軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ラーデアのパン屋さん⑫

竜妃様――ジルはすぐに宴会の輪にとけこんでしまった。なんでもおいしいおいしいと食べるので、あれもこれもと皆から色々渡されていた。酒の力か、それともパン屋の影響か、最初は手探りのように接していた皆も、口いっぱいに頬張っている少女の姿にほだされてしまったのだろう。あっという間に馴染んでしまった。

妻が餌付けされている姿にどんどん半眼になるハディスのわかりやすい嫉妬に、ユウナも周囲も笑いがこらえられなかった。

ジルは本当に普通の、可愛い女の子だった。

実はラーデア大公の就任の式典で、何やら読み上げなければならない文言があるらしく、まだ覚えてないと申し訳なさそうに言われて慌てたのは周囲だ。復唱して覚えることになり、ユウナも周囲もその暗記につきあった。おかげで竜妃が読むという式典の文言を暗記してしまった者が多数出てきた。

かと思えば、酔っ払いも無作法者も一撃で沈める腕っ節の強さである。ラーデア大公就任を邪魔しようとした輩は無事捕らえられたらしく、大きな騒ぎはユウナがつかまったあの一件だけで、無事に宴会は終わった。

結局、ジルはハディスと一緒におばあさんの家に泊まっていった。そして、朝食を食べ終えた頃に、城から迎えがきた。

玄関を出たところで、おばあさんのかわりにユウナがハディスに預かっていた荷物を渡す。ハディス本人が、それを受け取った。

「色々、ありがとう」

エプロンをはずして、背後にずらりと兵を待たせているハディスは、皇帝だ。

けれど、パン屋だったハディスと同じ人物だ。

だからもう、変わったとは思わない。別れのさみしさはあっても、失ったさみしさはなかった。

そう感じているのがユウナだけではないことを、見送りに出てきた近所のひとたちや職人たちの笑顔が証明している。

「ありがとうございました。お世話になりました」

ハディスの横でジルがぺこりと頭をさげる。ユウナは声をひそめて言った。

「式典、頑張ってね」

「は、はい。……あのユウナさんって……」

何やらもごもごしているのでちょっとしゃがんで、耳を近づけた。周囲を気にしながら、小さな声でジルが尋ねる。

「陛下のこと、なんとも思ってないですよね?」

一瞬噴き出したのは不敬だろうが、見逃してほしい。

「だ、大丈夫だよ」

「そ、そうですか……すみません、変なこと聞いて……」

「ううん。心配は当然だし、大変だと思う。本気の子もいたし」

えっとジルがまばたく。その顔が本当に可愛い女の子で、なんだか嬉しくなってしまう。

「でも、ハディスさんはジルちゃん一筋だったよ。頑張って」

「は、はい……!」

「ハディスちゃん」

おばあさんが出てきたので、ユウナは場所を譲る。おばあさんはハディスの手を取って、優しく笑った。

「いつでも遊びにおいで」

「うん」

「だから、簡単に逃げてくるんじゃあないよ」

ふっとハディスが金色の目を見開いた。ジルは黙ってそれを見つめている。

「しっかりおやり。わたしたちの皇帝陛下」

ハディスが口元に苦笑いのような諦めのような――それでいて、優しい笑みを返す。

「わかった。おばあさんも、元気で」

優雅に身をかがめたハディスが、おばあさんの頬に口づけをひとつ落とした。

あとは踵を返して、それぞれの居場所に戻るだけだ。

その日の夕方、特別にラーデアの神殿で行われた大公就任の式典に現れたハディスはもう、どこからどう見ても立派な皇帝だった。その腕に抱いている少女もしゃんとしていて、パンを両腕に抱えてはしゃいでいた姿は欠片もない。

でも、ユウナたちはちゃんと知っている。

雲の上のひとなんて区切るのは簡単だけれど、ちゃんとここにいたこと。笑ったり悩んだりする、同じ生きた人間だったこと。

そして。

「――竜神ラーヴェの御名において、今ここに宣言する。竜妃の神器をかかげ、このラーデアの土地を、理を以て守らんとすることを――ッ言えたあぁぁーーーーーーー!!」

固唾を呑んで竜妃の宣言を見守っていた周囲が、おおおおおと怒号のように感激の声と拍手を向ける。ジルは感極まって叫んでからしまったと思ったらしいが、そこはもうご愛敬だろう。

ラーデア大公万歳、竜妃殿下万歳、皇帝陛下に栄光あれ。

次々と声があがる中で、ハディスがジルを抱きあげ、見せつけるようにふたりで手を振る。

こちらを見たハディスが片眼を小さくつぶったのは、きっと気のせいではないだろう。

ユウナが竜帝夫婦を見たのは、一応、それが最後だ。

天空都市ラーエルムはいつか行ってみたいけれど、簡単に旅行できる距離ではない。でもおばあさんが竜帝夫婦の結婚式はぜひ見たいと言っているので、なんとかできないかと計画は立てている。

おばあさんのパン屋の跡取りに決まった、職人のひとりと一緒に。

(新婚旅行になったらいいなって思うけど)

ちょっとまだ気が早いか。

でも行くときは、おばあさんのパンを作って、献上しよう。

この国と空を守る竜帝夫婦のために、自分達が引き継いでいく、おいしいパンを。