作品タイトル不明
スウィフト・ラット・シューズ
夏休み最終日。
世間が去りゆく夏を惜しんでいる頃、悠太は第三階層の薄暗い通路で、一体のリビングアーマーと対峙していた。
「捕食完了」
キン!という乾いた音と共に曇りガラスの立方体が収縮し、重厚な鎧を虚空へと消し去る。後に残されたのは千二百円相当の魔石が一つ。
一週間前、初めてこの第三階層に足を踏み入れた時はリビングアーマーの重圧に冷や汗を流したものだが、今の悠太にとってはもはや作業に等しい。
設置時間45秒の構築も相手の鈍重な動きを読み切れば、リスクですらなくなっていた。
「手応えがなくなってきたな」
悠太は魔石を拾い上げ、自分の掌を見つめた。
魔素の総量が増え、スキルの練度が上がるにつれ第三階層の敵は物足りなくなっている。少し焦り気味な自分を自覚しつつも、悠太の思考は自然と、さらに深い『第四階層』へと向いていた。
(あの大輝たちがトラウマを植え付けられた場所。……でも、今の俺ならいけるはずだ)
だが、慎重な性格の悠太は無策で突っ込むような真似はしない。
第四階層へ挑む前に、できる限りの準備をしておきたいと考えた悠太は、午前の部を切り上げると、ある人物を訪ねて『ダン研』へと向かった。
ダン研の広大なショッピングエリアは夏休み最終日ということもあり、補充に訪れた探索者たちで賑わっていた。
展示品のショーケースが並ぶ一角。悠太はそこで、またしても一点を食い入るように見つめる瀬戸の姿を発見した。
彼女は口を半開きにし、まるで最新の防具と対話でもしているかのように、瞬きも忘れて凝視している。
その周囲だけ空気が止まっているかのような独特な雰囲気に、悠太は一瞬声をかけるのを躊躇った。
「……あの、瀬戸さん?」
そーっと、背後から声をかける。
「ふぇっ!? あ、あ、甘露寺さん!」
瀬戸はビクッと肩を跳ねさせ、驚いた拍子に眼鏡を少しずらしながら悠太の方を向いた。
「驚かせてごめん。ちょっと相談があって……」
「い、いえ、全然大丈夫です! ちょうど防具の接合部の魔素伝導効率についてディープに考察していたところだったので、タイミングとしてはバッチリです!」
瀬戸は相変わらず丁寧な敬語でよく分からないことを口走っていたが、悠太が用件を切り出すと、その瞳がキラリと職人の光を宿した。
「今の装備がもうボロボロなんだ。新調したくて。それと、もしあれば、足が速くなるようなアイテムも欲しい。予算は……全部で10万円くらいで考えてるんだけど」
悠太がそう伝えると、瀬戸は顎に手を当て、脳内のデータベースを高速で検索し始めた。
「10万円ですね。今の甘露寺さんの戦い方を考えると、まず防具は『リビングアーマー・レプリカ』がお勧めです。重そうに見えますが、ダン研特製の軽量化加工が施されています。それから靴は『スウィフト・ラット・シューズ』、通称『ネズミシューズ』がいいと思います。牙ネズミの腱から抽出した繊維を織り込んでいるので、瞬発力が跳ね上がりますよ!」
「ネズミシューズ……」
その絶妙に格好よくない通称に、悠太は一瞬、眉をひそめた。ジャージ姿の自分にネズミシューズ。これ以上ダサくなってどうするんだという思いもよぎるが、背に腹は代えられない。第四階層での生存率を上げるためなら、名前くらい我慢するべきだ。
提示された正規の価格は合計で約15万円。
予算を大幅にオーバーしていたが、瀬戸は「ちょっと待っていてください!」と言うと、ショップの奥にいる責任者の元へと走っていった。
「甘露寺さんは私の大切な『素材提供者』ですから交渉してきます!」
激しいやり取りの末、瀬戸は「友人価格で12万円まで下げてもらいました!」と満面の笑みで戻ってきた。予算からは少し出たが、本来の価格を考えれば破格の条件だ。
「ありがとう!助かるよ!」
「いいんです! それより甘露寺さん、この靴の裏側の溝は単なる滑り止めじゃなくて魔素を排出して推進力を得るためのスリットでして、さらにさらにですね、リビングアーマー製の胸当ては物理攻撃を受けた際に衝撃を分散して無効化する特性が……」
「わ、分かった。ありがとう! また困ったら相談に来るね」
装備の話になった途端、瀬戸は饒舌になり、話が止まらなくなった。悠太は彼女の熱量に圧倒され、再度お礼を言い、適当なところで話を切り上げてダン研を後にした。
鞄の中には新調した装備。
手元に残った現金は心細くなったが、代わりに手に入れた確かな守りとスピード。
(明日は第四階層だ)
夕暮れの街を歩きながら、悠太は明日への決意を固めた。
如月たちは今日、第五階層への試練に挑んでいるはず。
追いつくためではない。自分が自分として、その深淵で生き延びるために。
新調した装備の重みが今の悠太には何よりも心強く感じられた。