軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ラーデアのパン屋さん⑪

「な、なんですか陛下。わたし、忙しくて」

「よかった」

抱きあげた少女の腰あたりに額を当てて、ハディスがはーっと大きく嘆息する。少女は気まずそうに黙り込んだ。

ユウナはいつもにこにこしているハディスしか知らないから、物憂げなハディスの表情にまばたいてしまう。

「怪しい連中がいるみたいだから警備を強化するとは聞いてたけど、なんで君が外に出てるの」

「なんでって……」

「相手の狙いは大公になる君だよ。僕は君は城から出さないよう、指示したはずなんだけど。――抜け出したでしょ」

少女は答えなかったが、そろっと視線を遠くに泳がせた。半眼でハディスが下からにらんでいる。

「そりゃ君にかかれば、警備のひとつやふたつ突破できるだろうけどね」

「……サウス将軍たちはもう少し鍛えるべきだと思いました!」

「開き直らない! カミラとジークは君を止めなかったの?」

「カミラとジークはわたしの部下ですよ」

「役に立たない竜妃の騎士だな! ……君、自分が竜妃だって自覚ある?」

「ありますよ。だから陛下を守りにきたんです。わたしの仕事です」

一拍あいて、ふらっとハディスがよろめいた。ユウナは慌てる。

「は、ハディスさん! 大丈夫ですか」

「だ、大丈夫……ど、どうにもきりっとされると、僕は弱くて」

どういう意味だろう。首をかしげるユウナの横に、ひょいっとハディスの腕から飛び降りた竜妃が立つ。

「じゃあわたしは戻りますね」

「ちょっと待った!」

「もう、まだ何かあるんですか陛下、仕事の邪魔です」

「守る相手を邪険に扱うのはどうかと思うな!? じゃなくて、挨拶しよう」

「えっ」

固まった竜妃をもう一度抱きあげて、ハディスが歩き出した。

「おばあさんに紹介する」

「え……で、でも明日の予定で……」

「いいでしょ、別に。なんなら君も泊まらせてもらおう」

「でもローを城においてきてるし」

「あんな馬鹿竜と僕、どっちが大事なの」

「どっちって……いいんですか、陛下の心を無下にしても」

「ごめん、やっぱり両方大事にして……」

「なら、わたしは戻ります。……ちゃんとしてないし」

うしろから追いかけて話を聞いているだけだったユウナがまばたくのと一緒に、ハディスが足を止めた。

「お年を召された方なんですよね。だったら、クレイトス――サーヴェル家に思うところがあるはずです。ここ、国境ですし」

また難しい話だ。でもそんな難しい話をこんな少女がちゃんと呑みこんでいることに、何よりユウナは驚いた。

困ったように笑って言うことにも。

「こんな子どもが陛下のお嫁さんで、大公になるって言われたら、不安がらせるかもしれませんから、ご挨拶はちゃんとしたいんです」

「そんなこと」

「ハディスちゃん」

ハディスを追いかけてきたのか、おばあさんがゆっくりと歩いてきた。

「その子がお嫁さん?」

ハディスはおばあさんと少女を交互に見て、頷く。少女は観念したように嘆息して、ハディスの腕からおり、おばあさんの前に立った。

「初めまして、ジル・サーヴェルと申します」

その横顔は凛としていて、先ほどの苦笑いはみじんもない。でもユウナはさっき、少女の不安の一端を聞いてしまった。だからそのままだとは思えず、緊張してしまう。

「陛下がお世話になりました」

「本当に子どもだね。いくつ?」

「……十一歳です」

「ああ、いいねえ」

その回答に、少女がきょとんとした。ハディスもまばたいている。

にこにこ笑いながら、おばあさんが続けた。

「じいさんとは、大人になってから見合いで出会ったんだけどね。じいさんに幼馴染みがいたんだよ。小さい頃から一緒の女の子でねえ」

聞いたことがあるような気もするが、なんの話が始まるのか、ユウナにもさっぱりわからない。

少女も同じなのだろう。戸惑いながら、神妙に頷き返す。

「は、はい。それは――ええと、複雑……ですね」

「そうなんだよ。だから、なんでも知ってるのは幼馴染みのほうでね。しかも、男女の仲だってならまだしも、本当に仲がいい友達。家族なんだよ。わかるかい? 嫉妬するだけ馬鹿をみるのはこっち。ずいぶん悔しい思いをしたもんだよ。じいさんは五つくらい上だったから、わたしも背伸びして余計にね」

「は、はい」

律儀に少女は頷き返している。その少女の頬に、おばあさんがゆっくり手を伸ばして言った。

「よかったねえ、ハディスちゃん。こんなに可愛い頃から、お嫁さんをひとりじめだ」

少女がゆっくり、紫の目を見開く。

おばあさんに見あげられて、ハディスが急いで少女を抱き寄せた。

「そうなんだよ! あのね、僕と出会った頃、ジルこのくらいだったんだ。ここ。僕のお腹の真ん中くらい」

「ちょ、陛下」

「でも今、ここでしょ」

少女の頭のてっぺんと手のひらを水平にして、ハディスが自分の胸下をさす。

「ちょっとだけど、大きくなってるんだよ」

「そりゃあね。十一歳なら、これからどんどん伸びる年頃だろう」

「そう! 僕もう、楽しみで楽しみで。でも心配で」

はあっとハディスが両肩を落とした。おばあさんが意地悪く笑う。

「美人になりそうだからかい?」

「そう……今でさえ可愛くてかっこいいのに……!」

「そりゃあ大変だ。でもいいだろう、ずっと一緒のほうが。ねえ」

尋ねられた少女が目をぱちぱちさせて、それから力が抜けたような笑みを浮かべた。

「はい。わたしは小さい陛下を見られませんけど」

「え、いいよそんなの見なくて……」

「でも、六年後じゃない、今の陛下を見られて嬉しいです」

なぜ六年後なのだろう。

(深い意味なんかないか。六年後だもんね)

それこそユウナだってどうなっているかわからない、未来の話だ。恋人とかできて、結婚していたっておかしくない。今からは想像もつかないけれど。

「年寄りからしたらみんな若いよ。そして、みんな今がいちばん若い」

おばあさんの言うことは真理だ。

緊張がとけたのか、少女がちょっと身を乗り出した。

「あ、あの! パン、とってもおいしかったです!」

「おや、嬉しいことを言ってくれるねえ」

「陛下がおすすめする理由がわかりました……! 明日いっぱい買って帰っていいですか!?」

「もちろん」

「え、ジル。ええと、僕のは……?」

「陛下はあとでいいです! だっておばあさんのパンはラーデアでしか買えないんですよ!」

「そ、それはそうだけど……」

ちょっとショックを受けたらしいハディスの顔に笑ってしまった。

一方で、さみしさを覚える。

ラーデアでしか買えない。この少女もハディスも、いずれラーデアからいなくなるのだ。

(いつかな。ラーデア大公就任は明日って聞いたけど)

明後日か、それとももう少し先か。必ずくる未来の話だ。

「じゃあ、明日も頑張ろうか」

だからこそ、おばあさんの言葉はユウナの心に、じんと響いた。