈 影法師(シャドウ) 〉によって叩き込まれていたからに他ならない。

「『 影分身(シャドウ・ブランチ) 』か。本来なら本体に準じる実体を持った影を分裂させるスキルだけれど、モドキもいいところ……センスはあるけれど、まだまだ未熟ね」

もっとも一歩引いたところでこの逃走劇を眺めていたゾエが、誰にも聞こえないくらいのひっそりとした口調で、シャトンにダメ出しをしていたが……。

「ぬっ!? 曲者か!!」

突然自分自身の影の中から現れた怪しい人影に向かって、アレクサンドラが腰の剣を一息に抜くと、何らかのスキルなのか、手近にいたシャトンの影三人分を、ほとんど一刀のもとに切り捨てた。

「〝秘剣・瞬殺バラバラ斬り”!」

「「「「 ダサい(ダサっ) 」」」」

クールな見た目に反して、あんまりなアレクサンドラのネーミングセンスに、思わず本音ツッコミを入れるシャトンとその分身たち。

心なしかエグモントとシルティアーナ姫、ゾエも反射的に頷いて同意したような気がした。

「ちっ! 小細工を――!!」

斬った手ごたえがなかったことで、仕損じたことを悟ったアレクサンドラが、さらに追撃の刃を放とうとしたところで、ゾエがまったくの別方向を指さして指摘する。

「これら影はすべて目くらましのようですね。本体は『 隠身(ハイド) 』で姿を隠して、貴女の背後から逃走しようとしています。衝撃を加えれば『 隠身(ハイド) 』は解けますので――」

「――ははっ!」

皆まで言わせることなく、身を捻ったアレクサンドラが背後の何もない空間に向かって幾重にも剣を振るう。

暴風のような刃が背後にあった壁を削り、出入り口の扉を細切れにする。

「――にょにょあ……!?」

いくつか掠めた刃の影響で『 隠身(ハイド) 』が解けて実体をあらわにするシャトン。だが、同時に『 影分身(シャドウ・ブランチ) 』の分身が窓に突入し、我が身を消滅させるのと引き換えに窓ガラスを押し破った。

「な、何事ですか!?」

「いかがなされましたっ!?」

扉の前に立っていた女騎士ふたりが、寸断された扉の残骸の向こう側から、血相を変えて飛び込んでくる。

「ほい――っ!」

その場にいた全員の意識がわずかに逸れたその一瞬に、シャトンは丸い 保護眼鏡(サングラス) をかけると、懐から取り出した一枚の護符を床に叩きつけた。

「ぬっ!?!」

慌てて剣先をシャトンに向けたアレクサンドラだったが、タッチの差で床に付いた護符が眩い……直視した目が潰れそうな閃光を放つ。

「「うわああああああ~~~っ!!!」」

「「くっ!」」

「!?」

「姫様、こちらへ!」

圧力さえも感じる光の奔流に、思わず身も世もない悲鳴をあげる女騎士たちと、咄嗟に腕で目をカバーするアレクサンドラとエグモント。

そして呆然とするシルティアーナ姫をかばって、ゾエがその頭を抱えるようにして避難させるのだった。

光の爆発は数瞬のことだっただろうが、ようやく全員の視力が回復してきた時には、すでにこの場には 闖入者(シャトン) の姿は影も形もなく、いまになって慌ただしくここへ向かってくる部下たちの足音と混乱した叫びを聞きながら、

「侵入者である! 白猫の 獣人族(ゾアン) だ。まだ遠くへは行っていまい。『カトレアの娘子軍』の名において、決して取り逃がすな! 私もすぐに向かう!!」

そう叩きつけるように言い放つアレクサンドラ。

「「はっ!」」

状況についてこれずに呆然としていた護衛の女騎士たちだが、即座に我に返ると集まってきた仲間たちに、この命令を伝え、可及的速やかに実行させるべく一礼をして、逃げるようにこの場を後にするのだった。

破れた窓から飛び出して、目に付いた場所に不可視の糸を伸ばし、勢いを減じながら屋敷の庭に下り立ったシャトン。

「さすがは聖女サマ謹製の護符ですにゃ。一発で使い物にならなくなるのはもったいないですけど、命には代えられないですからにゃ」

「な、なんだ!?」

「空から人が?!」

「先ほどの閃光と何か関係があるかもしれません!」

「とりあえず拘束しておくか。――おいっ!」

警戒中の娘子軍の警備員が、異変を察してシャトンに各々の武器を構えて(同一規格の武器防具を配給できるほどの余裕と時間がなかったため、大部分の兵士は自前の装備である)詰め寄る。

「怪しい者なので逃げますにゃ」

ぬけぬけと人を食った態度で言い放つと、シャトンはその場から脱兎のごとく駆けだした。

「「「「!!」」」」

怪しい相手とはいえ、見たところ自分たちと同年配の同性に向かって武器を振るうことを躊躇う兵士たち。

「この辺りが寄せ集めの限界ですにゃ~」

『とある場所でのデータですが、十全に訓練された兵士であっても、初戦において相手を狙って引き金――いえ、飛び道具であっても直接〝殺害”という行為ができるのは十人にひとりと言われています。残りはわざと明後日の方向に撃つか、撃てないか……それくらい殺人に対する禁忌は根強いものですわ』

ふと、シャトンの脳裏にいつか……中原動乱の際だったか、 四方山話(よもやまばなし) でジルが話していた言葉がよみがえった。

「 娘子軍(こいつら) みんな 処女(おとめ) ですにゃ」

与しやすし、と思う反面、いろいろと擦り切れて殺人に対する禁忌がない自分の在り方に苦笑いを浮かべるシャトン。

『そもそも殺人は犯罪ですし、倫理にも反しますので、殺人に禁忌があるのは当然ですわ。むしろなんとも思わないのでしたら、一度サイコパス診断を受けることをお勧めします』

追撃のようなジルの台詞を思い出して、自分はろくな死に方をしないだろうな~、と思いながら建物の影に隠れようとしたところで、本能的な違和感を感じで飛び退ったシャトンの顔のあったあたりを、鍛えられた兵士の太腿ほどもある、真っ黒で鉤爪が伸びた腕が影の中から浮かび上がり、猛烈な勢いで通り過ぎて行った。

「ぐあっっ!?!」

「きゃああああっ!!」

軽く掠めた――否、剛腕の余波だけでシャトンの前髪と、迂闊に詰め寄ろうとした女兵士が数名なぎ倒される。

「にゃ、にゃんですか~!?」

愕然とするシャトンに向かって、そのお株を奪うかのように影の中から湧き出す、全身漆黒のラバースーツをきているような、目も鼻もない、その代わりに頭に羊のような角と背中に蝙蝠のような翼、そして先端の尖った尻尾を持った巨漢。

「 〈夜鬼〉(ナイトゴーント) !? なんでこんな真昼間から……!」

愕然とするシャトンへ向かって凶刃を振るう 〈夜鬼〉(ナイトゴーント) 。

闇の眷属である 〈夜鬼〉(こいつ) は、思考形態も行動目的も常人には理解不能である。何らかの機構か昆虫のように、喜怒哀楽を発さず向かってくる様は不気味、異形としか思えない。それに何より――。

「『 影歩き(シャドウ・ウォーク) 』は無謀ですにゃ。水の中でサメと戦うも同然ですにゃから」

一瞬にして再び影の中に溶け込む 〈夜鬼〉(ナイトゴーント) 。

実質逃げ道を塞がれたシャトンへ向かって、屋敷から騎士たちを率いてきたアレクサンドラが迫り、さらに集まってきた兵士たちが殺気を漲らせて得物を向けるのだった。

「狼に率いられた羊の群れですにゃ。これはヤバいですにゃ」

洒落抜きで四面楚歌の状態に陥ったシャトンは、周囲をぐるりと見回してまだ少しばかり開けた空間があるのを確認するや、

「マジで破れかぶれですにゃ! 一頭が二頭、二頭が四頭、四頭が十六頭、十六頭が二百五十六頭……! 禁断の秘技『 豚走(とんそう) の術』っ!!」

数には数の暴力! ありったけの魔力を振り絞って、シャトンはその場に 豚鬼(オーク) を濁流のように召喚するのだった。

「うわっ、なんだ!?!」

「オ、 豚鬼(オーク) の群れだと!?」

「なんでこんなところに?!」

集まっていた娘子軍を遥かに超える数の 豚鬼(オーク) の群れを前にして、途端に混乱の 坩堝(るつぼ) と化して、 容易(たやす) く統制を欠く一般兵士たち。

屋敷中が大混乱になり、ちょうど 豚鬼(オーク) 狩りから帰ってきて、気を緩めていたオレリアたち遠征隊の元へも火急の知らせが飛び込んできた。

「大変ですっ! 豚鬼(オーク) 狩りの報復に、 豚鬼(オーク) どもが徒党を組んで逆襲にきましたっ!!」

「「「「「なぬッ……!?」」」」」

本来の命令――曲者が侵入したので、これを速やかに拘束せよ――が伝言ゲームの途中で追いやられ、さらには混乱を助長するかのような流言飛語まで飛び交う始末である。

「いけいけ! このまま正面玄関を突破するにゃ!!」

本来の姿を取り戻した腹心の 豚鬼姫(オーク・プリンセス) の背中に跨って、シャトンが力づくでの脱出を図る。

さすがに動き回る 豚鬼(オーク) の影からは攻撃しづらいのか、たまに気配は感じるものの 〈夜鬼〉(ナイトゴーント) も手をこまねいて機会を窺っているようであった。

レミングの行進のように一直線に屋敷の玄関へと突き進む 豚鬼(オーク) の群れ。

平均身長一・八~一・九メルトで、諸島列島のスモウレスラーのように肥満体に見えて、その実筋肉の塊である 豚鬼(オーク) たちの一団と化した突進を止められるほど無謀な者はおらず、自然と娘子軍の乙女たちがその進路から退避する。

だがさすがは精鋭を自負する『王女親衛隊』の騎士たちは、果敢に剣を抜いて着実に 豚鬼(オーク) を仕留めていく。さらにはアレクサンドラは、真正面から雪崩と化して迫りくる 豚鬼(オーク) の進路に立ち塞がると、

「――にゃんとォ!?!」

攻撃をすることも 豚鬼(オーク) の攻撃や体当たりに当たることもなく、巧みなフットワークと体術とを駆使して、まるで迷路を抜けるかのように涼しい顔で群れの隙間を巧みにすり抜け、群れの中核で指示を飛ばしているシャトンと 豚鬼姫(オーク・プリンセス) へと、するすると距離を詰めながら剣を抜くのだった。

慌てて迎撃しようとしたシャトンだが、その瞬間首筋に 氷柱(つらら) を当てられたかのような悪寒を感じて、ハッと振り返ってみれば、窓ガラスが破れた屋敷の上階から身を乗り出して、悠然とした態度で金色に光るマスケット銃を構えて、こちらに照準を当てているゾエの姿が目に入る。

「ヤバいヤバいヤバいヤバい! アレはヤバすぎますですにゃ!!」

慌てふためくシャトンに向かって剣を振り下ろしたアレクサンドラと、半ば無視された 豚鬼姫(オーク・プリンセス) が『王種』の名に懸けて、不遜な人間を成敗すべく拳を繰り出すのだった。

三十分後――。

「……ぜい、ぜい……ど、どうにか生きてるにゃ」

ズタボロになりながらも、お互いに消耗した 豚鬼姫(オーク・プリンセス) の肩を借りるようにして、シャトンが街はずれにある教会近くの路地を歩いて――足を引き摺って進んでいた。

豚鬼(オーク) のほとんどを犠牲にして、どうにか遁走に成功したシャトンだが、いまだに散発的に 〈夜鬼〉(ナイトゴーント) が追撃の手を緩めないので、まったく油断はできない状態だった。

「光系統の魔術か浄化術で退治するしかないですにゃ。聖女サマなら一発なので、そこまで行けたら生還ですにゃ……」

この先の教会で今日も炊き出しをやっているだろうジルに助けを求めるべく、最後の力を振り絞って歩みを進めるひとりと一頭。

と、いつものように長々とした行列を相手に、キラキラと光を放ちながら、にこやかに炊き出しをしているジルの姿が遠目に見えた。

「今日の献立は、豆腐と冬瓜のスープに大豆ミートを使った 炒り米粉サラダ(ラープ) 、精進出汁の 焼きそば(パッタイ) です。お持ち帰りを希望される方は容器をご持参くださ~い」

あそこまで行けば助かる。

まさに希望の光を目にした心持ちで、シャトンは足を引き摺りながら必死の面持ちで魂の叫びを放った。

「聖女サマっ、助けてにゃーっ!!!」

と、その叫びと前後して並んでいる炊き出しの列相手に、貴族世界や教団に関するジョークを吹聴して笑いを取っていたコッペリアの快活な声が響く。

「戦争に行った亭主を待っていた貴族の夫人に、執事が沈痛な顔で急報が届けられたことを告げました。『奥様、良い知らせと悪い知らせとがございます。気を落ち着けてお聞きください。まず旦那様が戦地でお亡くなりになりました』。それを聞いた夫人は、しばし瞠目してから改めて執事に問い返したそうです。『……そう。それで、悪いニュースというのは何なの?』と」

途端、聞いていた全員が『がはははははははははっ!!!』と、大爆笑を放って沸き立った。

爆笑に紛れてシャトンの悲痛な叫びがかき消され、そしてそのタイミングを計ったかのように、刹那、何処からともなく飛来した不可視の弾丸が、背後からシャトンの心臓を無慈悲に貫いたのだった!

「――!!――」

遅れて、銃声の幻聴が聞こえた気がして、暗転する視界の中、シャトンの脳裏に先ほど銃を構えていたゾエの姿が鮮明によみがえる。

同時に走馬灯だろうか、エグモント・バイアーの執務室で、シルティアーナ姫が現われた際に、ほんのわずか引っかかった 棘(とげ) の正体が、いまになって紐解けた。

(あれは……視線、タイミング、頭の向き……微妙にズレていた。エグモントもアレクサンドラも、ブタクサ姫にではなく……ゾエ・バスティアに恭順を……)

せめてこの事をジルに伝えねば。そう無念を抱きながら、シャトンは誰も注意を払わない路地裏で、ゴミのようにこと切れて倒れ伏す。

見開かれたままの瞳には、驚愕と諦観が混じっていたのだった。

同時刻、旧代官邸の窓越しに狙撃を敢行したゾエは、誰もいない場所で独り言ちる。

「『 不可視の(フィアファネス・) 弾丸(スフェラ) 』。一度狙いを定めて放てば、見えない弾丸が相手の心臓を貫くまで追いかける。影郎であれば対応することもできただろうが、お前如きでは何があったかも理解できぬだろう。――まさに〝好奇心猫を殺す”だわね」