作品タイトル不明
23.悪役令嬢は刺繍の会に参加する
幽霊騒動は思わぬ展開で決着を迎えた。
なぜ、クリスティアンが司祭ではなく、劇場でクラウディアに声をかけたのかは謎のままだ。
(司祭より、わたくしのほうが波長が合ったのかしら)
こればかりは考えても仕方がない気もしている。
全てに白黒付けるのは無理な話だし、危険な考え方でもある。
濃いグレーだからといって黒と決めつけ、白い部分を見逃してしまえば、最悪、取り返しがつかないことになる。
世の中、簡単に割り切れることだけではないのだ。
特に幽霊やきまぐれな神様の奇跡などは、人の力の埒外だった。
自分の価値観で理解しようとするほうがおこがましく感じられる。
(人間同士でも、相手のことを理解するのは難しいのに)
でもこればかりは諦められない。
幽霊や神様のこととは違って、他でもない自分や周囲の人間が困ることになるからだ。
全てを理解できなくても、可能な限り相手を知ること。
生きていく上で何が重要なのかは、娼婦時代に学び直した。
住む世界が変わっても、人間の根本は同じ。
下品か上品かの違いだけだった。
(同じだからこそ、理解できる、という希望が生まれるのだけれど)
馬車から降りる寸前、神妙な声に送り出される。
「クラウディア様、ご武運をお祈りしております」
「まるで戦場へ向かうようね」
「大きな差はないと理解しております。何かありましたら、すぐにお声がけください」
刺繍の会の主催者がパトリック夫人だからか、気が抜けないとヘレンの表情が語っていた。
お茶会と同じく、同行した侍女は待合室で待機することとなる。
「お側にいられないのが心苦しい限りです」
「同じ建物内にいるだけでも励まされるわ」
誰にも見られないところで笑顔を交わし、地面を踏みしめる。
サンセット侯爵家の玄関前。
顔を上げた先にはパトリック夫人が立っていた。
今日もどこかキツネを連想させる表情で、クラウディアを招き入れる。
お茶会同様、刺繍の会も夫のいる奥方だけが招待されるが、例に漏れずお妃教育の一環としてクラウディアも招待されていた。
挨拶を交わし、使用人の案内で会場となる部屋へ向かう。
(そういえば、どうして幽霊って昼間には出ないのかしら)
着いた会場が柔らかい日差しに満ちているのを見て、そんな考えが頭を過った。
一段落ついたのだから忘れようと思っても、幽霊騒動の一件は、意識の隅に残り続けている。
怪談の舞台は決まって夜だ。
照明が灯った明るい劇場でクリスティアンと会ったのはイレギュラーに感じられるが、このときも昼間ではない。
謎に包まれた存在だが、出没時間だけは一貫していた。
(今は刺繍の会に集中しましょう)
他のことを考えている余裕はないはずだ、と指定された席に着く。
会場の広さを見て、仲の良い身内だけの集まりでないことは一目でわかった。
壁に沿って並べられた椅子は優に三十脚はある。
席の前には人数分の小さなテーブルが並び、ティーカップと刺繍用の材料が用意されていた。
壁と椅子の間には二メートルほどの空間が設けられ、侯爵家の使用人が客の要望に応えるため待機している。
機能的な面もさることながら、席に座った客たちの視界を彩るよう、部屋の中央付近に置かれた大きな花瓶が景観をつくっていた。
白地の花瓶には、細やかな金の装飾と一番大きな面には鮮やかなバラが描かれている。
透明感のあるクリスタルピンクや水色など淡い色を使った絵は可愛らしくもあり、繊細な筆のタッチからは気品が漂う。
花瓶だけでも十分目を楽しませてくれるというのに、時間をかけて開花する分、ふっくらと深みのある花弁が特徴的な秋バラが花瓶の上空を占めていた。
おかげで室内には、ほんのりとバラが香っている。
香りが苦手な人も、この程度なら気にならないだろうという素晴らしい配分だった。
(さすが侯爵家と言わざるを得ないわね)
豪華なのは花瓶だけじゃない。
何十脚と用意された椅子をとっても、統一感のある意匠が凝らされている。
全てが華美にならないよう、テーブルと足下を飾る絨毯は落ち着いた色が採用されていた。
花瓶は退屈な時間を補うため、刺繍中、長時間視界に入るテーブルと絨毯は、作業の邪魔をしないように。
緻密に計算された空間。
お茶会のときも完成されてはいたが、今回はそれ以上にミスは許されない空気を感じる。
(招待客の人数が多いということは、そういうことよね)
出入り口から一番遠い、部屋奥の中央がパトリック夫人の席だが、続々と到着する来客を迎えるため、まだ席は空いたままだ。
すぐ近くはお茶会にも出席した夫人の友人たちが占め、次いでクラウディアの席があった。そして取り巻きとも呼べる、夫人に打算的な人たちが続く。
(わたくしはどちらに与するか問われているのかしら)
苦楽を共にする友人になるのか、都合の良いときだけ擦り寄ってくる知人になるのか。
クラウディアの席が、その境目になっている。
パトリック夫人の立場からして、主導権を握ろうとしているのは明白だ。
加えて、クラウディアの選択を招待客たちに見せようとしているのも。
数多く並べられた席は、取り巻きだけで終わらない。
席に着いている顔ぶれから、招待客の半分は中立――日和見勢だと認識する。
取り巻きが夫人に対し好意的なのを表明している一方、明確な意思を示していない人たちである。
ミスが許されない空間は、クラウディアへの威圧もあるが、主に日和見勢に向けられたものだった。
(今日を機に、取り込むつもりね)
完璧につくられた会場は、サンセット侯爵家の財力と権力の現れでもある。
貴族間で催されるイベントは、基本的に他家へ権威を示すものだ。
当主は議会で、夫人はお茶会などを通し、家の力を他者に見せ付ける。
そうした中で友人をつくり、打算的でも良いから自分の味方を増やしていく。
議会で票を集める当主とは違い、一見すると夫人の交友関係は明確な数字として現れない。
だが地道に築かれた縁は、時に票を動かすことにも繋がる。
だから当主は、夫人に予算を託し、屋敷での活動を任せた。
刺繍という内向的に見える作業も、「会」と名の付くものになれば、一気に外向的なものへ替わった。
招待客が揃い、パトリック夫人が席に着く。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。皆様、既にお気付きの通り、お妃教育としてリンジー公爵令嬢もご招待しております」
夫人の視線を受け、クラウディアも口を開く。
「未熟者ながら、参加させていただきます。皆様にはご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「勝手が違うところもあるでしょうが、お互い肩肘張らず、気兼ねなくいつも通りに会を楽しんでいただければ幸いです」
定型句的な挨拶が終わり、集中していた視線が分散していく。
それでも招待客の意識がパトリック夫人とクラウディアに向いているのは確かだった。