作品タイトル不明
32.悪役令嬢は捕まる
倉庫前で馬車を降りると、一瞬、日差しに目を焼かれた。
入り口のすぐ傍まで乗り付けているので、よく入り込む隙があったものだ。
倉庫に入ると、中は静まり返っていた。
戻ることはスラフィムを介し連絡してもらっていたので、ベゼルが休業日にしてくれていた。
木箱に隠されたドアから、地下への階段を下りる。
目にした光景に、思わずルキを振り返った。
「ここ、同じ場所よね」
「同じとこだ。けど、すげぇ変わり様だな」
ルキの言うとおり、内装がガラッと変わっていた。
壁紙が貼られ、絨毯まで敷かれている。
設置された調度品は品があり、高級ホテルと遜色がない。
新しい部屋までできている。
パーティションで区切っているのではない、しっかりとした壁があった。
中を覗こうとしたところで声がかかる。
「おかえりなさい! 出迎えられずにすみません、気に入ってもらえましたか?」
以前、護衛を務めてくれた構成員のハーマンだ。
警備員はいたが、彼の姿はなかった。手荷物を見るに、買い出しに行っていたらしい。
海での運航は自然任せだ。
大体このくらいにつく、という大雑把な予定しか伝えられないので、すれ違いがおきても仕方なかった。
「凄すぎて、驚いていたところよ」
「へへっ、皆で頑張った甲斐があります。そちらの部屋は風呂です」
「浴室だったの!?」
「といっても、他の部屋が湿気らないよう、区切ってあるだけですが」
ドアを開けると、猫脚の浴槽が鎮座していた。
隣には底の深い、大きめの桶が置かれている。
通気口は新たにつくられているが、排水溝はない。
「排水が間に合わなくて……次までには工事を完了させておきます!」
「無理しなくていいのよ?」
大工事になるのは容易に想像できる。
「まぁいいんじゃね。他のやつらも使いやすくなるだろうし」
ルキの言葉で、なるほど、と心が軽くなる。
クラウディア以外も使うなら、設備が無駄になることはない。
「お風呂使われますか? 準備しますよ」
「でも、まだ排水できないのよね?」
「はい、なので汚れたお湯は、別にしてもらう必要があります。浴槽の隣にある桶がそうですね」
入れるときも出すときも樽に入れて運ぶという。
「力仕事は任せてください! 荷物運びは良い訓練にもなりますから」
むしろ準備させてほしいという勢いに押され、クラウディアは頼むことにする。
いい加減、カツラを外したい気持ちが強かった。
「とりあえず髪を洗って、体を拭けたらいいわ」
「姉御の次はおれな」
「任されました!」
待っている間、パーティションで目隠しをつくり、動きやすい服装に着替える。
パーティションもグレードアップし、木造の壁面には花の模様が立体的に彫られていた。
ベッドが天蓋付きになっていたのには苦笑が漏れた。
クラウディア以外が使うには抵抗があるように思えたからだ。
枕の横にぬいぐるみが置いてあるのは、ベゼルの趣味だろう。
前との違いを楽しんでいると、浴槽にお湯が溜まったと告げられる。
よし、と袖をまくって気合いを入れた。
一人で頭を洗うのは、クラウディアにとって重労働だった。
髪を洗い、体を拭いた頃には、相当な時間が経っていた。
ルキの番になると、バケツリレーで樽が運ばれていく。
合流したベゼルが丸い頭を掻いた。
「騒がしくてすみません。ルキのやつも我慢すりゃいいのに」
「ルキもずっとカツラを着けていたから、大目に見てあげてちょうだい」
イーダの計らいで、航海中は濡らした布で体を拭けた。
船の積載量に対して移動距離が短いので、いつもより多めに真水を積めたのだ。
それでも髪を洗う分の余裕はなく、今に至る。
無作法だが、ベゼルと話している間も、ずっとクラウディアはタオルで髪を拭いていた。
長い髪が含む水分量は想像以上で、屋敷の侍女たちには感謝が絶えない。
ベゼルが伺う様子を見せるので、どうしたの? と首を傾げる。
「新しい花があるんですが、今渡していいものか悩みまして」
「頂戴するわ」
花瓶に入れて飾るものではないので、気にせず渡して貰った。
ちなみに、前に貰ったクロッカスは押し花にしてとってある。
ベゼルが見せた花は、細い枝の先で白い花弁を堂々と広げていた。
「マグノリアね」
春を告げる花としてよく知られている。
受け取ると、甘くもエキゾチックな香りがほのかに漂った。
「王都の状況は聞いていて?」
「はい、日増しに大事になっています」
より旗色が悪くなったのかと思ったけれど、どうやらそういうわけではないらしい。
「クラウディア嬢については異端審問に任せるしかないので、ある意味、落ち着いてきています。噂や悪評が消えたわけではありませんが」
論争したところで結果が出ないため、凪の状態だという。
「そこで民衆の関心は黒魔術へ移りました。教会も予想外だったようです。黒魔術に奇跡の力はないと公表したのですが、黒魔術に対する憶測は消えていません。クラウディア嬢が心酔するだけの効果があるのだと、聖女様のお言葉が尾を引いています」
挙げ句、黒魔術から守ってほしいと、大聖堂へ信徒が連日押し寄せているという。
スラフィムからも聞いていたことだが、事態は重くなっていた。
報告が一段落したところで、ルキが浴室から出てくる。
「あー疲れたー」
綺麗になって、すっきりしているのに疲れたとは、これいかに。
両立しなさそうなものだが、クラウディアはルキの感想に同意しながら告げる。
「まだ乾かす工程が残っているわよ」
その一言に、ルキはテーブルへ突っ伏した。
◆◆◆◆◆◆
翌朝、足音を立てながら構成員が地下室へ下りてくる。
「お、王国騎士団がやって来ました! 倉庫街の入り口に陣取っています!」
報告を受けたルキが眉根を寄せて、勢い良く立ち上がる。
「姉御を捕まえに来やがったのか!」
王国騎士団は、王家所属の騎士団である。
保護が目的なら、事前に連絡があって然るべきだった。
シルヴェスターは、クラウディアを切り捨てるつもりだとルキは息巻く。
隠れていたクラウディアを騎士団に捕まえさせることで、評価を得ようとしていると。
「逃走ルートは確保できてるんだろうな!?」
「現在確認中です!」
荒々しく指示を出すルキとは対照的に、クラウディアは落ち着いていた。
(ここが潮時みたいね)
静かに深呼吸をする。
胸に手を置いて、正常な鼓動の動きを感じた。
「ルキ、わたくしは王国騎士団のところへ行くわ」
「何言ってんだ! 諦めるのかよ!?」
「まさか。修道服に着替えて、立ち向かうのよ」
捕まえにきたからには、騎士団の目的は、クラウディアを教会本部まで護送することだ。
遂に異端審問へ出席するときが来たのである。
クラウディアの悠然とした笑みを目の当たりにしたルキは、それ以上反論しなかった。
◆◆◆◆◆◆
王国騎士団は、物音一つ立てず、クラウディアを待っていた。
少し動くだけでガチャガチャと金属音を鳴らす甲冑を、全員が身に纏っているにもかかわらず。
直立不動で整列する騎士たちは、威圧感と共に美しさも兼ね揃えていた。
昼の日差しが、手入れされた甲冑の表面を撫でていく。
(見事な統率力だわ)
最前列、中央。
部下より一歩前へ出て立つのは、ニューベリー騎士団長。
ニューベリー侯爵家の当主であり、トリスタンの父親である。
息子と同じ赤髪にオレンジ色の瞳を持ち、目元のシワと風体には深みがあった。
姿を隠し、様子を見守っている構成員が気圧されているのを感じる。
警ら隊や酒場でオフを楽しむ騎士には馴染みがある彼らでも、現場で騎士団を見るのはこれがはじめてだった。
対人戦闘のスペシャリスト。
身を守る甲冑は堅牢で、彼ら一人一人が盾であり剣である。
暴力に慣れた者ほど、騎士が繰り出す一撃の威力を想像し、青くなっていた。
(それでいいわ)
勝てない相手にケンカを売る人間がいなくて安心する。
争いの場以外で蛮勇を誇示すれば、てきめんに悪い結果を招いた。
余計な心配をしなくて済むのは、打算的な集まりの利点である。
――空気は、騎士団が完全に支配していた。
ピリピリと肌を刺す緊張感の中、クラウディアは騎士団の前へ姿を現す。
聖女の補佐役を務めるための、修道服を身に纏って。
手首ではリンジーブルーが控えめに輝きを放っていた。
一歩進むたびに緩やかなクセのある黒髪がなびき、長いまつげの影が揺れる。
背筋を伸ばし、前を向きながらも斜め下へ向けられた視線に、誰もが知る公爵令嬢の覇気は見られない。
代わりに、敬虔な信徒の姿があった。
身を隠している間、心労で細くなった顎のラインが美しさに儚さを添えていた。
誰ともなく息を呑む声が聞こえ、ここではじめて、カチリと金属音が鳴る。
気付いたときには、殺伐としていた空気は一新され、清らかな静寂が満ちていた。
支配しているのは他でもない、クラウディアだ。
ローズガーデンの構成員にとって、騎士団が作る雰囲気は馴染みがなく、恐怖すら感じるものである。
けれど逆に、クラウディアには身近なものだった。
リンジー公爵家の騎士団の前へ立ったことは幾度もある。
それでなくとも耳目を集める立場だ。
隙を見逃さず攻撃しようとする敵対心だけの視線に比べれば、目の前で居並ぶ騎士団たちは中立を保っている分、クラウディアには優しく感じられた。
(逆行前は、不慣れだったけれど)
今ではすっかり大衆に見られるのにも慣れた。
おかげで振る舞いにも自信がある。
地位に加えて、娼館で培った技巧が後押ししてくれた。
実際、心労で少し痩せたものの、化粧で影も入れている。暗くなり過ぎないよう、目元には明るい色を薄く置いた。
清楚に見せるため、髪にも適量のオイルを含ませている。
身だしなみは、時に騎士の甲冑と同等の力を持つ。
その証拠に、この場の誰もが、クラウディアの地位を、敬虔さを実感していた。
ニューベリー騎士団長の前まで進むと、一団に視線を巡らせる。
「クラウディア・リンジーです。皆様にはご足労をおかけしました」
落ち着き、ゆったりとした声音に誰もが惹き付けられる。
そして動かした視線の先で、確固たる意思を宿した青い瞳に、威厳を見るのだ。
たった一言発しただけで、控えめながらも、選択権を持つ者であることが周知された。
「ニューベリー侯爵もお久しぶりです」
「王太子殿下より護送の任を預かりました。リンジー公爵令嬢にはご同行をお願いします」
「かしこまりました。禊ぎ中ですので、エスコートはご遠慮致しますわ」
馬車へ誘導しようと腕を上げていた騎士団長がハッと目を見開き、頭を下げる。
聖女祭が延期になっても補佐役に徹する、クラウディアの心持ちを察したのだ。
「失礼致しました」
「いいえ、お気遣いに感謝致します」
王家の紋章が描かれた、設えの美しい馬車に乗り込む。
白を基調とした外装には、金色の縁取りがなされ、日の光を反射していた。
その光が、タラップを粛々と上がるクラウディアを輝かせ、人々に、自然によってもたらされる祝福を見せた。