軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

04.お姉ちゃん、ブチ切れる

翌朝。

「何故、朝食が準備されていないんだ!」

食堂から、父の怒声が響く。続いて継母の金切り声、義妹のわがままな催促。

いつもなら、その喧騒に急かされるように駆け込んでいた私は。

――一切の音を立てず、驚くほど静かに、ゆったりと食堂の扉を開けた。

「おい! ソフィー! どうしたというんだ、こんな……」

騒ぎ立てる父を視界の端に捉えながら、私はただ、この場の主導権がどこにあるかを無言の威圧で示した。

次に唇から漏れた声は、自分でも驚くほど低く、逆らうことを許さない絶対的な温度で食堂の空気を塗り替えた。

「全員、そこに並べ」

困惑と苛立ちを浮かべる家族三人を見据え、私は緩慢に、けれど迷いなく右手をかざす。

「ひぃ……っ!?」

「な、なんだ、体が……っ!!」

風魔法の応用。日々の掃除で巨大な家具を浮かせてきた精密な出力が、三人の肉体を捉える。肘を上げ、右手を顔の高さまで持ち上げると、手の動きにあわせて家族の体がふわりと宙に浮いた。

「……思ったより、人間というものは軽いのね」

大理石のチェストを運ぶ手応えに比べれば、人間など道に転がる石ころも同然。

加減を誤り、少し浮かせすぎてしまったらしい。一番軽い義妹のフルールが天井まで吸い上げられ、ゴツリと鈍い音を立てて頭を打ち付けた。

私は散らばった埃を掃き出すように、ふいと右手を横に振った。三人の体は壁際へと掃き出され、横一列に叩きつけられる。

今度は父が勢い余って、ドスンと壁を鳴らした。

重量があるものほど遠心力で加速がついてしまうのは、でっぷりと肥えた父を継母たちと同じ出力で扱ってしまったことによる――私の、初歩的なミスだ。

「こ、こんなことをして許されると思っているの……!?」

錯乱した継母が、震える声で吠える。

「うるさいなぁ」

私は耳の横で、パチンと指を弾いた。日々の調理で数千回、数万回と繰り返した零点一ミリを刻む超高速 薄切り(スライス) の術式が飛び出す。

――パンッ!

乾いた破裂音と共に、父と継母の間の壁が鋭く切り裂かれた。制御を誤り、父の頬を掠め、継母の髪を数房ほど削いでしまったようだ。

「やっぱり初めての動作は、どうにも力加減が難しいわね」

「ひ、ひぃぃ……っ!」

継母がガチガチと歯を鳴らし、己の身を抱くようにして父の隣にうずくまった。だが、これでもまだ状況を理解していない愚か者が一人いた。

「お、お母さまになんてことをするの……!!」

勇ましく一歩前に出たフルールに向け、私は手の甲を天井へと向けた。そして、そのまま、静かに真下へと押し下げる。

首の骨が折れない程度の、絶妙な風圧。

屋敷の隅々まで、雑巾を自在に滑らせて床の汚れを磨き上げていた私からすれば、この程度の出力調整は造作もない。

「あ、あ……ぐっ……!」

見えない重圧に耐えかね、フルールが床に這いつくばる。継母はもはや表情を失い、ただ壊れた人形のように、無様に伏した娘を見つめることしかできない。

数秒の沈黙をおいてから手を離すと、ようやく心地よい静寂が訪れた。

「……ふう。やっと話ができそうね」

「さて」

獲物を追い詰めた獣のように、私は口元に薄い笑みを浮かべながら、硬く冷え切った声で問いかけた。

「お姉ちゃんのワインを飲んだのは、誰……?」

「え……?」

「お姉ちゃんのために、お母さまが遺してくれたワインを盗んだ泥棒は、誰かと聞いているのよ!」

――ドンッ!

私が拳で食卓を叩くと、その衝撃が波紋を描く鋭利な突風となって吹き広がった。三人の体は抗う術もなく壁へと押し付けられ、ゴツリと鈍い音が重なる。

そこから一呼吸遅れて、風によって舞い上がった私のアイスグレージュの髪が、重力に従いパサリと肩へ降りた。

「わ、ワイン……?」

「な、なんのことかしら……?」

「私の瞳と同じ、緑のリボンがかかったワインですよ」

その言葉に、彼らが私の顔を凝視した。

亡き母から受け継いだ、風魔法の使い手を示す薄緑色の瞳。それが今、逃げ場のない切っ先となって三人を射抜いている。

「きみどりの、リボン」

ぽつりと漏らしたフルールが、ハッとして口を両手で覆った。父と継母が、弾かれたように首を捻り、娘を凝視する。

「フルール?」

私は手元に小さな竜巻を生み出し、彼女の髪をそっと撫でた。

優しく触れたつもりだったが、怒りで研ぎ澄まされた風は、私の制御を容易に振り切る。ブチリ、と生々しい音を立てて、彼女の赤髪が千切れ飛んだ。

「ひぃぃ!」

「フルール? 言いなさい」

「お、お父様がお出かけの手土産が必要だって仰ってて……! こないだ執務室を探検していたら、綺麗なワインがあったから、それを渡しただけよ!」

「……なっ、あれのことか! お前、そんな所から持ち出したなどと言わなかっただろう!」

「なによ! お父さまだって何も聞かずに助かったって持っていったじゃない!」

「そもそも、イザベルが見栄を張って侯爵夫人に手土産を約束するから……!」

「なっ、私はそんなの知らないわよ! あなたが勝手にやったんでしょう!」

「そもそもフルールが勝手に執務室に入ったのが悪いんだ!」

――ドンッ! ビシンッ!!!

醜い責任の擦り付け合いを、私は空間そのものを押し潰すような魔力で圧殺した。

食堂全体がミシリと軋み、空気さえもがメリメリと悲鳴を上げる。立ち上がりかけていた家族は、不可視の壁に叩きつけられるようにして各々が尻餅をついた。

「……もう、黙って」

その一言で、食堂に再び刺すような静寂が訪れる。

わかったことは、たった一つ。

母が遺してくれたあのワインは、もうこの世のどこにもないということだ。

あらためて突き付けられたその現実は、乾ききった私の心にぽっかりと穴を開けた。

私はぼんやりとした思考のまま、胸の底から湧き上がる衝動を目の前の虚無へ向けて放った。

……ヒュッ。

空気を切り裂く、鋭く無機質な音。刹那の空白を挟んで、分厚い無垢材の巨大なテーブルが、バキッと芯の折れるような音を立てて、中心から真っ二つに裂ける。

「お、お姉ちゃん……」

震える声で最後にそう呟いたのは、誰だったのか。

「『お姉ちゃんだから』って。何で私がこんな目に遭わなきゃいけないの……」

家族たちが息を呑む気配を背に、私はふらふらと頼りない足取りで、振り返ることなくその場を後にした。