軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三章 王都の影1

文通開始から十日目。薬草畑に朝露が降りる時刻に、騒々しい来客があった。

転移魔法の発動による青白い閃光が書斎の窓から漏れ、直後にティナの机の上に手紙が一通、出現した。正確には手紙の上に論文の束が乗っており、論文の上に小さな旅行鞄が乗っていた。机の帳簿が吹き飛んだ。

「……また帳簿がずれた」

ティナがため息をつく間もなく、書斎の扉が勢いよく開いた。

「おはようございます! シーラ・ドルレアンです! 緊急の連絡を受けて転移魔法で参りました! 予算は三倍超過しましたが必要経費です! あ、お茶をいただけますか、転移魔法の直後は胃が裏返りそうで――」

銀灰色のショートボブに丸眼鏡。インクまみれの長ローブ。分厚い論文の束を片手で抱え、もう片手で胃のあたりを押さえている。ティナの記憶にある姿と寸分違わなかった。

「シーラさん。お久しぶりです。お茶は淹れますので、まず座ってください」

「ありがとうございます! ――日記帳の新しいリンク現象、手紙を読んで夜通し興奮して眠れませんでした。新規の受信対象が出現したということは、記録親和の受信範囲が拡大している可能性が――」

「座ってからです」

シーラは応接間の椅子に座り、ティナが淹れた薬草茶を一口飲んで「うまい」と呟いた。あのときと同じ反応。ティナの薬草茶を飲んだ人間は全員同じことを言う。これは統計的に有意な結果であり、自慢していいことだとティナは確信している。

ルディが応接間に入ってきた。シーラを見て一瞬足が止まったが、覚悟を決めたように椅子に座った。

「また来たか、シーラさん」

「ルディさん! お元気そうですね。ステータス画面に変化は——」

「まだ何も聞いてないのに質問しないでくれ」

「失礼しました。では先にお話を聞かせてください」

ティナはすべてを話した。日記帳に新たな記録が浮かんだこと。「糸井好葉」という日本から転移してきた女性であること。「聖女」として浄化能力を強制使用させられていること。窓のない地下室に幽閉されていること。体調が悪化していること。

シーラは聞いている間、一度も口を挟まなかった。学者として聞くべきときには聞く人間だ。ただしペンだけは動いていた。メモ帳にびっしりと書き込みが増えていく。

話し終えると、シーラは眼鏡を外し、拭き、かけ直した。

「……ロッシュ嬢。まず日記帳を見せていただけますか」

ティナは古い日記帳を差し出した。シーラは受け取った瞬間、指先で表紙を撫でた。以前と同じ仕草だ。魔力の反応を直接手で感じ取っている。

「……変わっていますね。前回来たときと比べて、日記帳の魔力密度が上がっています。凍牙の迷宮の封印修復のとき、ロッシュ嬢が大量の魔力を注ぎ込んだ影響でしょう。記録親和の力が日記帳と一体化する度合いが深まっている」

シーラは鞄から精密な魔導器具を取り出した。レンズ状の水晶、銀の針、記号が刻まれた羊皮紙。以前も使った道具だ。日記帳の上にかざし、測定を始める。

「コノハさんの記録……魔力署名を見ます。……ああ、これは。ルディさんの転生時の魔力パターンとは異なりますね。ルディさんの場合は自然発生的な異世界魔力の混入でした。コノハさんの場合は明確に人工的です。召喚術式の痕跡が付着しています」

「召喚術式?」

「ええ。誰かが意図的に、異世界から人間を引き寄せる魔法を行使した結果です。ルディさんの転生は――言い方は悪いですが――偶然の要素が大きかった。コノハさんの転移は完全に計画的です。誰かが、目的を持って、異世界から人間を召喚した」

シーラの声から、いつもの早口の軽さが消えていた。学者としての冷徹さと、人間としての不快感が同居した声。

「術式の痕跡を辿れば、召喚した主体を特定できます。ただ、この術式のパターンは……私が王立学院のアーカイブで見たことがあるものに似ています」

「何に似ているんですか」

「枢密院の機密文書に記載されていた術式パターンです。私は直接は見ていませんが、参照論文の中で部分的に引用されていたものと照合すると、一致率が高い」

枢密院。

ルディの表情が変わった。

「シーラさん。枢密院って、どういう組織なんだ。俺は勇者として王都にいたとき、名前だけ聞いたことがある。でも実態は知らない」

「王国の政策決定機関です。国王を補佐し、国家の重要事項を審議する。――表向きはそうです。しかし学術界隈では公然の秘密ですが、枢密院は国防に関わる極秘プロジェクトをいくつも抱えています。その中に『異世界召喚計画』があるという噂は、以前からありました。噂です。証拠はありません。ただ――」

シーラはコノハの魔力署名のデータを示した。

「これは噂ではなく証拠です。コノハさんの魔力には枢密院系統の術式パターンが刻まれている。彼女を召喚したのは枢密院です。あるいは枢密院の管轄下にある組織です」

ティナは茶碗を置いた。音を立てないように、しかし確かに。

「シーラさん。枢密院が異世界から人間を召喚し、能力を付与して使役している。それが事実だとすれば――ルディさんの召喚も、同じ組織が関わっているということですか」

シーラは沈黙した。それから、小さく頷いた。

「可能性は高いです。ルディさんの転生は表面上は『自然発生』として処理されていますが、恩寵の付与は人為的です。定点回帰というスキルは、この世界に自然に存在するものではありません。誰かが設計し、付与した」

ルディの拳が膝の上で握りしめられた。

「……つまり、俺もコノハも、枢密院に作られた兵器ってことか。勇者っていう肩書きも、聖女っていう肩書きも、体のいい名前をつけただけで、本質は同じだと」

「本質は同じ、かもしれません。ただし運用方法は異なります。ルディさんは公の場で運用された。勇者という公的な存在として。コノハさんは非公開で運用されている。聖女という名前すら公にしない。そこに決定的な差があります」

「差っていうか、コノハのほうがはるかにまずいだろ。公にされてないってことは、何をされても誰も知らない。文句を言う先もない。消えても誰も気づかない」

ルディの声に怒りが混じっていた。静かだが、深い怒り。自分と同じ境遇の人間が、自分より遥かに過酷な扱いを受けている。しかもその構造の中に、自分もまた組み込まれていたのだ。

ティナはルディの言葉を聞きながら、頭の中で情報を整理していた。帳簿の分析と同じだ。感情は横に置く。まず事実を並べる。事実から導ける結論を出す。結論から行動を決める。

「整理します。枢密院が異世界召喚を行っている。コノハさんは枢密院によって召喚された。ルディさんも関与している可能性がある。コノハさんは枢密院の管理下で、聖堂の地下のような場所に幽閉されている。体調は悪化しており、あと二ヶ月が限界」

ティナは全員の顔を見回した。

「コノハさんを助け出します。そのためにはまず、あの人がどこにいるかを正確に特定し、枢密院の構造と警備体制を把握する必要があります。シーラさんには日記帳の分析と、王都での情報収集をお願いしたい。ルディさんには、軍の内部から情報を取ってもらいたい。アンドレイ師団長に連絡を取ってください」

「アンドレイに?」

「あの人はルディさんの直属上司でした。軍の内部事情に詳しい。そして――以前、あの人は本音を見せてくれました。板挟みに苦しんでいた。あの人なら、協力してくれる可能性があります」

ルディは数秒黙り、それから頷いた。

「わかった。アンドレイに連絡を取る。ただ――正直、あいつがどこまで知ってるか、どこまで話してくれるかは、わからない」

「わからなくても聞きます。わからないことは聞く。聞いてからでも動くのは遅くない。それが私のやり方です」

ティナの声には胆力があった。十年間、領地のあらゆる問題に一人で対処してきた経験が、こういうときに発揮される。問題の規模がダンジョンのボスから国家機関に変わっても、手順は変わらない。情報を集め、分析し、計画を立て、実行する。

シーラがメモ帳を閉じ、眼鏡の奥で笑った。いつもの好奇心に満ちた笑みではなく、もう少し真剣な、しかし確かに前を向いた笑み。

「ロッシュ嬢。あなたの仕事ぶりは、前回と同じく見事です。帳簿をつけるように人を救う人間を、私は他に知りません」

「帳簿が得意なだけです」

「その帳簿が命を救うのですから、立派な才能です。――協力します。日記帳の分析は今日中に終わらせます。王都への情報アクセスは、学院のネットワークを使えば何とかなるでしょう」

「ありがとうございます」

「こちらこそ。こんなに面白い――いえ、重要な研究テーマの続きに携われて光栄です」

ルディが横から呟いた。「面白い、のほうが本音だろ」

シーラはにっこり笑った。「両方です」