作品タイトル不明
17
髭をなでながら訓練場に出てきたのは、紳士らしい出で立ちの初老の男性だ。見覚えがある顔だった。確か、パンフレットだ。
(……そうだ、グンター校長。金竜学級の主任教官もやってる……)
物々しく警備兵をつれた校長が、ノインの横に並ぶ。
「どうしたんだね、ノイン君。こんな溝鼠ども、死なぬ程度に焼き払ってしまえ、竜で」
「……申し訳ありません、グンター先生。ただ、竜が不調なようで」
「ふん。なら笛を使えばよかろう」
笛。ぴくりと眉を動かしたジルは、まだしゃくりあげているローをソテーのそばに置き、急いでグンターに駆けよった。
「あの、笛ってなんですか?」
「なんだね、この子どもは?」
「……蒼竜学級の、新しい先生です」
ノインが控えめに横から口添えしてくれる。じろじろと眺められたあと、鼻で笑われた。
「溝鼠学級には関係ない話だ。しかしこんな子どもをよこすとは、本国はどれだけ我々を馬鹿にすれば気が済むんだ。案の定、まともに溝鼠を制御もできない」
「それは……申し訳ないです。ですが、幸い怪我人も出てません。生徒たちにはよく言って聞かせますから――」
「溝鼠に人間の言葉がわかるものか。――そうだ、たまには動く標的での訓練もいい。金竜学級。全員、戦闘用意」
目を丸くするジルの前で、ノインを除く金竜学級の生徒たちが慌てて身構える。警備兵たちもだ。数の多さにさすがに蒼竜学級の生徒たちが青ざめてあとずさった。
「まずい、ルティーヤ殿下。竜が使えなくても……」
「全員、逃げろ。僕には魔力があるし、僕が前に出てれば、必ず隙ができる」
「学習できないのは溝鼠ゆえの知性のなさかかね? なぜ自分が溝鼠に落とされたか、まだわかっていないようだ。本国のおこぼれにも預かれぬ、役立たずが」
「大丈夫か、ジル先生。怪我は」
にらみあう集団からそろそろ抜け出してきたのは、ロジャーだった。
「はい、わたしは……あの、あれ、冗談ですよね。本気で生徒を攻撃したりしませんよね?」
「……校長はラーヴェ嫌いだからな」
「だからって、生徒ですよ? 学生相手に」
戸惑っている間に、ノインが前に出た。
「あの、先生。もう授業が始まる時間です。本来の授業をしたほうが」
「まさか庇う気かね、ノイン君。お前も所詮、父親と同じ本国に媚びる売国奴か?」
痛いところを突かれたようにノインが黙る。グンターが声を張り上げた。
「いいか、奴らはただの的だ。魔力も武器も使用許可をする。怪我をさせてもかまわん。どうせ懲罰房いきだ、同じことだろう」
金竜学級の生徒たちが手首につけているブレスレットが光った。魔力の制御を助ける魔具だろう。舌打ちしたジルは、地面を蹴り、ルティーヤたちの前に躍り出る。気づいたルティーヤが声をあげた。
「なんで、おま――」
綺麗な魔力の一斉攻撃が飛んでくる。だが所詮、教本どおりの攻撃だ。
ジルは腕をぶんと横になぎ払い、吹き飛ばした。
破裂音と砂埃をあげながら、あっという間に攻撃が霧散する。結界を張る必要すら感じなかった。きっとあくまで訓練だから、手加減していた。そういうことにしておこう。
でなければこれが教師のやることかと、感情のまま怒鳴りつけてしまう。
「なんだ、不発か?」
「どうした、何があった。また溝鼠が何かやったのか!」
訓練場の地面から砂煙が晴れて、グンターや生徒たちが戸惑っている。ジルはまず、呆然としている蒼竜学級の生徒たちに振り向いた。
一部の生徒はびくっと身じろぎする。ということは、何が起こったのかわかっているということだ。ルティーヤも顎を引いて警戒を見せる。だがすぐに、わざとらしい笑顔を浮かべた。
「すごいね先生! 僕らをかばってくれるなんて。ありがとう、嬉しい――」
手の甲で、ルティーヤの頬を張り倒した。ぱんと乾いた音が響く。それなりに力をこめたので、ルティーヤが尻餅をついた。
周囲が今までで一番、静まり返った。上からルティーヤを見下ろし、ジルは冷たく告げる。
「上官がやめろと言った。それを無視した。軍なら命令違反で処罰対象。――士官学校でよかったな。叩かれる程度ですむ」
赤くなった頬を押さえていたルティーヤが、我に返って唇に笑みを浮かべる。
「僕を誰だと思ってる? いくら担任だからって、こんなことしてただじゃすまないよ」
「知ったことか。わたしは必要なら竜帝だって踏みつける」
冗談だと思ったのかルティーヤが一笑するが、事実だ。久しぶりの同衾だったせいか、昨夜は寝台の端まで蹴って追いやってしまって、反省したばかりである。
ジルは腰で両手を組み、背筋を正して生徒たちに向き直る。すうっと大きく息を吸った。
「傾注!」
それなりに訓練はされているのか、反射のように生徒が立ち上がり、背中を伸ばした。全員に正しい姿勢を叩き込んでやりたいが、あとまわしだ。
「自己紹介が遅れた。蒼竜学級の生徒諸君、わたしが今日からお前たちの先生だ。気軽にジル先生と呼んでくれ。見てのとおり、お前たちより華奢でいたいけな愛らしい少女だ。年齢も十一歳。必要以上にかしこまる必要も、まして脅える必要もないだろう?」
あくまでにこやかに、威圧的に、笑いかける。だが見た目と文言どおり受け取る馬鹿は、幸いにもいないようだった。さぐるような眼差しで、全員がジルを注視している。
「さて、諸君。わたしは昨日からお前たちの品性ある行動に感動しっぱなしだ。なるほど、溝鼠と呼ばれるにふさわしい素晴らしい学級だ。だが溝鼠にも溝鼠の戦い方があり、生き方がある! それをわたしが教えてやる」
宣言したジルに、戸惑いの表情が返ってきた。ルティーヤが真っ先に、警戒と困惑をまぜた表情でこちらをにらむ。
「あいにく、教えてもらうことなんてないよ」
「ふん、こいつらが溝鼠だとは認めるか。それなりに話はわかるようだ、ジル先生は」
うしろから近づいてきたグンターに、肩をつかまれた。
「本国は黙ってうちのやり方に合わせたまえ。先ほどの行動は手違いがあったということにしよう。君は引っこんでいればいい。そうすれば教官としてのそれなりの待遇をしてやる」
「お断りします、わたしの生徒です」
生徒たちまで衝撃を受けているのだから始末におえない。ルティーヤに至っては鳥肌でも立ったのか、腕をさすっている。だがジルの仕事だ。譲るつもりはない。
「先ほどのような戦闘訓練がしたい場合は、主任教官であるわたしを通してください」
「……それは本国の意向か」
「そんなの関係ないでしょう。ただの、仕事の話です」
「では奴らを見逃せと? ラーヴェ皇族――ルティーヤ殿下には手を出すなと脅すわけだ」
「いいえ、彼の行動は問題です。きちんと指導しますよ。ソテー」
ローとハディスぐまが入った鞄を引きずったソテーが首を傾ける。ジルは声を張り上げた。
「今から午前の授業を開始する!」
「何をする気だ? しかもそんな鶏をつれて」
小馬鹿にしたように校長が尋ねる。背後で忍び笑いも聞こえた。どう見られてもかまわないが、自分の指導する生徒まで笑っているのは問題だ。
相手は竜神にもひるまず対峙する軍鶏である。憂さ晴らしに子どもじみた悪戯しかできない学生など、赤子同然だろう。端的にジルは命じた。
「ソテー。わたしの生徒を全員、教室に蹴り込め」
「コケッ!」
翼を広げたソテーが猛然と走り出した。早速、近くにいたルティーヤの尻を蹴り飛ばす。大きな放物線を描いて蹴り飛ばされべちゃっと顔面から落ちたルティーヤの姿を、その場にいた全員が目で追った。
素っ気なくジルは言い放った。
「蹴られたくなければ全員、教室まで駆け足!」
胸を張って高く鳴いたソテーが再び飛び上がり、次々生徒たちの尻を蹴り出した。慌てて生徒たちが逃げ出す。
「に、逃げ――ぐはっ!」
「なんだこの鶏、ぃたっ痛い突くなよおぉぉ!」
「お、落ち着け、所詮鶏だ。魔力で吹き飛ばせば――よけたぁ!?」
「ち、違うそっちは残像だ! この鶏早っ……動きが目で追えない!」
「なん……なんだあの魔獣は……!?」
ソテーに追い立てられて一目散に駆けていく生徒達に、グンターが驚愕している。
これでもう、安易に授業だなどと称して手を出そうとしないだろう。
「お騒がせしました。あの子たちはわたしにおまかせください」
「……ま、待て。あんな魔獣を使役するなんて、お前はいったい」
「蒼竜学級の新しい先生ですよ」
ローが入った鞄を背負い直して、ジルは素っ気なく答えた。