作品タイトル不明
49.第八章、完
(けど、全てを話したわけではないし……)
娼館やラウルのことは伏せている。
どこまで話すべきか悩むクラウディアを、シルヴェスターは強引に抱き寄せた。
きゃっ、とバランスを崩しながら、シルヴェスターの胸に収まる。
「話したくなったときでいい。どんな経験をしていても、その経験を糧にして、今のディアがある。私は今、目の前にいるディアを愛している」
ただ……と言葉が続く。
「異性関係については、聞き入れられないかもしれない」
「はい」
「ラウルと会ったことはあったか?」
微笑みを返すと、シルヴェスターの眉間に、ぐっと深いシワが寄った。
「やっぱり息の根を止めるべきか」
「異性に留まらず、人間関係について黙秘しますわね」
会っただけでこれでは、真実を告げたら、どうなるのか。
クラウディアの頭の中にあるだけなのに。
「時々、空想なのではと自分を疑うときもありますわ」
学園祭の案出しや、ヘレンの状況を知っていたことなど、空想では説明がつかないこともあるけれど、物的証拠はないのだ。
「何だっていいさ、ディアが私のことを愛してくれるなら」
自分本位な答えに、救われる。
全てを受け入れると言ってくれているのと同義だった。
「はい、わたくしはシルを愛しています」
甘く艶めいた黄金の瞳が迫ってくる。
鼻先が触れ、唇に吐息が触れた。
目を閉じ、重なりを待つ。
柔らかい感触。
それが離れる間際、下唇を吸われ、腰に甘美な感覚が走る。
声が漏れそうになるのを我慢していると、また唇が重なる。
縋り付きたくなる欲望を、無理矢理抑え込んだ。
これ以上は、自分でも歯止めが利かなくなる。
制止のためにシルヴェスターの胸に手を置いた。
「シル……んっ」
けれど口付けは止まない。
クラウディアが本気で止めようとしていないことを、シルヴェスターもわかっている。
(本当に、これ以上は、ダメ)
体から力が抜けかけていた。
拳を握ると、ようやく二人の間に空間が生まれる。
至近距離で見た瞳は、赤く燃えているようだった。
火傷しそうな熱を感じ、慌てて視線を下げる。
「怖がらせてしまったか?」
「いえ、その……シルの熱で、自分が溶けてしまいそうで」
まだ欲情に負けていい立場ではないから。
言外にそう告げると、シルヴェスターは顔を逸らして、深呼吸を繰り返した。
お互い、持て余した熱を冷ます時間が必要だった。
ちょうど落ち着いてきた頃、急な報せが入る。
「誰も邪魔するなと言っておいたというのに」
「それだけ急ぎなのでしょう」
伝令が持ってきたメモを、シルヴェスターが受け取る。
「ほう……?」
良い報せなのか、悪い報せなのか。
どちらとも取れない反応だった。
「ナイジェルが襲われた」
「えっ!?」
「命は取り留めたものの、意識不明とのことだ。犯人はまだ捕まっていない」
教会本部の警備は厳重だ。
何より、ナイジェルは監視下にあった。
「犯人は監視の目をくぐり抜けたということですか」
「もしくは監視が犯人に協力したか。ナイジェルの自業自得だが、犯人は異端審問まで待てなかったのか?」
わざわざ襲わなくとも、罪に問われる。
危険を冒す必要はないのに……と考えたところで気付くことがあった。
「ナイジェルの異端審問については公にされていませんわ」
「なるほど、内部犯ではなく、事情に精通していない外部犯ならあり得るか」
確かなのは、監視が仕事を怠っていたことだけ。
長く続く軟禁に、気が緩んでいた可能性もある。
(まだ町には聖女祭の余韻が残ってますのに)
世界情勢は常に目まぐるしく移り変わり、人が一息つくのを待ってくれない。
「奴との決着は、いつも後味が悪いな。粘着質な精神の表れか?」
苦笑で答えると、ドアの隙間から赤毛が覗いた。
「シル、お仕事の時間が来たようですわ」
「放っておけ」
「放っておかないでください!」
トリスタンがお迎えに来ていた。
「そうだ、ディア。やっとこいつも重い腰を上げたぞ」
何のことだと思った瞬間、トリスタンの顔が真っ赤になるのを見て察する。
「ルイーゼ様に告白したのですか!?」
「あうう」
「ご婚約はいつです!?」
「ううう」
つい前のめりになったしまった。
トリスタンが顔を両手で隠す。恥ずかしいらしい。
「それぐらいにしてやってくれ。使いものにならなくなる」
婚約について、サヴィル侯爵家に打診したところまではいったと、シルヴェスターが教えてくれる。
「残念ながら、返事はまだとのことだが」
「そうなのですか? トリスタン様なら何の問題もないでしょうに」
何よりルイーゼが好いている。
一番の問題はクリア済みだ。
「ルイーゼ嬢なら、ラウルの相手でも通ずる。侯爵が出し惜しみするのも無理はない」
「ルーが素敵なのは確かですけれど」
思い合う相手がいて、身分も申し分ないなら、即決の事案ではないか。
親心は複雑なのだろうか。
そこで、とシルヴェスターは人差し指を立てる。
「サヴィル侯爵の背中を押すため、我々の結婚式を見せ付けよう」
「妙案ですわ」
逆行を打ち明け、精神的な距離がより近付いた。
聖女祭が終わり、止まっていたお妃教育さえ再開すれば、あとは秒読みだ。
緩くクセのある黒髪を一房、シルヴェスターが持ち上げる。
毛先に口付け、うっとりと呟く。
「神の前で、君を私のものだと宣言するのが待ち遠しい」
「わたくしもですわ」
もう日は暮れているのに、光芒が降り注いでいるようだった。
(わたくしたちには未来がある)
過去に囚われる必要はない。ただ今を大切に生きればいい。
クラウディアは、ようやく逆行前のことを思い出にできた気がした。
二人が世界をつくっていると、トリスタンが復活する。
「では、心置きなく結婚式を迎えられるよう、シルは仕事しましょうね!」
「ハネムーン中は任せた」
「仕事しましょうね!」
動こうとしないシルヴェスターの背中を、トリスタンが押していく。
クラウディアは廊下から二人の姿が見えなくなるまで、手を振って見送った。