軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

39.悪役令嬢は屋敷に帰る

公爵家の屋敷に着く頃には、しっかり意識が覚醒していた。

馬車の窓から屋敷のシルエットが見えた途端、胸が熱くなる。

(帰って来たんだわ)

恋しかったのはシルヴェスターのことだけではなかったのだと自覚する。

門をくぐると、気持ちが加速した。

そわそわと落ち着きがなくなるクラウディアに、シルヴェスターが微笑む。

「皆、君を心待ちにしている」

先触れで、到着は報されていた。

現に、玄関先に人影が見える。

中ではなく、外で待ってくれている姿に、鼻の奥がツンとした。

目が涙で潤む。

音を立てて馬車が停まると、自らドアを開けて走り出したかった。

逸る気持ちを抑えて待つ。

クラウディアをエスコートするためシルヴェスターが先に降りようとするが、それは叶わなかった。

「おい、ヴァージル」

咎めるシルヴェスターを無視して腕が伸ばされる。

馬車のドアを開けたのは使用人ではなく、実の兄だった。

「ディー!」

「お兄様っ」

力一杯抱き締められ、堪えていた涙がこぼれた。

広い背中にクラウディアも腕を回す。

どっしりとした存在に胸が安心で満たされる。

伝わる体温が心地良かった。

帰って来た。

ちゃんと帰って来られたのだ。

村にいる間、あまり家のことは意識していなかった。

寂しさに耐えられなくなるから、我知らず考えないようにしていたのかもしれない。

けれど今は違う。

クラウディアにとって、ヴァージルが家そのものだった。

いつだってクラウディアの帰りを待ち、安全な居場所をつくってくれる。

家族――ヴァージルがいる場所が、クラウディアにとっての家だった。

「無事で良かった」

社交界では氷の貴公子とも呼ばれ、最近は次期当主として頭角を現している兄の震えた声が届く。

頬に湿り気を感じ、ヴァージルも泣いているのがわかった。

「心配を、おかけしました」

「いいんだ。ディーが無事なら、それでいい」

優しく頭を撫でられ、新たな涙が滲む。

互いの涙が止まるまで、二人は馬車の中に留まった。

シルヴェスターは邪魔することなく、ただ頬杖をついて二人を見守った。

ヴァージルがクラウディアをエスコートして馬車を降りようとしたところで片眉を上げたが、結局何も言わなかった。

今日だけは譲ることにしたようだ。

「名残惜しいが、私はこのまま王城へ帰る。ディアも無理はせぬように」

「はい、ありがとうございます」

シルヴェスターには国王への報告など、まだやることがあった。

クラウディアもすぐ日常生活に戻る必要があり、あまりゆっくりはしていられない。

婚約式が控えていた。

シルヴェスターを見送り、改めて背筋を伸ばす。

そんなクラウディアの背中に、ヴァージルが手を添える。

「湯浴みの準備はしてある。予定は入っているが、数時間なら休む時間をつくれるはずだ」

ニナが影武者を務めてくれているとはいえ、できることには限りがある。

クラウディアがいない間、先延ばしにしていた用件を片付けなければならなかった。

自室には行かず、そのまま浴室へ向かう。

シルヴェスターが馬車に替えの服を用意してくれていたので、今は村の茶色いワンピースから、侍女の制服に着替えていた。

(ヘレンはどこかしら?)

ヴァージルの次に会えるかと思っていたのに姿が見当たらなかった。

まだニナの傍にいるのだろうか。

ヘレンも大変な目に遭ったというのに、報告するなり、休まず仕事にあたったと聞いている。

ケガはなかったというが、自分の目で元気な姿を確認したかった。

浴室のドアを抜ける。

侍女の手を借りて服を脱いだところで、いつの間にか隣にいた存在に気付いた。

「ヘレン!?」

「はい、クラウディア様」

驚くほどいつも通りに、浴室へ誘導される。

けれどよく見るとヘレンの手が震えていた。

一糸まとわぬ姿になっていることも忘れてヘレンに抱き付く。

「会いたかったわ!」

「はい、はい……っ、クラウディア様、わたしも」

ぎゅっと抱き返されて、ヘレンの首に顔を埋めた。

項から彼女の匂いを感じる。

「どうして玄関先にいてくれなかったの?」

「お恥ずかしながら、平静を保てる自信がなくて……」

手を動かしていれば気が紛れると、浴室の準備に回ったのだという。

「クラウディア様、わたし、謝らなければいけないのに」

「ヘレンが謝ることなどないわ」

予想した通り、ヘレンは一人だけ助かった自分を責めていた。

ヴァージルに倣って、今度はクラウディアがヘレンの頭を優しく撫でる。

「ヘレンも被害者だったの。悪いのは罪を犯した人たちよ」

「でも……」

「わたくしが許すわ。もし世間がヘレンを責めても、わたくしが許す。それでは心が晴れないかしら?」

「いいえ、クラウディア様のお気持ちが一番です。わたしにとっても」

「だったら、もう自分を責めないで。あなたが辛いとわたくしも辛いわ」

すん、とヘレンは鼻を鳴らしたけれど、気持ちを落ち着かせると笑顔を見せてくれた。

逆行前からクラウディアを励まし、愛してくれた顔を見て、頬に口付けを贈る。

「大好きよ。ヘレンが無事でいてくれて嬉しいわ」

「わ、わたしも」

潤んだヘレンの瞳と目が合う。

主人と侍女。

立場から生じる壁が、この瞬間は消え失せていた。

赤く染まった目元。涙の筋へと視線が移る。

少しでも痛めた心を癒やせればと指先で涙痕をなぞった。

それがくすぐったかったのか、ふふっ、とヘレンから笑いが漏れる。

「クラウディア様、そろそろ湯船に浸かりませんと風邪をひいてしまいます」

「服を脱いだのを忘れていたわ」

裸で抱き付いている自分を顧みて、急に恥ずかしくなった。

カッと体温が上がる。

周りには他の侍女もいるというのに。

できた侍女たちは、見て見ぬ振りをしてくれるけれど。

促されるまま、先に体を洗われる。

湯船に浸かって洗髪がはじまると全身から力が抜けた。

温もりに包まれながらシャカシャカと心地良い音を聞く。

何物にも代えがたい安らぎがあった。

クラウディアは寝落ちしたい誘惑との闘いを余儀なくされた。