軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

竜妃殿下は竜帝料理に連敗中

できると思ったんです、とジルは観念して自白した。

「だって、焼くだけだったじゃないですか……」

「うん、そうだね……」

フライパンを見ている夫が、神妙に頷く。視線の先には、黒焦げの物体があった。

昨夜から牛乳と砂糖を混ぜ合わせた卵液にたっぷり浸され、あとは焼くだけで本日の朝食になるはずだった、パンだったものである。

「わたし、表面かりかりのほうが好きで……バターたっぷりで揚げるみたいにしたらいいんじゃないかって、思ったんです」

「うん」

「でもバターあんまり使いすぎちゃだめかなって、油も入れたんです……」

「……うん」

「そしてかりっとさせるには強火じゃないですか!? 陛下が起きちゃう前に作らないといけないから、火力をあげるのは魔力のほうが早いと思って」

「うん、おおよその経緯はわかったよ……」

ちょん、とハディスがフォークで黒焦げの物体を突くと、炭のように崩れた。

「完全に消し炭だね。これはさすがに復活させられないなあ」

「ああああああ……!」

ジルは頭を抱えた。申し訳なさとおいしい材料を台無しにした悲しさでいっぱいだ。だが一番の被害者である夫はエプロンをつけて、卵と牛乳を取り出している。涙目でジルはそれを見あげた。

「どう、どうするんですか……あさごはん……」

「同じの作るよ。君、楽しみにしてたんでしょ」

「で……でもあれは、一晩つけないといけないんじゃ」

「時短の方法はあるから。パンの種類とか厚さ、焼き方とか、工夫すれば」

手早く深めの皿に卵液を用意したハディスが、サンドイッチによく使う柔らかいパンを出して切り、皿に浸した。その間にジルが消し炭にした物体の片づけを始める。あっあっとジルはうろたえた声をあげた。

「わた、わたしがやります!」

「ならいつもどおり、テーブル拭いて、食器を出してくれる?」

「了解しました!」

ばたばたと慌ただしくジルは言われたとおりに作業を始める。

きちんと水を切った布で、朝食をとるテーブルを拭いた。ついでに、庭へと続く大きな窓もあけておく。今日も日差しの強い晴天のようで、空は雲より竜の影が多い。ラキア山脈の麓、高所にあるノイトラール城は、夏でも朝はまだ涼しい風が吹くので有り難い。

ジルの夫ハディス・テオス・ラーヴェは先日やっと床から起き上がったばかりだ。暑さはこたえるだろう。朝ごはんを用意してくれるのだって久しぶりだったのに――焼くだけなら自分でもできる、早起きして喜ばせようと張り切って台無しにしたのは自分か。

どよんと落ち込みかけたジルの鼻先を、ふわりとおいしそうなにおいがかすめていった。ぱっと顔をあげて、台所に戻る。ちょうどバターをフライパンに溶かし終えたハディスが、卵液に浸したパンをじゅっと音を立てて焼き始める。

バターと卵、砂糖もまじった香ばしい匂い。じゅうじゅうと鳴る音――ジルはハディスの腰に抱きついて唾をのみ、焼き上がっていく朝ごはんを凝視する。魔法みたいだ。

腰に抱きついているジルを見おろし、ハディスが苦笑した。

「つまんじゃ駄目だよ」

「し、しませんよ!」

「じゃあ離れて、あぶないから。ほら、お皿出して。あと飲み物もだよ」

「はあい!」

元気よく返事をして皿を出す。ハディスが手際よくつけ合わせのサラダを用意しながら、小さく笑った。

「僕のお嫁さんは心配症なんだから」

「わっわたしはいつもどおりですよ!」

「そう? ならなんで、朝ごはんを作ろうとしたの?」

一瞬詰まったあと、ジルは胸を張って答えた。

「愛ですよ! 元気になった陛下に朝ごはん作ってあげたいっていう妻の愛です!」

どうだ反論できまいと鼻高々になっていると、まじまじとこちらを見ていたハディスが小首を傾げた。

「もっと可愛く言って?」

「はっ?」

可愛くって、どうすれば。うろたえたあとに、気恥ずかしさがじわじわこみ上げてくる。

頬を赤らめて答えないジルに、ハディスが笑みを深めて、火を止めた。

「僕のお嫁さんは可愛いなあ」

「……からかってますね!? もう、最近の陛下は生意気です!」

腰に抱きついて、ぎゅうぎゅうと締める。苦しいって、とハディスは文句を言いながらくすくす笑い、皿に焼きたての朝食をのせた。

「はちみつもかけてあげるから許して」

ひょいっと抱き上げられた。ね、となだめるような目。子ども扱いの、安全だと教えられた距離。

「心配しないで。大丈夫だから」

――でもいつもなら、ジルが好きだって言うだけで真っ赤になって、倒れるくせに。

最近のハディスはあまり動揺しなくなった。

今はラーヴェ帝国の主要都市である水上都市ベイルブルグがクレイトス王国に占拠されるという、非常時だ。皇帝であるハディスには迅速かつ冷静な判断が求められる。だからいいことだ。決してジルの言葉が上滑りしているわけじゃない、そう言い聞かせる。

ハディスがふっと遠い目になった。

「陛下?」

「……ううん、たいしたことじゃないよ」

曖昧に笑ってごまかされた。むっとしたジルはその頬を思い切りつねる。

「ぃたたたたた」

「ちゃんと説明してください。竜でしょう?」

竜帝であるハディスは竜の動向を追える。今も、ベイルブルグを中心に竜の目と耳を介して情報を集めているに違いない。きちんと斥候も出しているのに、集めずにいられないのだ。

竜神ラーヴェの、育て親の居場所と安否を。

「本当にたいしたことじゃないんだけど……ベイルブルグにクレイトスの軍艦が向かって」

「たいしたことじゃないですか! 国境は? 援軍ですよね」

「平気だよ。沈めたから」

「は?」

ハディスはつねられた頬をなでながら、口元だけで笑う。

「海竜に沈めさせた。朝ごはん食べたら、回収に向かわせよう」

「か、回収って捕虜ですか」

「え? クレイトスの捕虜なんていらないでしょ」

鼻で笑ったあと、ハディスがジルを床におろす。

「物資とあとは携帯できるっていう転送装置とか見つかったらいいよね。さ、朝ごはんにしようジル。今日からは僕、会議に出てもいいんでしょ?」

ハディスの熱が下がって三日目。もう、ハディスを寝台に留め置くことはできない。

覚悟を決めて、ジルはハディスを見つめる。

「補給線を絶つんですね、ベイルブルグの」

「定石でしょ?」

ベイルブルグには北方師団の兵やまだ住民が残っている。補給線を絶てば、誰が真っ先に犠牲になるのかは目に見えていた。

だが、ベイルブルグへの増援や補給を見すごすわけにはいかない。ハディスの判断は戦略的に正しい。

「クレイトスが人道的なら、まだ一ヶ月は水も食料ももつはずだからね。それとも君は反対するの?」

ハディスがわざとらしく首をかしげる。むかっ腹が立ったジルは、精一杯背伸びして、両腕を伸ばした。なんだと誘われたようにハディスが腰を屈める。

その頬を両手でつかんで、頭突きした。

「ったぁ!」

「反対ではないです。でも、わたしに相談する時間くらいありましたよね?」

間近でにらまれ、ハディスが目をまるくする。

「でも僕、皇帝だよ」

「ならわたしはお前の妻だが!?」

腰に拳を当て、胸を張る。ハディスはうーんと思案してみせてから、真面目な顔になった。

「わかった。今のは僕が悪い」

「ほんとですか? ちゃんと話し合うって約束できますか?」

「うん」

「みんな、早くラーヴェ様を助けたいしベイルブルグを取り戻したいんですからね。陛下だけじゃないんです。その辺もわかってます?」

「わかってるつもりだよ」

「わたしの目の届かないところへ勝手にいくのも禁止ですからね!」

「わかってるって。だって――」

ラーヴェの言いつけだから。

そう言うかわりに、ハディスがジルの左手の薬指をちらと見た。竜妃の証、竜神ラーヴェの祝福を受けた金の指輪だ。ジルは唇を引き締める。

怖じ気づいている場合ではない。だって、頼まれたではないか。

「いい子です、さあごはんを食べますよ! さめちゃいます!」

朝食の皿をふたりぶん持って運ぶ。ハディスはちゃんと、うしろについてきた。