軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第31話:十万の動員令と、消えた金脈

洛内にある壮麗な細川邸の一室。

冷や汗を流しながら平伏する使者の報告を聞き終えた瞬間、細川勝元の怒声が轟いた。

「おのれ、おのれぇぇぇっ!あの下郎どもめがァァァッ!」

普段は冷静沈着で知られる天下の管領が、今は夜叉のような形相で手元の漆塗りの文机を蹴り飛ばしている。

同席していた山名宗全もまた、白髪交じりの髭を震わせて立ち上がった。

「勝元殿の申す通りじゃ!我ら天下の双璧をコケにしおって!挙句の果てに、あの女狐め、我らの十万の兵を小馬鹿にするとは!この宗全、断じて許さぬわ!」

使者の報告によれば、大内や畠山、斯波ら西国の格下大名たちは、自分たちを完全に蚊帳の外に置き、想像を絶する莫大な富を分け合っているという。

そして、その要求を突きつけた使者に対し、将軍正室・日野富子は、一切の恐怖を見せることなく、ただ嘲笑ったのだ。

『……十万の兵、ねえ。威勢がええのは結構やけど。そないな大軍、ほんまに都へ集まれるんやろか?』と。

「泥臭い商売は下々に任せよ、などと聞こえの良いことを抜かしおって……!全ては我らを欺くための罠であったか!」

勝元はギリッと奥歯を鳴らした。

武士の意地。

そして何より、目の前を通り過ぎていった想像を絶する莫大な利権への強欲。

その二つが限界点を超えて沸騰し、彼らの理性を完全に焼き尽くしていた。

「宗全殿!最早これまでじゃ!我らの力、あの阿婆擦れと小娘に思い知らせてやる必要がある!」

「応よ!直ちに国許に触れを出せ!我らが号令すれば、十万の兵など瞬く間に集まるわ!」

「京の都を火の海にしてでも、奴らの溜め込んだ富を根こそぎ奪い取ってくれるわ!」

二人の最高権力者は、ここに幕府に対する大規模な武力蜂起を決意した。

それは史実に記されるはずだった不毛な大乱ではなく、強欲から生じた反乱であった。

「誰かある!直ちに土倉へ向かえ!大軍を動かすための軍資金をありったけ引き出してこい!」

勝元が叫ぶと、控えていた家臣が慌ただしく平伏した。

「ははっ!直ちに!」

家臣たちは血相を変えて屋敷を飛び出していった。

勝元と宗全は互いに顔を見合わせ、獰猛な笑みを浮かべた。

武力と数こそが全て。

自分たちが本気で牙を剥けば、あの女どもなどひとたまりもないと信じて疑わなかったのだ。

***

京の町。

細川家の家臣である武将が、数十人の足軽を率いて洛中で最も繁盛している土倉の前に到着した。

「打ち壊せ!一銭残らず奪い尽くせ!」

武将の号令とともに、足軽たちが土倉の門を蹴り破ろうと殺到する。

しかし。

「も、申し上げます!門が開いておりまする!」

「なに?」

武将が怪訝な顔で門をくぐると、そこには異様な光景が広がっていた。

広大な土倉の敷地内には、人っ子一人いない。

主人も、手代も、丁稚の姿すら見当たらない。

それどころか、厳重に閉ざされているはずの頑丈な蔵の扉が、全て大きく開け放たれていたのだ。

「中を改めよ!」

武将の怒声に足軽たちが蔵の中へ飛び込むが、すぐに蒼白な顔で飛び出してきた。

「か、空っぽでございまする!」

「馬鹿な!これほどの大店に銭が一文もないはずがなかろうが!」

武将自ら蔵の中へ足を踏み入れると、本当に何もなかった。

山のように積まれていたはずの銭の山も、米俵も、証文の束すら、綺麗さっぱり消え失せている。

チリ一つ残さず、まるで最初から何もなかったかのように、虚無の空間が広がっていた。

そして、からっぽの蔵の中央に、忌々しい真新しい立て札が一本だけ突き刺さっていた。

武将は松明の明かりを頼りに、そこに書かれた文字を読んだ。

『この蔵の財は全て幕府の御金庫に移された。蔵を荒らす者、銭を一文でも奪おうとする者は、幕府への反逆とみなし、一族郎党ことごとく族滅に処す――大御台所・日野富子』

「な、なんじゃこれは……!」

武将は震える手で立て札を指差した。

背筋に冷たい汗が伝う。

洛中最大の土倉の財と人が、一夜にして煙のように消え失せたのだ。

「他の土倉へ向かえ!急げ!」

武将は半狂乱になって叫んだが、結果はどこも同じであった。

京の町から、全ての金脈が完全に蒸発していたのである。

***

数時間後。

細川邸の広間に、先ほど飛び出していった武将たちが次々と転がり込んできた。

その表情は一様に蒼白で、全身から脂汗を流している。

「申し上げます!申し上げまするゥゥゥッ!」

「ええい、やかましい!軍資金の調達はどうなった!土倉の者どもは銭を用意したか!」

勝元が苛立たしげに怒鳴りつける。

しかし、家臣は床に額を擦り付けたまま、震える声で信じられない報告を口にした。

「も、もぬけの殻でございまする……!」

「なに?」

勝元は自らの耳を疑った。

「洛中にある主要な土倉、その全てが……蔵の中の銭も証文も、そして主人や手代の姿すら、綺麗さっぱり消え失せておりまする!」

「な、なんじゃと……!?」

宗全が目を見開いて絶句する。

「馬鹿なことを申すな!あれだけの数の土倉が、銭を抱えたまま一夜にして消えるはずがなかろうが!」

「事実でございまする!蔵の扉は全て開け放たれており、中には銭一文、証文一枚残されておりませぬ!」

「どこへ行ったのじゃ!あの莫大な銭と人間が、洛中から煙のように消えたとでも申すか!」

「分かりませぬ!ただ、空になった蔵の中央には、恐ろしい立て札が……!」

家臣が震える声で、立て札の内容を暗唱した。

蔵を荒らす者は一族郎党皆殺しにするという、日野富子の名による容赦のない警告。

勝元の顔から血の気が引いていく。

「まさか……奴ら、初めから我らが兵を挙げることを見越して……!」

勝元はついに悟った。

一年間、自分たちが蚊帳の外に置かれている間に、あの小娘はただ富を築いていたのではない。

戦の血液である『金』を、自分たちの手の届かないどこかへ完全に隠匿していたのだ。

そして、幕府の権威をもって略奪すら封じるという、徹底した包囲網。

得体の知れない不気味さが、勝元と宗全の足元から這い上がってくる。

「おのれ……おのれぇぇぇっ!富子ォォォォォッ!」

勝元の血を吐くような絶叫が、虚しく屋敷に響き渡った。