作品タイトル不明
第26話:未知なる海への船出〜闘争エネルギーの解放〜
数週間後。
和泉国、堺の湊。
潮の香りと、無数の人々が放つ熱気が入り混じるこの活気あふれる商業都市に、かつて誰も見たことがない異様な光景が広がっていた。
湊を埋め尽くすように停泊しているのは、従来の和船とは根本的に構造が異なる巨大な外洋船、ガレオン船の船団であった。
そして、その全ての大帆柱の頂には、将軍・足利義政の筆による真新しい『日章二引両旗』が、誇らしげに海風を孕んではためいている。
「しっかし、何度見上げても恐ろしい船でおじゃるな……」
西国の雄、大内政弘は甲板に立ち、頭上の巨大な旗と帆を見上げながら、雅な京都弁で感嘆の息を漏らした。
武骨な田舎大名とは一線を画し、京の文化をこよなく愛する大内にとって、この巨大な鉄の塊のような船は自身の美意識とは異なるものであったが、そこに宿る圧倒的な暴力の気配と、これから向かう未知の世界への期待に、抗い難い魅力を感じていた。
彼らの目の前に広がる海は、もはや見慣れた瀬戸内ではない。
その傍らには、畠山、斯波といった名だたる守護大名たちが、それぞれに抑えきれない野心と興奮に顔を上気させて並んでいる。
彼らこそが、幕府の莫大な資金援助を引き出し、南海の香辛料を独占するために結成された「南海交易共同体」の提督たちである。
「お歴々、ぼちぼち潮目が変わりまっせ。出航の刻限だす」
声をかけてきたのは、この船団の準備を裏で取り仕切った堺の豪商の一人だった。
「わてら堺の商人も、この大博打に身上を賭けとりますさかいな。明国や南海の珍しい品々、ぎょうさん積んで無事に帰ってきとくなはれや」
「申すまでもござらぬ。この船一杯に香辛料を積んで帰れば、同じ重さの黄金に化ける。一回の航海で、一国の税収など軽く吹き飛ぶほどの莫大な富が手に入るのでござるからな」
畠山が、船の舳先を力強く叩きながら、守護大名らしい重みのある声でギラギラとした目を輝かせて笑う。
「細川殿や山名殿は、未だに京の都で『船が沈むのを見物してやる』などと高を括っておるようだが……もはや、国内のちまちました領地争いなど阿呆らしくてやっておられんわ」
「左様。我らはこの海を越え、日の本の誰も手にしたことのない無尽蔵の富を掴む。そして、新たな時代の覇者となるのだ!」
斯波もまた、鼻息荒く同意した。
国内の権力闘争などという小さな枠組みを完全に捨て去り、彼らの心はすでに、海の向こうに広がる黄金郷へと完全に奪われていた。
商人の景気の良い声に見送られ、船乗りたちの威勢のいい掛け声と共に、巨大な錨が引き上げられた。
***
それから数日後。
遠く離れた常陸国の湊。
どんよりとした鉛色の空の下、冷たい海風が吹き荒れる北の海にも、巨大なガレオン船の船団が集結していた。
しかし、ここは水深の深い堺の湊とは違う。
外洋船が直接横付けできる巨大な桟橋の突貫工事が進められる傍らで、沖合に停泊した船団へ向けて、無数の小舟が物資のピストン輸送を繰り返している。
「堺から回航された船には、すでに上方や明国の美しい絹織物やら陶磁器やらが、底荷としてぎっしり積まれておるな」
古河公方・足利成氏は、深く沈んだ喫水線を見据えて口角を上げた。
「ああ。関東の粗末な特産品だけでは、極北の蛮族どもから極上の毛皮を引き出すには少々心許ないからな。堺の職人どもの仕事の早さには舌を巻くわ」
隣に立つ関東管領・上杉陣営の将が応える。
かつての不倶戴天の敵同士は、北方の無尽蔵の富を前にして、完全に一つの野心のもとに結束していた。
「西の連中は、数日前に堺から一足早く出航したそうだな。我らも遅れをとるわけにはいかぬぞ」
「望むところよ。北方の富は、全て我が上杉と足利の蔵へ収めてみせるがな」
巨大な帆が北の海風を孕み、東国の闘争心を満載した船団が、静かに進み始めた。
***
京都、室町第。
「……堺と常陸から、無事に船団が出航したようやな」
富子は、届けられた書状を机に置き、満足げに微笑んだ。
「ええ。これにて、彼らの凄まじい闘争心は全て海外へと向かいましておじゃります」
御簾の裏側から、薫子の静かな声が応える。
「せやけど、当主が不在の家はどうなる? 斯波や畠山といった連中は、国元や京の屋敷にぎょうさんの家臣を残していきよった」
富子は扇子を手慰みに弄りながら、鋭い目を細めた。
「あの連中の中には、まだ戦と土地に執着しとる古い頭の武士も多いはずや。当主が商売にかまけて海へ出たのをええことに、この隙に裏切って、武力蜂起を企むアホがおるかもしれまへんえ?」
富子はそこまで言って、ふと面白そうに口元を歪めた。
「……まあ、どないなアホが騒いだところで、私の裏書なしには戦費の一文も借りられへんし、馬借も動かへん。おまけに足軽も集まらんのやから、いくさの始めようがおまへんけどな」
すでに何度も確認してきた圧倒的な経済と労働力の理屈。自ら結論に辿り着き、つまらなそうに軽く流した主の理解力の速さに、薫子は御簾の奥で深く頭を下げた。
「ご慧眼でおじゃります、富子様。いざ彼らが戦支度をしようとも、資金調達、輸送手段、そして兵力……すべてにおいて物理的に手詰まりとなるのでおじゃります」
「まこと、血も涙もない、えげつない算段やこと」
富子は心底呆れたように、しかし愉快そうに笑い声を上げた。
『当然よ。中世の下剋上リスクなんて、歴史オタクなら誰だって警戒するわ』
薫子は無表情のまま、内心で冷たく笑った。
『武力だけで何とかなる時代はもう終わったの。さあ、時代遅れの反乱分子どもがどんな無様な真似を晒すか、富子様と高みの見物と洒落込みましょうか』