軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

01.娼婦は黄昏時を語る

人の顔が見分けられにくくなる黄昏時。

空ではオレンジと青が手を取り合っていた。

しかし束の間、目を離した隙に濃い藍色が全てを覆い尽くす。

少年は焦った。

友だちと遊ぶのに夢中で、すっかり帰るのが遅くなってしまったのだ。

暗くなる前に家へ帰るよう、母親からは厳しく言い付けられている。

約束を破れば、雷が落ちるばかりか、しばらく遊びに行かせてもらえないだろう。

まだ明るいと思っていたのに、失敗した。

ひんやりした秋風が頬を撫でる。

走る少年に合わせ、土がじゃりっと音を立てた。

王都の中心街とは違い、郊外には街灯が設置されていない。

母親が口を酸っぱくして注意するのも当然で。

夜になれば、人の顔どころか、全ての境界線が曖昧になった。

せめてまだ道が見分けられるうちに。

走っては、疲れて歩き、また走っては、疲れて歩くのを繰り返す。

そしてある地点で少年は選択を迫られた。

家への近道。

でも、いつもなら使わない道だった。

別に通るのを禁じられているわけじゃない。

修道院の敷地を突っ切る形になるが、壁や柵があるわけでもなく、誰でも通るのを許されていた。

それでも遠回りしていたのは、修道院として使われている石造りの古城が原因だった。

特に人が入っていない城壁塔は、昼間でも陰鬱としていて、どうも人が来るのを拒んでいる気がするのだ。

出る、という噂もある。

時には、家への近道である通りにも足を伸ばすと。

だから避けていた。

遠回りになっても、家へ続く道は他にもある。通りに面した城壁塔へ近付く必要はない。

けれど、今は。

緊急だった。早く帰りたかった。

薄暗いものの、まだ視界はある。

真っ暗になる前とあとでは、母親の怒り具合に差が出るのは歴然だ。

後者は避けたい。

ならば答えは一つ。

一気に駆け抜ければ大丈夫だろうと、少年は息を整える。

深呼吸をし、走る体勢へ。

いざ!

地面を蹴り、前屈みになる。

左右の腕を振って、前へ、前へ。

ぐんぐん過ぎ去る石造りの景色が、少年を後押しした。

なんだ、なんてことないじゃないか。

今まで何を怖がってたんだ。

これからは臆せず近道を通ろう。そしたら友だちと遊べる時間も長くなる。

少年に考える余裕が生まれた刹那。

視界の端に、白い人が映った。

思わず速度を落としたのは、その人影に違和感を覚えたからだ。

黄昏時、離れた人の顔が判別できないのは当然として。

何に引っかかったのか、すぐに答えを出せない。

ぼんやり青白く見えるのは、服装のせいだろうか。

髪の長い人だった。

ゆらゆらと足下がおぼつかない様子で歩いている。

今にも倒れてしまいそうだ。

助けたほうがいいかな?

幸い、ここは修道院の敷地内で、砦以外の建物には誰かしら修道者がいる。

人を呼んでくる、という手もあった。

そういえば、はじめて見る人だ。

修道者ではない。教会のローブを、白い人は着ていなかった。

背中まで伸びる長い髪が振り子のように揺れている。

ゆらゆら、ゆらゆら。

違和感の正体は、その人の歩き方にあった。

足を踏み出しているように見えないのだ。

まるでどこかにぶら下がっているような、そんな揺れ方をしながら進んでいる。

下手な人形遣いが、人形の手足に付けた糸を操っているみたいに。

ゆらゆら、ゆらゆら。

あぁ、そのほうが、まだマシだった。

規則的な揺れに気付いた少年の足は、完全に止まっていた。

心臓が早鐘を打ち、こめかみに脂汗がにじむ。

緊張で吐きそうだった。

最初は長い髪に覆われてわからなかった。

揺れる人の首が、不自然に伸びていることに。

首を支点にして、体が揺れていることに。

いつか、ぬいぐるみの首を持ったときのことを思いだす。

揺れが酷似していた。

けれど、目の前の人は、ぬいぐるみじゃない。

そう。

いつの間にか。

目の前にいた。

手を伸ばせば届きそうな距離に、髪の長い人がぶら下がっている。

恐怖で喉が張り付き、叫びは音もなく消えた。

顔を見上げる勇気なんてない。

足が、全身が、震えていた。

寒い。

怖い。

きゅうっと胃が縮こまり、目尻に涙が浮かぶ。

やっぱり遠回りすべきだった。出る、と知っていたのに。そんな後悔は、何の役にも立たない。

青白く見えたのは、血の気がなかったからだった。

人であって、人じゃなかったから。

死んで、いるから。

長い髪が少年の鼻先で揺れる。

どんどん、迫ってきていた。

いっそ気を失えたら、そう思うのに、感覚は鋭敏で。

逃げられない。

遂には少年の頬にぬるりと湿った長い髪が当たり――。

声にならない絶叫が、全身にこだました。

赤いベルベットの絨毯に、ゆらり、と長い髪の陰が落ちる。

正体がわかっていても、か細い悲鳴が部屋中に響き渡った。

長い髪の主が、ゆっくり口を開く。

「叫びは恐怖におののく少年のものだったのか、人ならざる者のものだったのか……。気付いたときには、少年は泣きながら家の前にいたそうよ」

しかし、話はここで終わらない。

その後も、何か訴えたいことがあるのか、修道院の周辺では髪の長い幽霊が夜な夜な彷徨い歩いているという。

ミラージュが話を締めくくると、娼館「フラワーベッド」の遊戯室に、溜息にも似た声が広がっていった。

「少年が無事に家へ帰られて良かったです」

語り手であるミラージュを中心にして扇状に集まった娼婦たちの一人、マリアンヌが頬に手を添えてしみじみと呟く。

痩身の彼女が鎖骨で切り揃えた髪を揺らすと、場の雰囲気に儚さが増した。

他の娼婦たちも感想を言い合いながら腕をさする。部屋が寒く感じられて仕方ないようだ。

幽霊が目の前にいた瞬間がもうダメ! と涙を浮かべる娼婦を見て、ミラージュは得意げに深緑の長い髪をかき上げる。

「ママ、怪談だけで食べていけるんじゃない?」

「お姉様とお呼び! そうさね、需要があるなら商売にできるだろうけどね」

娼婦の最年長であるミラージュは、他の娼婦たちにとってママのような存在だった。

客の前では丁寧な口調だが、こうしてプライベートだとサバサバして面倒見の良いところが、拍車をかけている。今し方おこなった怪談も、皆の退屈しのぎだ。

しかし本人は最年長であることを否定し、後輩たちにお姉様と呼ぶよう譲らない。

けれど後輩たちは、敬愛を込めて彼女をママと呼ぶ。

「地域ごとの怪談を集めたら、結構な数になりそうですね」

今回の舞台は王都郊外だったかしら、とマリアンヌが首を傾げる。

「あってるよ。郊外は古い土地も多いから、曰くには事欠かないのさ」

ハーランド王国の建国当初、周辺の地域は豪族が支配していた。

数多の豪族を併合して、今のハーランド王国は成っている。

怪談の中には、豪族が支配していた時代からのものもあった。

「さっきのところだと、髪の長い霊の他に、生け贄を求める霊なんてのもいたりね」

「どこでそんな古い話を集めてくるんです?」

「勝手に集まって来るんだよ。ほとんど客から聞いた話さ」

「既に怪談に取り憑かれているのかもしれませんね」

マリアンヌの言葉に、他の娼婦たちがキャー! と騒ぎ立てる。

「ママ、いつか祟られるんじゃない? 怖くないの?」

「お、ね、え、さ、ま! 別に怖くはないね。あたしは、幽霊より実在する人間のほうが怖いよ」

人間のほうが、その言葉には重い響きがあった。

娼館が国の管轄になり、環境が整備されつつあるといっても娼館は娼館。

ここへ行き着くまでに辛酸を舐めた者がほとんどだった。

ミラージュ自身は貧民街の出身である。

だからか、先ほどまでは幽霊を怖がって叫んでいた娼婦たちも、誰一人として反論することはなかった。