作品タイトル不明
第6話:金融ハック〜「見えない首輪」の準備〜
堺の豪商との間に強固なパイプが繋がったことで、我が領地の米はすさまじい速度で現金化されていった。
蔵を埋め尽くしていた黄金の稲穂が、瞬く間にチャリンチャリンと音を立てて莫大な銭へと変わっていく。
だが、ここで中世という時代ならではの、巨大な物理的障壁が立ちはだかった。
重いのだ。
当時の貨幣である銅銭や、質の悪いビタ銭は、とにかくかさばるし、信じられないほど重い。
まとまった額の商いをしようとすれば、それだけで何台もの荷車と屈強な馬が必要になる。
おまけに、山道を何台もの銭車を引き連れて歩けば、「どうぞ襲っておくんなまし」と盗賊や野盗に宣伝して歩いているようなものだ。
安全地帯である我が領地に運び込むまでに、護衛の傭兵を雇うだけで莫大な経費が飛んでいく。
『うーん、やっぱり物理的な銭の移動はナンセンスね。商いの規模が大きくなればなるほど、輸送コストで利益が圧迫されちゃうわ』
私は前世の記憶を探り、現代経済の基礎である「信用創造」と「為替決済」のシステムを、この室町時代に完全移植することを決意した。
数日後。
私は再び堺の豪商と密に連携し、京都の主要な土倉(金融業者)の元締めたちを、秘密裏に我が領地の屋敷へ招き入れた。
彼らの前に差し出したのは、山のような銅銭ではなく、何やら文字が書き込まれた数枚の和紙だった。
「……薫子様。この紙切れが、何になると申されるので?」
京都の土倉の元締めは、胡散臭そうな目を隠そうともせずに尋ねてきた。
無理もない。
当時の彼らにとって、銭とは物理的な銅の塊そのものであり、紙切れに価値を持たせるなどという概念はまだ浸透しきっていなかったのだ。
「これより当方との大口の商いでは、銭そのものを運ぶことを禁じまする」
私は扇子で、机の上の和紙をピシャリと叩いた。
「銭は堺の蔵、あるいはそなたらの蔵に置いたままでおじゃる。その代わり、この『手形』を発行し、これで決済を行うのじゃ」
「手形、でござりまするか?」
「さよう。この紙には、堺の豪商たるあの方の絶対的な裏書きがおじゃる。これを持ち込めば、いつでも堺で同額の銭と引き換えられるという、強固な信用を担保にした為替の仕組みじゃ」
元締めは恐る恐る和紙を手に取り、そこに押された堺の豪商の印と、私の花押をまじまじと見つめた。
しかし、彼ほどの狡猾な金貸しであれば、当然の疑問にぶち当たる。
「薫子様、確かに理屈はわかり申した。なれど、ただの紙に文字と印を書いただけでおじゃろう? これならば、悪知恵の働く者が偽物をこしらえ、しこたま銭を騙し取ることもできましょうて」
「ふふっ。さすがは京の土倉を束ねるお方。ごもっともな懸念でおじゃる」
私は待ってましたとばかりに、扇子を優雅に揺らした。
「よく見ておくれやす。その紙、そんじょそこらの和紙とは手触りが違いましょう?」
元締めが指先で紙を擦る。
「……はて? まことに、妙に滑らかで、それでいて強靭な……」
「我が領地で独自に漉かせた特注品でおじゃる。しかも光に透かしてみれば、紙の中に『山科』の文字が浮かび上がる仕掛けを施してあるのじゃ」
「な、なんと!? 紙の中に文字が……!」
「それだけではおじゃりませぬ」
私は別の手形を取り出し、元締めの目の前で見せた。
「この手形は、発行する際に必ず二枚一組で作成し、真ん中で『割印』を押して半分に切り離しまする。一枚は客に渡し、もう一枚は我らの蔵の『台帳』に厳重に保管するのじゃ」
「ほう……!」
「銭を引き出す際は、持ち込まれた手形と、蔵の台帳に残された半片をピタリと合わせる。紙の切り口、割印の模様、そしてこの端に書かれた『いろはにほへと』の暗号番付。これらが寸分違わず合致せねば、決して銭は渡さぬ厳しい掟でおじゃるよ」
「……!!」
元締めは、目を見開いて絶句した。
「これほどの複雑な細工と厳格な照合。いかに凄腕の贋作師とて、台帳の半片そのものを盗み出さぬ限り、偽造は絶対に不可能でおじゃる」
最初は半信半疑だった彼も、この完璧に設計された偽造防止の仕組みと、システムがもたらす革命的な利点にすぐさま気がついた。
「……恐れ入り申した! これほどの備えがあるならば、銭を運ぶ手間も、道中で野盗に襲われる心配もない! これならば、紙一枚で遠方との商いも瞬時に終わりまする!」
「その通り。そして、そなたらの店でもこの手形を扱い、貸し借りに用いておくれやす。帳面上で数字を動かすだけで、莫大な銭を動かせるのでおじゃるよ」
「銭を紙に変える魔法じゃ! これを使わぬ手はないわい!」
土倉の元締めは、すっかり興奮して膝を強く叩いた。
こうして、私と堺の商人の圧倒的な信用と財力を後ろ盾とした「室町版の手形決済システム」は、瞬く間に京都の土倉たちの間に広まっていった。
皆が「なんて便利なんだ」と歓喜し、競うように紙を使って借金をし、大口の商いを行い、為替を回し始めた。
物理的な銭の縛りから解放されたことで、京と堺の経済はさらに一段階上の速度で回り始める。
だが、彼らは誰も気づいていない。
私がこのシステムを無償で提供し、喜んで胴元を引き受けている、その裏に隠された真の恐ろしい目的に。
数ヶ月後。
私の執務部屋には、京都中の土倉から集められた手形決済の写しが、分厚い帳簿となって壁際に山のように積み上げられていた。
『ふふふ、計画通り。どんどんこのシステムを使いなさい』
私は誰もいない部屋で、一人にんまりと邪悪な笑みを浮かべた。
手形を流通させ、その決済のハブ(中心)になるということは、すなわち「絶対的な情報」が一極に集まるということだ。
目の前に積まれた帳簿の山は、単なる数字の羅列ではない。
『どこの大名が、どこの土倉から、いくらの借金をしているか』
『どの地侍が、いつまでに銭を返さなければ首が飛ぶか』
京都にうごめくすべての武将や貴族たちの、致命的な弱みである「債権情報」の、完全なデータベースなのだ。
私は武力で彼らを打ち倒し、血みどろの天下を獲るつもりなど毛頭ない。
だが、いざという時、彼らの命綱である「借用書」を私が裏から買い占め、土倉を操って一斉に取り立てを行えばどうなるか。
いくら何万の兵を抱え、武勇を誇る大名であろうと、一滴の血も流さずに、経済の力だけで完全に手足を縛ることができるのだ。
『戦国時代を起こそうとする馬鹿な大名どもの首には、もう見えない首輪がしっかりとかかっているのよ』
私は、室町時代の最先端を走る金融ネットワークの中心で、来るべき大乱の完全封殺に向けた最強の武器を、静かに、そして確実に研ぎ澄ませていた。