軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

とある第二王子の側近の話(2)

そして、待ちに待った王家主催の春の夜会。

ウォルジー伯爵家のソフィー様と初対面のときが訪れた。

私は主君の数歩後ろで、その様子を冷や冷やしながら見守っていた。

主君が自慢の微笑みを浮かべて誘いかけた瞬間、ソフィー様の瞳に隠しきれない嫌悪が走ったのを、私は見逃さなかった。

……無理もない。

主君はあろうことか、初対面のご令嬢に対して距離感を誤り、既に相手を籠絡したかのような不遜な態度で接したのだから。

しかし、過剰な自信ゆえか、あるいは彼女の淑女の微笑みに騙されたのか。

彼女が精一杯絞り出した拒絶の言葉を「初めての夜会ゆえの緊張」と都合よく鵜呑みにし、彼は、その致命的な温度差に全く気づいていないようだった。

「案外、悪くない。いい嫁ぎ先になりそうじゃないか」

「そんなに上手くいきますかねぇ」

バルコニーへ移動し、誰に聞かれているかもわからないのに下心丸出しの本音を話し出した主君。

その無防備な背後で、私は本日何度目かも知れぬ深い溜息をついた。

あの伯爵令嬢は、主君が思うほど御しやすい純真な温室育ちではない。ましてや、隣にいたあの継母の、あの鬼気迫る眼差し……。

(ああ、これはもう、絶対に上手く進まない……最悪、主君はあのアリアーヌ様の元に送られることになるのでは?)

あまりに浅はかな見通しに、私はこれからの自分の苦労を思い、キリキリと痛み始めた胃のあたりをそっと押さえた。

だが、想定外だったのはここからだ。

その後、一度は会場に戻ったものの、ダンスのパートナーの座を狙うアリアーヌ様の執念深い追跡を逃れ、我々はすぐさま喧騒を後にする。

気だるげに夜の庭園へ向かう主君に付き従った先で、私は世にも恐ろしい光景を目の当たりにした。

庭園の茂みの奥で、暴漢に囲まれ、絶体絶命の状況にいる見覚えのある令嬢。

――ウォルジー伯爵家のソフィー様だ。

救出のために飛び出そうとした私を、主君が手を伸ばし、無言の制止で遮った。

何故、と問いかける暇もなかった。

そこから始まったのは、救出劇などという生易しいものではない。

蹂躙、だ。

王家の影として修羅場を潜ってきた私でさえ、思わず腰が引けるほどの圧倒的な暴力。

舞い散る風の刃は、男たちの武装のみならず衣服さえも無慈悲に細切れにし、最後には男たちを物理的に掃除して夜空の彼方へ放り投げた。

……あれが、魔法なのか。

私の知っている魔法は、貴族たちが祭典で見せる鮮やかなパフォーマンスだけだ。

シャーロット殿下の訓練の後片付けの際、残骸の様子から攻撃に転用した際の凄まじさは察していたつもりだったが、実際に目の当たりにするそれは、想像の範疇を遥かに超えていた。

あれにただの騎士が対抗するなど、到底不可能だ。

次元が、違いすぎる。

無邪気で残酷な風の精霊が去るように、ソフィー様がふらりとその場を立ち去る。

彼女の姿が見えなくなってようやく、私は金縛りから解かれたように、土の上で震える被害者の令嬢のもとへ駆け寄った。

令嬢を保護し、放心状態のまま医務室へと送り届ける道中。

私の思考は先ほど目にした絶望的な力に支配され、背後にいた主君が一体どのような表情を浮かべていたのか。それを窺う余裕すら残っていなかった。

「ソフィー嬢に求婚する」

翌朝。

護衛業務のため入室した私を待っていたのは、数ヵ月ぶりに、いや、これまでにないほど瞳に異様な生気を宿した主君の姿だった。

「……はい?」

私の呆けた返事など興味はないと言わんばかりに、彼は怠惰な仮面をかなぐり捨て、意気揚々とソフィー様を追いかけていった。

私は訳が分からないまま、ただその背中を追うことしかできなかった。

しかし、その猛烈な勢いは、わずか数時間後、王女殿下のお茶会が終わるのと同時に、無惨にも打ち砕かれる。

廊下で待ち伏せ、流れるような動作でソフィー様に膝をついた主君。

そこまでは、熱烈な求愛として少々やりすぎだが美しく見えなくもなかった。

だが、継母君が口を開いた瞬間、凍りつくような沈黙が廊下を支配した。

「婿殿は、指一本動かさせずに一生笑わせて差し上げますわよ?」

その言葉が、昨夜のバルコニーでの雑談の引用だと気づいた瞬間、主君の顔から一気に血の気が引いた。

私もまた、胃のあたりを鋭い刃で貫かれたような錯覚に陥る。

……聞かれていたのだ。

あろうことか、一番聞かせてはいけない相手に。

そこからの主君の姿は、王族としての尊厳など欠片も残っていないものだった。

「違うんだ!」

「俺は心を入れ替えた!」

額を床に擦り付けんばかりの勢いで土下座し、彼女の『しもべ』になりたいと必死に縋り付く主君。そこには、「俺を笑わせておいてくれる家がいい」と笑っていた傲慢な面影はどこにもない。

呆然と立ち尽くす人々の視線が、背後に控える私にまで突き刺さる。

私は、そこでようやく主君の突然の変容の理由を理解すると同時に、絶望的なまでのスタート地点の低さに、ずきずきと痛む頭を押さえた。

「……俺は今から、彼女への謝罪文をしたためる」

そう言って自室にこもった主君は、一心不乱に叙事詩のような分厚い手紙を書き上げ、即座にウォルジー伯爵家へと送らせた。

それでもなお、胸の内を書き尽くせなかったらしい。

もはや凶器になりかねない重みの「第二の鈍器」の作成に取り掛かりながら、久方ぶりに私へ、以前の鋭さを取り戻した声で命じた。

「ウォルジー伯爵家の直近二十年前後の記録をすべて洗い出せ。過去の些細な出来事一つ、漏らすな。特にこの一年の急成長の理由は必ずだ」

「……御意に」

主君の命を受け、私は王宮の影たちに指令を通す。

しかし、そこで判明したのは、ウォルジー伯爵家の成功の秘訣などではなく、前当主の若すぎる死の裏に隠された凄惨な真実だった。

ソフィー様の母上が、彼女が八歳の時に亡くなった理由。

それは事故などではなかった。

当時帝国から療養という目的で滞在していた帝国の第一王子、レオポルドを庇っての凶刃による死。彼女の祖父が帝国の高位貴族であった縁から、何らかの理由で彼を匿っていた際の一件だったという。

王家すら把握していなかった事実に、主君は静かな怒りに身を焼きながらも、より詳細を究明するよう我々に命じた。

そして、これほどの重大な過去を掘り当ててもなお。

なぜ、この一年でウォルジー伯爵家が突如として商売の旋風を巻き起こしているのか。

その商才の源泉だけは、いくら洗ってもたどり着くことができなかった。

翌朝。

早馬でウォルジー伯爵家へ乗り込んだ主君に対し、出迎えた面々の対応は、昨日の継母君の態度から想像できるように、冷淡そのものだった。

「粗大ゴミとして追い出してやる!」

獲物を狙う蛇のように殺気立つ蔓を自在に従え、腕を組んで威嚇する少女。

それを諫めるどころか「貴方もやるのよ!」と、怯える夫の脇腹を強くつねりながら攻撃魔法を急かす継母君。

そんな不敬極まりない姿も、今の主君の目には違って映るらしい。

彼は、ソフィー様を守ろうと一丸になる家族たちを、羨望の眼差しで眺めていた。

「俺も……俺もいつか、あの輪の中に入って彼女を守る盾になりたい……!」

「ジスラン殿下、見惚れている場合じゃありません。ほら、早く用件を」

私が隣で冷たく促すと、殿下は縋り付くような声で叫んだ。

「誠心誠意、貴女に仕えたいと願うこの誓いに偽りはない。だから、もう一度だけでいい。やり直すチャンスを与えてくれ!」

「口先だけなら誰でも言えます。我が家は実力主義。役立たずの『飾り物』など必要ないのです!」

冷酷に突き放された主君。しかし彼は絶望するどころか、顎に手を添え、不敵な笑みすら浮かべた。その灰色の瞳に、高揚感とギラリと異様な光を宿して。

「……なるほど。実力で示せということだな!」

ウォルジー伯爵家に乗り込んでから、あんなに調べても掴めなかった躍進の理由は、数日と経たぬうちにあっさりと判明した。

この家の人間は、魔法を生活の一部として扱っているのだ。

通常、貴族が魔法を振るうのは権威を示す祭典の場に限られる。

けれどここでは、ソフィー様の義妹だという幼い少女までもが、日常の家事や商売の場で、呼吸をするように当然の如く魔法を操っていた。

法に触れないとはいえ、王都の常識に照らせばあまりに異様だ。

私は主君に警戒を促したが、最強の魔法の使い手である姉に慣れ親しみすぎているせいか、彼はこの規格外な環境を前にしても「便利でいいじゃないか」と平然としたものだった。

今や主君はすっかり伯爵家に入り浸り、シャーロット殿下に心酔していたときのように、日々楽しそうに実務に励んでいる。

私にとっては、あの夜会で目撃した狂気的なまでに強く美しいソフィー様の印象が今も強烈に焼き付いている。

しかし、この屋敷で見る彼女は少し違った。

当主としての威厳こそ保っているものの、その実はどちらかと言えば押しに弱く、一人で仕事を抱え込みがちな、危なっかしいほど一生懸命な女性。

……それゆえに、主君の猛烈な献身という名の厚かましい押しを断りきれず、いつの間にか屋敷内に主君専用の個室まで用意されていた。

私は主君のあまりの図々しさと、彼女の人の良さに、最近では主君よりもむしろソフィー様の将来を心配するほどになっていた。

ちなみに殿下の側近として、私も何故か伯爵家で余っていた一室をお借りしている。