軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

軍神令嬢は女神に宣戦布告中

水上都市ベイルブルグの港は、ジルが初めて足を踏みしめたラーヴェ帝国の土地だ。少なくとも、今世ではそういうことでいいと思う。

潮の匂いを懐かしく思いながら、埠頭へと足をおろした。

「ありがとうございます、転移できて助かりました」

「まあ、そこそこ回復してるからな。で、いったいベイルブルグになんの用事だよ? スフィア嬢ちゃんに話があるっていうことだったけど、みんな置いてきちゃってさー」

「すみません、あれ嘘です」

「嘘!?」

ジルのそばにいるラーヴェが仰天する。

港には大きな船が一隻、浮いていた。船に刻まれているのは、クレイトスの国章。それを見て、ラーヴェが顔をしかめる。

「まさかひとりで強襲するんじゃないだろうな!?」

「しません。でも、天剣になってもらえますか、ラーヴェ様。陛下の演説までには帰りたいんです」

ラーヴェは何か言いたげにしたが、するりと天剣に転身してくれた。その柄を持って、ジルはその女が振り返るのを待つ。

次々荷が引き上げられ、出航の準備をする埠頭。なのに行き交う人の姿も、声も、まるで影のように通り抜けていく。

まるで、車椅子の少女がそこにいないかのように。

「クレイトスに一緒に帰ってくださるの、ジルおねえさま?」

ジルがくるのを待っていたように、少女が可愛く首をかしげる。

「いえ、見送りにきました」

「ロレンスを? ロレンスなら今、お兄さまとお話してらっしゃるわ」

「あなたの見送りです、フェイリス王女」

名指しすると、今日も天使のように可憐な少女は頬を赤く染めた。

「まあ、わたくしを? でも嬉しいです。わたくしもジルおねえさまとちゃんとお別れしたかったものですから……ゲオルグ様の一件についてお悔やみも言えないままでしたし」

そっとフェイリスがまぶたを伏せ、自嘲気味な笑みを浮かべる。

「陛下と一度は袂を分かったゲオルグ様も、突然の化け物の襲来という危機にハディス様とおふたりで立ち向かわれた。志半ばに討ち死にされてしまったとか……本当に、残念です」

最後にロレンスが置き土産に置いていった歴史の台本を、そのままフェイリスは台詞のように読みあげる。

「その化け物がクレイトス由来の魔術による魔獣だ――という噂には少し困りますが。些細なことですわね。雨降って地固まる、というのでしょうか。ラーヴェ帝国の結束は高まったでしょう。よいことです」

「でも、ゲオルグ様に偽物の天剣をつかませて背中を押したのは、ジェラルド様ですよね。作ったのは女神かあなたか、以前から用意されていたものなのかはわかりませんが」

ジルの言葉にも、フェイリスは花のような微笑を崩さない。

「国同士の戦略について問いただすことはしません。ただわたしは、ゲオルグ様を化け物に変えたのは、あなたではないかと思い、確認にきました」

「根拠は?」

ゲオルグの化け物への変化を知っていることを、フェイリスは隠さなかった。

「わたしと陛下の魔力封じがとけていない。ということは、媒体だったあの偽天剣はまだどこかにあるはずです。それを隠すために、偽天剣がゲオルグ様を喰ってあの化け物になったように見せかけたのではないですか」

「素敵。正解です」

ぽんとフェイリスが両手を叩いた。あっけないものだった。

ゲオルグは敵だった。あそこまで大々的に敵対されては、化け物にならずとも処刑しか道はなかった。それでも最後、彼が叫んだ言葉を思い出して、ジルは拳を握る。

「なんのために、こんな手の込んだ真似をした! ゲオルグ様にも陛下にも味方をしたのはわかる、ラーヴェ帝国内の国力を削ぐためだ。いつものジェラルド様のやり方だ! だがあなたは何をしにきたんだ。まさか本当に陛下と婚約しにきたわけじゃあるまい!」

「ご自分でおっしゃっておられますよ。偽天剣を回収するためです。……あなたが、女神の聖槍を折って、海の底に沈めてしまったから」

思いがけない言葉に、ジルは黙る。フェイリスは穏やかに続けた。

「ただでさえ弱っているのです、あれは。さがすには、同じ素材でできたものがなければ困難でした。なのに、すでにお兄さまがゲオルグ様の手にわたるよう仕組んでしまっていて……でもわたしもこの体です。あまりに遠くのものを、媒体もなしに呼びよせようとすればどれだけ寝込むことになるか」

「……じゃあ、ゲオルグ様に近づくために?」

「ええ。ですがゲオルグ様に返せと言って返すはずがありません。あの方はクレイトス王国をずいぶん警戒してらっしゃいました。あんな姿になっても女神を滅ぼそうとするほどに。だからわたくしが囚われて近づき、回収するのがいちばん早いと思ったのです」

だからハディスの味方をしようとした。そしてまんまと、ノイトラールから帝都に入り、タイミングを見計らって取り戻した。

「お兄さまばかりに頼っていてはいけませんものね」

無邪気に笑ったフェイリスが、車椅子から立ちあがった。

開いた小さな右手に黒い靄が立ちのぼる。気配を知っていた。見覚えがあった。

女神の聖槍だ。ジルが折ってやった、クレイトス王国の神器。

自分の身長よりはるかに大きな黒い槍を持ち、フェイリスが笑う。

「これで答え合わせはよろしいでしょうか?」

「――よく、わかった」

天剣を握り、ジルは冷や汗を隠して笑う。女神の聖槍を手にして初めてわかる。

(本物だ。陛下並みの、魔力……!)

だが竜妃が、女神の器だというこの少女の存在に、圧倒されるわけにはいかない。

「敵だ、ということがな」

「ふふ。今度は処刑されないようお気をつけくださいな」

そのひとことだけで、この少女が女神と通じているとわかった。女神に喰われるのかどうかはともかく、少なくともこの少女は今、自分の意思で、女神と共にある。

「お前の目的はなんだ、陛下か」

「ええ。あの皇帝を、竜帝を、わたくしのものにすることです――お兄さまのために」

両眼を開いたジルの目の前で、優雅にフェイリスは一礼する。

「今回のラーヴェ帝国訪問はとても有意義なものでした。お礼を、ジルおねえさま」

「待て、ジェラルド様のためというのはどういう意味だ」

「お兄さまを気にしてくださるのですか、まだ」

「別に変な意味じゃない! わたしが陛下の妻で、竜妃だからだ」

「それは愛ですか」

「そうだ。陛下は私を必要としてくれた。だから――」

「お兄さまだってあなたを必要として、愛していたのに?」

衝撃のあまり呆けたジルに、フェイリスは預言のように告げる。

「きっとあなたは、竜帝も捨てるのでしょう。お兄さまを捨てたように」

――あなたがわたしを捨てたんじゃない。わたしがお前を捨てるんだ。

そうジェラルドに言い放って、ジルは城壁から飛び降りた。

(ジェラルド様に必要とされてた? わたしが、陛下を捨てる?)

びりっと天剣から震えがきた。愛に惑わされるなというように。

そうだ、約束したのだ。しあわせにすると。――だから、理を忘れるな。

「……謝罪する。確かに、馬鹿なことを聞いた。捨てた男の事情なんて」

自分のやることはもう、変わらない。

「だから、ただ受けて立とう」

海風に吹かれながら氷の微笑で佇む王女に、ジルは拳を握る。

「陛下は渡さない! せいぜい策を練ってこい、また折ってやる――その槍も、お前のすまし顔も、はた迷惑な愛も!」

くっと唇の端をフェイリスが持ちあげる。初めて本物の笑みを見た気がした。

「愛を騙る無礼者。出直せ」

重さを感じさせない手つきで優雅に聖槍を横に振るう。ものすごい魔力の風圧が正面から飛んできた。ラーヴェの舌打ちが聞こえる。

『だめだ、帝都に戻るぞ、嬢ちゃん!』

反対しないかわりにジルは目をこらす。

車椅子に座ったフェイリスの背後から、ジェラルドがやってくる。ふたりが立ち去ろうとする。何度も見た光景。割り込めないと思った、あの――でも。

追いかけたい、とはもう思わない。それで正しい。

「なんつー無茶するんだよ、っとに!」

「すみません……あのでもここに戻るのはひどくないですか!?」

「ひどくねぇよ、反省しろ!」

天剣から戻ったラーヴェに正面から怒鳴られ、ジルは円錐の形をした屋根にしがみついたまま首をすくめる。眼下には、広大な天空都市ラーエルムの街並みと、皇帝が広場に姿を見せるためのバルコニーがある。

つまり帝城の尖塔に転移させられたのだ。

「落ちたら死にますよ、今のわたしは!?」

「反省」

「はい」

鼻先でラーヴェがぱたぱた翼を動かしたまま、嘆息した。

「ま、いいけど。今のが俺からの誕生日プレゼントってことで」

「……だったらせめて普通の場所に戻してほし……いえ、なんでもないです」

「むしろハディスの演説を聞く特等席だろ」

言われてジルは斜め下のバルコニーにいるハディスの背中を見つめる。何やら小難しいことをハディスはすらすらと口にしていた。

それに苦笑してしまう。

「リステアード殿下が考えたんですかね。らしくない」

「あとでからかってやるか。……そのためにも、嬢ちゃんがいるんだよ」

ジルの肩にのったラーヴェが真剣な顔でもう一度言った。

「俺を連れてったから、これ以上言わねぇけど、二度とするなよ。この光景を作ったのは嬢ちゃんだって自覚しろ」

もう一度、ジルは眼下を見おろした。

広場に集まった民に向けて演説するハディスは、なんとも堂々としている。そばを固めているリステアードも、エリンツィアも誇らしげだ。

「ありがとうな、あいつを選んでくれて」

「ラーヴェ様……」

「あいつはきっと、立派な皇帝に――竜帝になる」

胸に手を当てて、ジルも頷こうとしたそのときだった。

『ところで最後にひとつだけ僕からお知らせがあります!』

拡散器から唐突に放たれた声の調子が突然、変わった。

ぱちりとまばたいたジルとラーヴェは、バルコニーのハディスを見る。

『僕はこの間十一歳になった女の子と結婚しました! すごくすごく可愛くてかっこいいお嫁さんです!』

広場がざわめくのも忘れて呆けた。あの馬鹿、とラーヴェがつぶやく。

『子どもは十人の予定です! つまりラーヴェ皇族はどんどん増えるので心配無用です!』

『この馬鹿、それはあとにしろと、しかもものすごく誤解される言い方を……!』

『末永くしあわせになりますので、よろしくお願いします!』

リステアードが絶叫し、エリンツィアが乾いた笑いを浮かべる。

ジルは一歩屋根を蹴った。迷わなかった。

だってきっとハディスは抱き留めてくれる。振り向いてくれる。置いていったりしない。

「陛下!」

「ジル!?」

だからもうこの手を放さないのだ。

やけくそのように合図が鳴り、ラッパの音と一緒に白い鳩が、紙吹雪が舞い上がる。どこからともなくあがった拍手と歓声の中で、竜帝夫婦は抱き合った。

これから先の二度とない未来を、失わないように。