軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

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さいわいなことに、逃げ出した帝国兵に負傷兵は少なかった。だが、いきなり逆賊扱いされて、準備も心構えもできず逃げ出してきたのだ。帝都を出て身を隠したときにはあった安堵は、すぐに何十倍もの不安になってのしかかってきていた。

竜も馬もない。つまり、逃げる手段がない。

そして攻められてはいないが、交渉の使者がやってくる気配もない。

こうなるとナターリエを人質に、緊張状態を保っているだけだ。素人よりは鍛えられている兵とはいえど、精神的な疲弊は当然だった。

将軍はおろか、隊長クラスのまとめ役すらいないのもまずかった。最初は三百人ほどいたはずだが、ひとりで逃げたほうがましかもしれないといつのまにか姿を消す者が増え、既に数は百人にも満たない程度になっていた。

まとまりやすくはなったのだろうが、攻められたらひとたまりもない人数だ。

「しっかりして、ほらお水」

ヒールの靴などとうに脱ぎ捨てて、ぶかぶかの革靴で水を配ってまわりながら、ナターリエはひとりひとりを励ます。

「有り難うございます、ナターリエ皇女……」

「申し訳ない。あなたを巻きこんで」

「そうよ。だからしっかりして。交渉役がきたとき、そんな弱気じゃ負けるわよ」

ナターリエに皆笑って頷き返してくれるのだが、日に日に笑顔は弱っていく。もう内心では駄目だと思っている者たちもいるだろう。

ただ、為す術もなく殺される前に、すがるものがほしいだけなのだ。

そう口にするナターリエ自身も、不安で押しつぶされそうだった。でも、そんなこと表に出せるわけがない。腐っても自分は皇女なのだ。

――思えば、フェアラート兵に襲われ逃げた先で、混乱した帝国兵と鉢合わせしたのが運の尽きだった。ヴィッセル皇太子が宮廷を掌握するため、帝国軍を乗っ取ろうとしていることがわかった。そうさせてはならない、という気持ちはあっただろう。

だがいちばんは、使えないと切り捨てられた帝国兵に、自分を重ねてしまったのだ。

(我ながら馬鹿だわ)

ひとまずナターリエを人質に帝都を出ることはできた。

だが、本当の問題はそのあとだった。何かを決断し、決められる人間がいなかったのだ。

ナターリエがわかっていることと言えば、ヴィッセル皇太子は幼女趣味皇帝よりもいけ好かないこと。兵たちが争っている間に漏れ聞いた会話から、ラーデア領には叔父に追従した兵たちが潜伏していること。そのせいで、残っていた帝国兵が逆賊扱いされたこと。

(正しい判断なんでしょうよ。でもこんな真似して、ラーヴェ皇族がどう思われるか)

だが、そんな矜持は現実の前に無力だ。

いったい自分に何ができただろう。この場にいる兵を助ける方法さえわからない。最後に生き残っているのは、ひょっとして誰もいないのではないだろうか。

「きゅ」

足元で声が聞こえて、ナターリエはうつむけていた顔をあげる。

そこには、あのおとなしいフリーダが連れて行けと譲らなかった小さな竜がいた。前脚で、どこからか見つけてきた木の実を差し出してくれる。

「ありがとう、ロー……」

「きゅっ」

水を配るナターリエから見て覚えたのか、ローはどこからか木の実や食糧を見つけては配って回っている。それを見て兵もまた微笑む。帝国兵は竜騎士とは違うが、竜に乗れるというのが最低限の就任条件だ。小さな竜を見守ることは、帝国兵の矜持にもつながるのだろう。

この絶望的な状況をぎりぎり保たせている幸運があるとすれば、それはローだった。

ナターリエたちが潜んでいる岩陰は竜のすみかに近い危険な場所だ。だが竜は襲ってこず、それどころかローに木の実や食べ物を持ってくる。水に困らないのも、ローが発見してきた水場があるからだった。竜がたまに飲みにくるのだが、人間は一瞥されるだけですんでいる。

金目の、奇妙な模様をした小さな竜。

ここ数日、雨風にさらされたせいで、鱗の色が少しずつ戻りつつある。

その正体を口にすれば加護を失うかもしれないと思っているのだろう。誰も言及はしない。

だが、きっと皆が、気づき始めている。

(竜の王。金目の黒竜)

それを感じるたび、ナターリエは小さな少女のことも思い出す。

可哀想な竜妃だと思っていた。あの得体の知れない皇帝に目をつけられて、異国につれてこられて。だが、ナターリエが知らず接した竜妃は幼くてもたくましかった。そう、金目の黒竜の背中に絵の具を塗るくらいにだ。

笑いがこみあげる。もう少しだけならと、へたり込んでしまっていた足にも力が入った。

「ねぇ、ロー。魚釣りとかできるところ、ないかしら」

「きゅ?」

木の実を運び終えたローが振り返って考えこむ。そばで少し年かさの兵が笑った。ナターリエに何度も謝罪してくれた兵だ。

「いいですね、釣り。木の実もいいですが、焼き魚はまた別です」

「なんなら狩りでもしましょうか。少しは気が紛れるかも――」

「たっ大変だ! 軍が向かってきてる! 帝都から!!」

双眼鏡で周囲を見張っていた兵が、丘から転がり落ちるように駆け下りてきた。

緩みかけた空気が一瞬で引き締まる。

「こちらに向かってきているのか!? ラーデアへの出兵ではなく!?」

「使者がくるはずじゃなかったのか!!」

「数は!? 竜は出ているのか。上空から周辺ごと焼き払われたら終わりだ」

「き、騎馬兵と歩兵ばかりだ! だが数は、一万はいる……! こ、こちらに辿り着くまで半日はかかると思うが……」

「それでも終わりだ!」

「くそ、交渉なんて待ったから!」

「静かにしろ!」

さきほどまで釣りの話をしていた兵のひとりが、大声で一喝する。

「ナターリエ皇女をお守りしながら、逃げられるところまで逃げよう。それしかない」

ざわりと周囲に動揺が広がった。

「馬鹿な! こうなったら皇女などただのお荷物だ!」

「お、俺は逃げるぞ、ひとりで! 集団のほうが狙われる! 勝手にしろ!」

「待てよ、ここでナターリエ皇女殿下まで見捨てたら俺たちは本当に逆賊じゃないか!」

「助けていただいたんだぞ、恩知らずめ!」

「なんとでも言えよ、頼んだわけじゃない!」

「そうじゃなくたってみんな逆賊だ! 忠義を尽くす必要がどこにある、ヴィッセル皇太子に目をつけられた時点で俺たちは終わってたんだよ!」

広がっていく騒ぎになすすべもなく、ナターリエは唇を噛む。この混乱の原因が自分だと思うと何も言えなかった。

そんなナターリエの足元に、ローがやってくる。それを抱きあげたときだった。

「むしろ、ナターリエ皇女殿下を差し出すべきじゃないのか」

誰が言ったのだろう。どこかから放たれた言葉に、周囲が静まりかえった。