軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第46話:インフレーションの足音と、富子の憂鬱

日本がかつてない「好景気」に沸き返る中。

京都・室町第の奥深くで、将軍正室・日野富子は、山のように積まれた報告書と富の山を前にして、美しい口元に笑みを浮かべていた。

明国の銅銭(永楽通宝)、南洋の香辛料、そして大量の金銀。

明国貿易を牛耳る大内、南方の要衝を押さえた畠山や斯波、さらには北方の毛皮と金塊を独占する関東の足利成氏。先行組の提督たちが持ち込む富の量は、まさに桁違いであった。

かつて応仁の乱で焼け野原になるはずだった京都は、今や空前の建設ラッシュに沸き、人々は絹の着物を纏い、夜な夜な宴会が開かれる「バブル経済」の絶頂にあった。

「ふふっ……ええ眺めやな。この都に、これほどの銭が集まるとはな」

富子が煙管を燻らせながら上機嫌に頷いていると、部屋の襖が静かに開き、薫子が入ってきた。

彼女の手には、分厚い市中の物価帳簿が握られている。

「富子様。先行組からの上納金、まことに見事な額でおじゃりますな。……なれど、以前よりお話ししておりました『毒』が、いよいよ京の市中へ回り始めたようでおじゃる」

「毒、やと?」

富子は眉をひそめ、薫子が差し出した帳簿を手に取った。

そこに記された数字を目で追ううちに、富子の顔からスッと笑みが消え、鋭い為政者の顔つきへと変わる。

「……米一升の値段が、たった数ヶ月で三倍に跳ね上がっとる。米だけやない。大根も、塩も、薪も……生活に必要なもんが、片っ端から値上がりしとるんやな」

「はい。武将たちが、海外から『銭』をアホみたいに大量に持ち込んでおりまするゆえ。市中に銭が溢れかえって、銭そのものの価値が暴落しているのでおじゃりまする」

インフレーション(物価上昇)。

それは、急速な経済成長と外貨の流入がもたらす、資本主義の必然的な「副作用」であった。

史実のスペイン帝国も、新大陸から大量の銀を持ち帰った結果、激しいインフレ(価格革命)を引き起こし、逆に国内産業を衰退させてしまった歴史がある。

「武将や大商人はええわ。金回りがようなって、高い酒を飲んで喜んどる。せやけど……」

富子は、忌々しそうに宋銭の山を睨みつけた。

「日々の賃金でギリギリの暮らしをしとる下々の民はどうなる。銭の価値が下がれば、昨日まで買えていた米が、今日は買えんようになる。……『好景気やのに、なぜか腹が減る』。こんな理不尽な話があるか」

富子は、冷酷な守銭奴として歴史に名を残す女である。

しかし同時に、彼女は「銭の恐ろしさ」を誰よりも熟知し、経済の安定こそが幕府の存立基盤であることを理解している、極めて優秀な為政者でもあった。

「このまま物の値が上がり続ければ、やがて飢えた民の不満が爆発する。せっかく大名どものいくさを防いだっちゅうのに、今度は京の都で『大一揆』が起きて終わりやで。……薫子、お前がわざわざ言いに来たっちゅうことは、対策の準備はできとるんやろな?」

富子の鋭い問いかけに、薫子は静かに扇子を広げ、深く頷いた。

『産業革命の生産力向上よりも、外貨の流入スピードの方が早すぎる。これは最初から想定内のバグよ。……そして、この事態を一瞬で理解する富子様の頭脳、本当に恐ろしいわ!』

薫子は慌てることなく、あらかじめ用意していた策を提示する。

「直ちに、幕府主導で『金融引き締め』を行うのでおじゃる」

「金融引き締めやと? どうやって市中に溢れた大量の銭を回収するっちゅうねん。大名どもの屋敷に押し入って、無理やり巻き上げるわけにもいかんやろ」

「いいえ、強引な真似はいたしませぬ。……彼らが『自ら進んで、喜んで大金を払いたくなるような仕組み』を作れば良いのでおじゃるよ」

薫子の目に、妖しいビジネスマンの光が宿る。

「彼ら成金武将の懐には、まだ莫大な『余剰資金』が唸っておりまする。それを、実態のない『ブランド』や『究極の贅沢品』という名の底なし沼に吸い込ませ、幕府の金庫に回収して凍結するのでおじゃる」

「実態のないブランド……?」

「はい。例えば……上様(足利義政)の出番でおじゃる」

薫子は、ニヤリと悪魔のような笑みを浮かべた。

「上様が手掛けられた『天下一の茶器』や、『国宝級の枯山水庭園の設計権』……。あるいは、上様と一緒に茶を飲める『特別茶会の手形』。……見栄っ張りの成金武将たちなら、何万貫という銭を積んで買い求めるはずでおじゃる!」

富子はポカンと口を開け、やがて腹を抱えて笑い出した。

「あっはっは! なるほど! 政治には無関心で、芸術にしか興味のないあのウチの旦那を、究極の『広告塔』として使うっちゅうわけか!」

「その通りでおじゃる! 義政様の至高の雅は、まさにこの時のためにあったのでおじゃるよ!」

「よっしゃ! 早速、旦那を説得してくるわ! あの 石数奇者(オタク) に、世界一高価な石を売らせてやるで!」

未曾有のインフレーションの危機を、あらかじめ想定していた薫子の罠と、足利義政の東山文化で吸収し、経済を安定させる。

史実では「政治を投げ出した無能な将軍」とされた義政が、この歴史IFにおいては、日本経済をインフレの危機から救う「最強の芸術監督」として、その真価を発揮しようとしていた。