軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

「リ、リステアード殿下! ハディス様がジル様の留学を儚んで飛び降り自殺をしたというのは本当ですか!」

「なぜそこまでいった!? あ、いや」

つい大声で突っこみ返してしまってから、執務室に飛びこんできた相手が誰か気づいて、リステアードは咳払いをした。

「すまない、スフィア嬢。ハディスはテラスから竜に飛び乗っただけで、大事ない」

「ま、まあ……わ、私こそすみません。驚いてしまって……ハディス様ならあり得るかもしれないと、つい」

青ざめて震えている求婚相手の中で、リステアードの弟はいったいどういう情緒の持ち主になっているのだろう。やりかねない子どもっぽさがあるのは認めるが。

「ですが、なぜそんな無茶なことをなさったのでしょう。……実はヴィッセル殿下から、本日のジル様の講義は必要ない、留学の準備もあるから当分お休みだと言われたのですが……」

「……ならジル嬢はライカ大公国に向かったのでしょうね、おそらく」

懸念がつながって、リステアードは嘆息する。スフィアがまばたいた。

「ず……ずいぶん急に決まった、のですね?」

「……申し訳ない。貴女にはあとできちんとジル嬢の予定を連絡するよう申し伝えます」

「わ、わかりました」

聡い彼女は、話せない事情があるのだろうとそれだけで引き下がってくれる。リステアードもきちんと状況がわかっているわけではないので、こういう気遣いには助けられる。

「振り回してしまって申し訳ない。三ヶ月の間の給金も手配します」

「こ、講義がお休みですのに、そういうわけには」

「休みなのはこちらの都合です。こういうことは遠慮すべきではないですよ、スフィア嬢。正当な権利を主張しないから、悪しき慣例ができるのです。どうしても気が咎めるなら、ジル嬢が戻ってきたとき、すぐに妃教育に入るための準備期間だとでも思ってください」

「……」

「スフィア嬢?」

返事がないことを訝しんで、首をかしげる。ぎゅっと手を握ったスフィアが、顔をあげた。

「……なら三ヶ月の間、フリーダ殿下の家庭教師をつとめるというのは、どうでしょうか」

「は?」

突然の申し出の意図がわからず、間抜けな声をあげてしまう。それからはっとした。

「まさか、フリーダに何か言われて……!?」

「い、いえ」

「そ、そうですかよかった。あの子に限ってないとは思いますが……では、他の誰かに? ハディスたちはあなたの立場を考えて黙っていると思うのだが……漏れましたか」

「い、いいえ。大丈夫です」

スフィアが苦笑い気味のまま答えた。なんだか安心できない態度に、リステアードは眉をよせて言っておく。

「急がずとも、私はあなたの決意が固まるまでお待ちします」

レールザッツ公を後ろ盾に持つ皇兄が求婚すれば、どんな綺麗事を並べようが断れない命令に等しい。リステアードが止めても周囲は圧力をかけるだろうし、断っても理不尽な扱いを受けるだろう。ただでさえスフィアには、父――ベイル侯爵の反逆という傷がある。

(……いやまあ、皇帝と皇太子が許可しない展開はあるが……)

逆に言えばそれくらいしかないのだ。だがそれもスフィアがとれる選択肢ではない。となるとリステアードが示せる誠意は、スフィアの心が決まるまで時間を引き延ばすくらいだろう。

「フリーダも私が説得します。あなたが無理をして、気遣うことはありません」

「私がフリーダ様の家庭教師になるというのは、ご迷惑でしょうか?」

突然顔をあげて笑顔で尋ねられ、ついリステアードはまばたいた。

「そ、そういうことは、ないですが……」

「でしたら、ぜひお願いしたいのです。フリーダ殿下もお断りされないと思います」

この微妙な圧は、勘違いだろうか。困惑しつつ、リステアードは再度確認する。

「……あの、やはりフリーダが、何か……?」

「いいえ。フリーダ殿下は私を気遣ってくださっただけです。もし困っているなら自分が力になる、無理に結婚することはないとおっしゃってくださいました」

「で、ですよね? いえ、あなたにほぼ拒否権はないお話なのですが……」

「ええ。フリーダ殿下は聡明な御方です。ご存じのうえで、そう仰ったのでしょう」

スフィアは穏やかに笑っている。可愛い妹の気遣いに感動してるようにも見えた。

「私、それで気づいたのです。迷っている場合ではないのだ、と」

なのになぜだろう、冷や汗が背中に浮き出てくる。

「どうかお許しいただけませんか、リステアード殿下」

「……あの、本当に、いったい、何が?」

「許可しよう」

ノックもなく執務室に入ってきたのは、ヴィッセルだった。

「フリーダの家庭教師だな。ためしに三ヶ月というのもちょうどいいだろう」

「ヴィッセル兄上! そんな勝手に」

「フリーダは断らない、というベイル侯爵令嬢の言い分が本当か興味もある」

そこから聞いていたのか。だがリステアードが文句を言う前に、スフィアが頭をさげた。

「有り難うございます、ヴィッセル皇太子殿下」

「汚名をそそぐためにもせいぜい皇兄殿下をたらしこむことだな、ベイル侯爵令嬢」

「兄上! 僕が持ちかけた話だと――」

「精一杯、つとめさせていただきます」

ふんわりとスフィアが微笑む。見事なまでの、淑女の対応だった。優雅に頭をさげ、スフィアは退室する。扉を閉める動作まで完璧に隙がなかった。

呆然としているリステアードを、ヴィッセルが鼻で笑う。

「お前は馬鹿なのか? 父親を告発し、汚名を背負った侯爵家を立て直そうとする女だぞ。図太いに決まっている。でなければとっくに爵位を返上し、どこぞの成り上がりの後家にでもおさまって世を儚んでいる。そんなこともわからないから、ハディスを逃がすんだ」

ぎろりとにらまれたが、そこはリステアードにも言い分がある。

「僕もハディスもだまそうとしたな」

「だましてなどいない。あとで説明しようと思っただけだ。お前の求婚話と同じだな」

「そこは同じではないだろう! 開き直るな!」

「お前がもっとしっかりしていればうまくいった。いいか、責任をとってもらうぞ。今すぐ、お前はベイルブルグに行け」

意表をつかれ、ついうろたえる。

「ぼ、僕はまだ、スフィア嬢に返事を待つと約束して」

「そんな話はどうでもいい。お前の自慢の私設の竜騎士団を連れて、さっさと行け。北方師団を取り仕切っているヒューゴとかいう奴への連絡はもうすませてある」

「……。北方師団の取り仕切りを僕にまかせると?」

「そのつもりでスフィア嬢に求婚したんだろう。あそこは一度、クレイトスの侵入を許したからな。二度目を許すわけにはいかない。スフィア嬢の義母があやしい連中とつきあってるという噂もある。なんならたらし込んで情報を抜いてこい」

「簡単に言うな! スフィア嬢に求婚してる僕の立場も考えろ……!」

「私の知ったことではない。そもそも私の思惑ひとつで成否が変わる話だろうに」

「……そんな思考だから自分の婚約者とうまくいかないんですよ、ヴィッセル兄上は」

ヴィッセルの顔から小憎らしい表情が消えた。ふんとリステアードは笑う。

「ハディスに従わないなら婚約破棄、反逆者として身分も剥奪すると脅して、連絡がとれなくなったそうですね。会ったこともないくせに紙切れ一枚で脅すなんて、ふられて当然です。そもそも身分剥奪から無理筋ですよ。兄上の婚約者は前皇弟の娘、我々にとっては従姉妹みたいなもの。フェアラート公の後ろ盾もある」

「……私の周辺を嗅ぎ回る知恵をつけたことはほめてやる。だが情報が不正確な上に古く、考えが浅い。私の婚約者殿は連絡がとれないんじゃない。漁師になると海に出たんだ」

は、とリステアードはまばたいた。ヴィッセルは穏やかに笑う。

「最近はクレイトス国境付近でサーヴェル家庇護の漁船と漁業合戦をしているらしい。夢が叶った礼にマグロが送られてきた」

「……。それは、ハディスが喜びそう、ですね?」

「ああ。一応、礼にハディスが加工したものを送り返してやったさ。そうしたらなぜか毎月、マグロが私に送られてくるようになった。役人の汚職の証拠だのなんだのと一緒に……いったいどうやって手に入れているんだ、わけがわからない……話も進まない……」

ヴィッセルの目が虚空を見つめている。つい、本音が出た。

「意外とお似合いなのでは?」

「冗談じゃない、お断りだ! 婚約者殿が海から上陸した瞬間に捕縛して婚約破棄すると決めている! 今は泳がせているだけだ!」

「兄上の本気の負け惜しみを初めて聞きました、気分がいいです」

「ほお。なら教えてやる。その婚約者殿からの情報だ。クレイトスでは今、フェイリス王女が即位するという動きがある」

あっさり告げられたせいで意味が一瞬わからなかった。

「もし事実なら、ジェラルド王太子にどこまで人質の価値があるかもわからなくなる。相当優秀なブレーンがいるのか、状況が把握しきれていない。ライカにもジェラルド王子が何かしかけてる気配があるが、そちらはもう竜妃にまかせる。女神を女王に戴くなんて、これまでのクレイトスの歴史にはなかったことだ。どう事態が動くかわからない」

やっと理解が追いついてきたリステアードは、息を大きく吸って叫ぶ。

「そういうことは早く言え馬鹿かーーーーーーーーーーーーーーー!!」

「だから早くベイルブルグを掌握してこいと言ってるだろうが!」

「なら少しは僕を前向きに応援したらどうだ、マグロを受け取ってないで!」

「その話はやめろ、不愉快だ! マグロの夢を毎夜見る気持ちがお前にわかるのか!」

「わかるわけないだろう、いっそ銛にでも刺されろ!」

「兄に向かってその言い草はなんだ!」

「ひょっとして喧嘩だな!?」

執務室の扉を派手な音を立てて開いたのは、エリンツィアだ。リステアードもヴィッセルも同時に固まる。ばきばきと拳を鳴らしてエリンツィアが首をかしげる。

「珍しい、ハディスがいないな。まあいい。本当にお前達は懲りないな」

「いやあの、姉上。今のは喧嘩ではなくただ議論が白熱しただけ……ぅぐっ!」

腹部に一発入れられ膝を折る。ヴィッセルは早々に床に沈んでいた。

「ちゃんと話し合いなさい。まったく」

暴力で解決しておいて、いっぱしの姉らしいことを言う。しかも、さっさと退散する有り様だ。本当に殴りにきただけである。ひどすぎる。

「……思うんだが、いい加減、姉上の結婚も考えるべきでは……?」

「馬鹿か、お前は……もらい手がいればとっくにそうしている……!」

床に沈んだまま唸る兄に、それもそうかとリステアードは嘆息した。