作品タイトル不明
15.悪役令嬢は宿に泊まる
乗合馬車と同じ金額をヘレンが支払う。
「宿は決まっているのかい? まだだったら女性にも安心なところを紹介するよ」
「助かります! お願いできますか?」
行商人がずっと愛用している宿があるという。
防犯がしっかりしているので少し値は張るが、紹介なら割り引いてもらえるとのこと。
「何から何までありがとうござます!」
「今日は疲れただろうから、ゆっくり休むに越したことはない。受付でうちの名前を出したら対応してくれるよ」
行商人は先に荷馬車を預けるらしく、ここで別れることとなった。
ついでにこの町についても教えてくれる。
行商人や旅人の休憩場所として特化しているのは間違いなさそうだ。
「見ての通り、宿屋が並んでるだろ? すると一軒一軒、厩舎を用意する場所がなくなってね。ちょっと離れたところに共同でデカい厩舎をこさえることにしたのさ」
おおよそ宿屋五軒に対して、一つの厩舎が建てられているという。
「共同で管理して厩舎専門の人間を雇えば、馬の世話や防犯も任せられるし、費用は持ち寄りになるからね」
「宿屋さんにとっては、自前で持つよりお得なんですね」
「そういうこと。専門の人間がいるから、客も安心して荷馬車を預けられる。だからうちも遠回りになるとわかってても他へ行けないんだよ」
町は王都から見て北西にあった。
南西部の行商人にしてみれば、無駄に北上することになる。
「急がば回れってなぁ。長いこと旅をしてると、やっぱ安心には代えられなくてね」
それじゃあ、と手を振る行商人に応え、三人は紹介された宿屋へ向かった。
行商人と同じ宿屋を利用するのもあって、出発前に声をかけてくれることになっている。
「良い人だったね!」
話が上手く進み、キールは上機嫌だ。
「ヘレンが聞き上手なおかげで、色々教えてもらえて助かったわ」
「お喋りが好きな人なのよ」
「否定はしないけど、終始気持ち良く話してらしたのは見ていたらわかるわ」
「ディーの目の付けどころが良かったんでしょう。エバンズ商会と取引があるとわかったときは、心底驚いたのよ?」
「あれにはわたくしも驚いたわ」
まさか開口一番に知人の名前が出てくるとは。
「ぼくはよく知らないけど、有名な商会なの?」
「エバンズ商会はディーを女神として崇めているの」
「はえっ!?」
「ちょっとヘレン! 変なところだけ教えないでちょうだい!」
間違いでないのが頭の痛いところだけれど、端折り過ぎである。
「事実ではあるんだ?」
「……商品は良いのよ。ただ少し偏った考え方をする人がいてね」
「次期当主であられるブライアン様が、それはそれはディーを信奉しておいでで」
「ヘレン、面白がっているでしょう?」
「ええ」
即、肯定されて返答に窮する。
頬を土で汚したままのヘレンがくすくす笑う姿に怒りなんて湧いてこないけれど。
侍女に変装している今だからこそできる軽口の応酬だった。
空を見上げると、知らぬ間に星が瞬いていた。
闇の帳が下りている。
「防犯面に期待できるなら、宿屋に急いだほうが良さそうね」
いつまでも楽しい時間を過ごしていたい。
しかし自分たちは今、怪しい人物に追われている身だ。
「行商人と同じ宿にして良かったわ。護衛も一緒なのよね?」
「ええ、そう言っていたわ」
行商人は自分の身を守るため、護衛を一人雇っていた。
正直、護衛の人数は心許ないけれど、同行者が増えれば追っ手も手を出しにくくなるはずだ。
キールと手を繋いだまま紹介された宿屋へ入る。
行商人の名前を出すと、すぐに部屋が取れた。
別々の部屋を取る気には到底なれず、三人で一つの部屋にする。三人分どころかベッドは一つしかなかったけれど――。
「ご夫婦やカップル向けのお部屋で、ベッドはセミダブルをお一つご用意しております。お客様方なら、三人一緒に寝られるスペースは十分にありますよ」
「ではそこでお願いするわ」
隣からキールのえっ、えっ、と戸惑った声が聞こえてきたが、ここは我慢してもらう。
「別料金になりますが、お食事もご用意できます。外へ出られますか?」
「いいえ、こちらで食べるわ」
「では時間になったらお声がけさせていただきますね。料金は前払いでお願いします」
割引されたのもあって、所持金がなくなることはなかった。
準備の良いヘレンには感謝しかない。
取った部屋が二階なので三人揃って階段を上がる。
宿は通りに面しているうちの一軒で、レンガ造りだった。
距離を空けることなく両隣にも宿が立っているため、窓があるのは通りに面している部屋だけだ。
生憎クラウディアたちが泊まる部屋にはなかった。
窓がないと換気や光源が気になるものの利点もある。
部屋の温度を一定に保てるのだ。外からの影響が少なくなるので防音効果もあった。
歴史があるのか設備は古そうだけれど、清掃が行き届いているおかげで不快感はない。
預かった鍵でドアを開く。
壁が厚いらしく室内は静かだった。
これなら会話が外へ漏れることもないだろう。
「案外ゆとりがあるわね」
調度品はベッドとベッドサイド用のミニテーブルぐらいかと思っていたが、他にもクローゼットと一人掛けのソファーが二つ置かれていた。
三人で室内を行き来してもぶつからない。
クラウディアの感想に、キールが丸眼鏡越しに目を瞬かせる。
「てっきり狭いって言うのかと思った。貴族の屋敷って凄く大きいでしょ?」
「公爵家ともなると、それはもう。わたしが住んでいる使用人寮の部屋でもここより広いわ」
「ヘレンの部屋は二人部屋じゃない」
「半分で考えても広いわよ」
「全然想像がつかない……」
うーん、と唸るキールにヘレンが笑みをこぼす。
「気持ちはわかるわ。わたしもはじめて公爵家を訪れたときは、夢を見ているようだったもの」
「大袈裟、とも言い切れないわね」
真実、公爵家の屋敷は大きい。
屋敷に限らず庭園を有する敷地も広大だった。
都心にあるため、領地に比べて広さを確保できないにもかかわらず、である。
上級貴族の名は伊達ではない。
「でもディーさんにこの部屋が狭いっていう感覚はないんだね?」
「この町の宿なら、これぐらいかなと思っただけよ」
感覚について深く掘り下げられると困ってしまう。
逆行してから歳月が経った今でも、娼婦時代の感覚は消えていなかった。
娼館で下積み時代に過ごした部屋は、宿の部屋よりももっと狭かったのを覚えている。
(売上が良い順に、広い部屋を使えるようになるのよね)
とはいえ、探偵を自負するキールも、そこまでは推理できないだろう。
「へぇー、なんかディーさんって、ぼくの中の貴族像とは違う感じがする。あっ、悪い意味じゃないよ! 良い意味でだよ!」
「親しみやすいっていうことなら嬉しいわ」
「そう、それ! エバンズ商会の次期当主が女神と讃えるのもわかる気がするんだ」
「女神云々については忘れてくれると嬉しいのだけれど?」
すっかり印象に残ってしまったようだ。
ふふふ、とヘレンが笑いを漏らす。
(気を張ってばかりもいられないわね)
外にはまだ追っ手がいる。
だからといって、ずっと警戒もしていられない。
まず集中力が続かないし、休めるときに休むことも大切だ。
宿にいる間は大丈夫だろうと不要な力を抜く。
そしてヘレンの脇腹を突いた。
「もう、ヘレンのせいよ」
「きゃっ!? わたしは本当のことしか言ってないわよ!」
「だったらブライアンが誰を好きなのか――」
言ってもいいのね? と口に出すことはできなかった。
ヘレンに手で口を塞がれたからだ。
「わざわざする話じゃないわ」
「ブライアンって、もしかしてエバンズ商会の次期当主の人?」
「キールは気にしなくていいのよ」
自分のことは棚に上げるヘレンを半眼で見つめる。
思いがけず遠出することになってしまったけれど、その分、普段ならありえない時間を過ごせていた。
姦しさに、誰ともなく笑い声が上がる。
三人の夜は賑やかに更けていった。