作品タイトル不明
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ジルが案内されたのは古びた貴族の館だった。周囲は森に囲まれており、民家らしき建物がぽつりぽつりと木々の間から見えるだけで、道も舗装されていない、静かな場所である。
背の高い針葉樹が影になって、日光も差し込みにくいようだ。朝から雨が降っているせいで、昼間のはずなのに、薄暗い。
(上空からは見つけにくいだろうな……)
時折風に吹かれて外から聞こえるかすかな笛音は、ひょっとして竜よけだろうか。
応接間の窓から離れたジルは、ソファに腰を下ろした。既に両手の手枷ははずされ、自由になっている。客間から出ることはできないが、それ以外は快適だ。湯浴みにも食事にも何も仕込まれず、事件は起きていない。
このまま放置されるなら自ら事件を起こしてやるつもりだったが、先ほどやっとカニスからお茶の誘いがきた。
(わたしひとりなら、脱出はできる……が、本当に置いていっていいのか見極めないと)
魔力は回復しつつあるが、フェイリスとは引き離され、あれきり顔を合わせていない。
フェイリスは聖槍の在処をさぐると言っていたが、交渉の手段があると思えなかった。女神の器として莫大な魔力を持っているが、戦闘経験もろくにない少女だ。聖槍もない。しかも魔力を使えば、体調を崩す。かつても今も、それは変わりあるまい。
菓子台にあるマカロンやクッキーをぱくぱく食べながら、ジルは思案する。保温カバーをはずしたポットから、紅茶をどばどば注いだ。スフィアやカサンドラの小言が聞こえる気がしたが、今は非常事態だ。魔力の回復のためにも、糖分を補給しなければならない。
甘いもののなかにあるチーズ入りのマフィンがなかなかおいしい。今度、ハディスに作ってもらおう。ジルが姿を消したことで、またこじらせてないといいけれど――いや、こじらせている、絶対に。そういう夫だ。そのうえで行動しなければいけない。竜妃は大変だ。
「もしこじらせてなかったら、今度デートに連れ出してあげようっと」
呼び鈴が鳴り、ジルはゼリーをすくうために取ったスプーンを置き直した。
やっと本日のお茶相手の登場だ。
「すみません、お待たせしてしまいましたね」
からになった菓子台をちらと見たカニスは、追加を控えの侍女に命じてから、正面の席に腰をおろした。
「竜妃殿下に大きな怪我はないと聞きましたが、モエキア派の連中は乱暴な魔術を使う者が多い。体調に異変などはありませんか?」
「おかげさまで何も。魔力も戻ってきてます。それで、用件は?」
「おや、おかしなことをおっしゃる」
組んだ足の膝上に手を乗せ、カニスが笑う。
「用件がおありなのは竜妃殿下でしょう。さあ、どんなお話を聞かせてくださいますか? 私、おしゃべりなのでいくらでもおつきあいしますよ」
ためすような視線に、ジルは顎を引いた。
「――今すぐフェイリス女王陛下と聖槍をわたしに引き渡せ。そうすればここを壊滅させるまで、逃げる猶予をやる」
「いきなり物騒ですねえ。今の女王陛下には休養が必要ですよ。何より、聖槍の在処をご所望だ。そちらがはっきりするまではここにご滞在なさるそうですよ」
「では、端的にいこう。聖槍はどこにある?」
「鋭意調査中です」
目を細めたジルに、カニスが首を横に振る。
「嘘偽りなく本当です。今回、聖槍を強奪したのはモエキア派ですので」
「それを信じろと? お前たちは今、女王を監禁してるじゃないか」
「人聞きの悪い。保護しているのです。モエキア派はこれまで散々女神の力を掠め取ろうとして器に手を出し、失敗しています。もう器にうまみはないと判断し、竜の王を囮にして馬車に仕掛けをし、あわよくば竜妃と女王を死体にする作戦を決行したのですよ」
あの馬車の爆発にこめられた意図があまりにも乱暴で、逆に呆れてしまう。
「……じゃあお前たちが女王を助けた理由は?」
「おわかりでしょう。聖槍が女神の器の手になくては、竜帝の天剣に対抗できない。困るのですよ、竜帝と竜神だけ残されても」
口端を持ち上げ、カニスは虚空を見つめ笑う。
「神を気取る化け物同士、潰し合ってもらうのが一番効率的です。――ええ、もう少し。あと少しですよ。我々はもう、そこまでやってきた」
噛み殺した笑いと一緒に、カニスの胸で金の十字架がゆれる。蛇と林檎を刺し貫いた剣が交差する十字架を、彼らは隠そうともしない。
背中に冷えたものが一筋、落ちていった。
「聖槍を奪い、女王の地盤をゆるがす程度なら、悪くない作戦ですがね。女王本人を始末しようというのは、さすがに保険をかけなさすぎる。今、女王を殺せば次世代がどうなるのかという純粋な興味はありますが、そこから導かれる未来を考えると見過ごせない」
「……たとえば、ジェラルド王子が、護剣を持てなくなるとか、か?」
この男がどこまで知っているのか、かまをかける覚悟で尋ねると、カニスは鼻で笑った。
「あるいは、クレイトス王家そのものが途絶えるかもしれません」
「そこまでは大袈裟だろう」
「クレイトス王家は兄妹でしか子どもが生まれないという噂が昔からあるんですよ」
息を呑んだジルに、カニスが肩をすくめる。
「モエキアの連中の妄想かもしれませんがね」
「……っいくら妄想でも、不敬すぎるだろう!」
「我々に不敬を説くとは、面白い御方だ」
一笑されたが、言い返せない。前のめりになった姿勢を正し、深呼吸する。
(落ち着け。嘘か本当かわからないことを、平気でまぜてくる相手だ)
カニスは涼しい顔で新たに運ばれてきたケーキの皿をジルのほうに押しやり、紅茶のカップをひとくち飲んだ。
「ただ、奴らの心情は理解できます。常にクレイトス国王という男を盾に、日陰に隠れ、無責任な慈悲を振りまくだけで被害者面をしていた女神の器が、今になって厚顔無恥にも女王を名乗り始めたんです。我慢ならなかったのでしょう。ですが、私どもに言わせれば今更ですよ。我々が何年、竜神、竜帝という化け物の支配に耐えてきたのか」
「――それでよく、わたしを歓待する気になったな」
のせられないよう、慎重に言葉を選ぶ。カニスは胸の十字架を握った。
「竜妃は竜帝の盾、自覚なき被害者です。話し合えると我々は考えていますよ。我々は決してあなたの敵ではありません、ジル様。ただ、神から自立したいだけなのです」
眉をひそめたジルに、カニスはまぶたをふせる。
「竜神の力で空を飛び、女神が祈れば大地が潤う。でも大昔、ヒトは空を飛ぶ道具も、大地に実りをもたらす知恵も持っていたのです。神の力も借りず、魔力もないままの、ただのヒトがですよ」
「……今だって、ラーヴェではおいしい果物や穀物を育てようと知恵を絞っている。クレイトスだって、魔力を使ってみんな空を飛ぶじゃないか」
「それは竜神と女神の基準を満たした、一部の者たちに許された特権です。ラーヴェでは竜神に反する知恵は書き換えられ、クレイトスでは愛のない子には魔力を与えられない」
前者は実際、目にしたことがある。竜を操ろうとした人間の長年の知恵を、竜神ラーヴェは一瞬で台無しにした。竜を守るために正しかったとジルは言いたい。だが、竜の研究を台無しにされた人物にとっては、どうだっただろう。
後者で浮かぶのは、かつての副官の姿だ。クレイトスにおいて魔力の少ない人間は、将来の選択肢が狭められる。知恵者で頭の回る副官が、魔力がないというだけでどれだけ侮られ苦労を強いられたか。
「あなたのご実家も、もし女神の実りという脅しがなければ、敵対せずにすんだのではないですか。そもそも、敵国という概念すらなかったかもしれません。ひとつの大陸をわざわざふたつの国に分断したのは、竜神と女神の都合。彼らがヒトを争わせる種をまいているのです」
「……だから、プラティ大陸は神から解放され統一されるべきだ、とでも?」
大昔、そういう思想が流行って大きな政治運動になったと聞いたことがある。今でも、路地裏にある定番の落書きだ。
「そうです。いつまでも女神と竜神に搾取されていてはならない。ヒトは神の支配から逃れるべきです。あなたももちろん、器である女王も竜帝も、ひとしく皆、被害者だ」
――すべてを燃やし尽くそうとするかつてのハディスの姿が、脳裏をよぎった。