作品タイトル不明
第15話:一部の襲撃と、自発的な防衛、そして「事後処理」
闇夜を切り裂くように、無数の 松明(たいまつ) の炎が山道を揺れていた。
「仏敵に天罰を下せぇっ!!」
「妖狐の村を焼き払い、銭を奪い尽くすのじゃあ!!」
狂信的な叫び声を上げながら、山科の領地へと向かって突き進む黒い影の群れ。
それは、比叡山の幹部僧・覚全の激走に応じ、薙刀や松明を手にした屈強な僧兵たちと、寺での出世や略奪の分け前に目が眩んだ暴徒たちであった。
彼らは意気揚々と夜の山を下っていたが、その数は当初の目算である「数千」には遠く及ばず、せいぜい数百といったところだった。
なぜなら、主力となるはずだった近隣の有力な惣村の若衆や地侍たちが、誰一人として集結しなかったからである。
『流行り病が出たゆえ、村から一歩も出られぬ』
そんな見え透いた言い訳で門を閉ざした村の顔役たちを、僧兵たちは「臆病風に吹かれた愚か者どもめ」と嘲笑っていた。
(ふん、大軍などおらずともよい! 相手は戦の作法も知らぬ下民と女子供ばかり。我らの武威と仏の威光を見せつければ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑うわ!)
先頭を進む僧兵の頭目は、燃え上がる略奪の野心に目を血走らせ、ついに山科の普請場(特区)へと続く大きな防柵の前へと辿り着いた。
「皆の者、かかれ! 柵を打ち壊し、火を放て!」
暴徒たちが雄叫びを上げて突撃しようとした、その時である。
ゴォォォォォォッ……!!
地鳴りのような、低く、重い怒号が、暗闇の奥から響き渡った。
「「「……!?」」」
僧兵たちが思わず足を止める。
松明の明かりが照らし出した防柵の向こう側。
そこには、彼らの想像を絶する光景が広がっていた。
「……来やがったな、クソ坊主どもめ」
鍬(くわ) を固く握りしめ、前列に立っていたのは、かつて普請場で落石事故から救われた労働者、 茂吉(もきち) であった。
彼の横には、同じように 鶴嘴(つるはし) や丸太、粗末な竹槍を手にした男たちが、隙間なくびっしりと並んでいる。
その後ろにも、またその後ろにも。
怒りに満ちた無数の瞳が、闇の中でギラギラと獣のように光っていた。
その数は、襲撃してきた暴徒たちの数を優に五倍以上上回る、圧倒的な「大群」であった。
「な、なんじゃこやつらは……! なぜ逃げぬ!?」
僧兵の頭目が、予想外の光景に声を震わせる。
中世の常識では、寺社という絶対的な権威と、武装した兵を前にすれば、名もなき下民など恐れおののいて散り散りになるはずなのだ。
だが、茂吉たちは一歩も引かない。
茂吉の脳裏には、数ヶ月前の地獄のような日々が焼き付いていた。
使い捨ての道具として扱われ、泥水をすすり、足が潰れた仲間を河原に捨てられそうになった、あの絶望の日々。
それを救ってくれたのは、誰か。
清潔な寝床、腹一杯の白い飯、そして怪我をした仲間・太助が生涯の仕事を与えられ、笑顔で糸を紡いでいる今の生活。
人間としての尊厳を、命の温かさを教えてくれたのは、寺の仏などではない。
あの、小さな姫君ただ一人なのだ。
「……おい、おめえら」
茂吉は、静かに、しかし腹の底から絞り出すような声で、背後に並ぶ数千の労働者たちに呼びかけた。
「姫様の村が燃やされちまったら、俺たちはどうなる?」
「また……寺の地獄へ逆戻りだす」
「あんな飢えた犬みてえな暮らし、二度と御免だべ……!」
「そうさ。俺たちの 極楽(いのち) は、俺たちの手で守るしかねえんだ!!」
茂吉が鍬を天高く振り上げた。
「姫様をお守りしろぉぉぉっ!! 仏が相手だろうと、ぶっ殺せぇっ!!!」
「「「おおおおおおおおっ!!!!」」」
数千の民衆の咆哮が、夜空を揺るがした。
それはもはや、ただの烏合の衆ではない。
絶対的な恩義と、「今の豊かな生活を奪われる恐怖」によって結束した、最も恐ろしく、狂信的な防衛集団であった。
「ひぃっ……!?」
勢いに気圧され、後ずさりする僧兵たち。
「怯むな! たかが下民の群れじゃ! なぎ払え!」
頭目が薙刀を振り回すが、その直後、文字通り「数の暴力」が襲いかかった。
「死ねやぁっ!」
「姫様の領地を荒らすなァァッ!」
一人を斬り倒しても、三人、五人と群がり、腕に噛みつき、泥まみれになりながら丸太で殴りかかってくる。
「仏罰が下るぞ! 貴様ら、地獄に落ちたいのか!」
「上等だす! 姫様がいねえこの世こそが、地獄なんだよぉっ!!」
もはや、見えない恐怖(権威)など、彼らには微塵も通用しなかった。
圧倒的な現世利益(ホワイト待遇)によって生み出された「忠誠」が、中世の宗教的洗脳を完全に物理で粉砕した瞬間であった。
怒れる民衆の波に飲み込まれ、襲撃部隊は瞬く間に壊滅。
指導層である僧兵たちは縛り上げられ、暴徒たちは血まみれになって命からがら逃げ帰ることとなった。
***
数日後。
比叡山の中腹にある、あの大寺院の奥の院。
「ば、馬鹿な……。数千の暴徒が、一晩で返り討ちに遭うたじゃと……?」
幹部僧・覚全は、報告を受けて膝から崩れ落ちていた。
民衆が自発的に武器を取り、あろうことか寺の兵を打ち破るなど、前代未聞である。
威信は完全に地に墜ちた。
恐ろしいことに、この噂を聞きつけた周辺の荘園(寺の領地)の農民たちまでが、「我らも山科へ逃げれば人として扱ってもらえるのでは」と、こぞって逃亡を始めているという。
(……足元が、崩れる。このままでは、寺の商いが成り立たなくなる……!)
覚全が脂汗を拭っていた、まさにその時。
「失礼つかまつりまする」
ふすまが静かに開き、屈強な武士たちを従え、豪華な絹の着物を纏った小さな童女が、悠然と堂内へ歩み入ってきた。
山科薫子、その人である。
「なっ……! 貴様、妖狐の小娘! よくものこのこと、この神仏の聖域へ……!」
覚全が立ち上がり、周囲の僧兵たちが一斉に長刀を構える。
だが、薫子は全く動じることなく、愛らしい笑みを浮かべて首を傾げた。
「おや。借りた銭も返さずに刃を向けるとは、随分と野蛮な仏様もおじゃるものよな」
「……なに?」
薫子は、護衛の武士に顎でしゃくった。
武士がドサリと、覚全の目の前に「分厚い木の箱」を置き、蓋を開ける。
中には、おびただしい数の「借用書」が、ぎっしりと詰まっていた。
「それは……」
「先日の夜、うちの領地を荒らした暴徒ども、およびその裏で糸を引いておられた『お寺の関連施設(末寺や息のかかった土倉)』が、京の都中の金融業者から借り入れておる負債の証文でおじゃる」
覚全の顔から、さぁっと血の気が引いた。
「そ、それがなぜ、お主の手に……!」
「簡単な事おす。市場に出回っておるそなたらの債権を、うちがプレミアをつけて『ぜんぶ買い取った』からでおじゃるよ」
薫子は、冷酷な目で覚全を見下ろした。
「襲撃の首謀者とその一派が抱える負債の総額、およそ一万貫。……さて、覚全様。うちの大事な領地を荒らし、労働者たちに怪我を負わせた『違約金』と『迷惑料』を含め……」
薫子は、艶やかな京言葉で、死刑宣告を下した。
「今すぐ、耳を揃えて現金(金銀)で返しておくれやす」
「い、一万貫じゃと!? そ、そないな莫大な銭、すぐに用意できるわけがなかろう!!」
覚全の悲鳴に、薫子はふふっと意地悪く笑う。
薫子(心の声)『ひゃっはー! はい、 債務不履行(デフォルト) 確定! 狙い通りよ!』
「おやおや、神仏の威光を傘に着る大寺院が、借金を踏み倒すと仰るか? ……それは困りましな。では、正当な『債権回収』として、代わりのモノをいただきましょうぞ」
薫子は、袖から一枚の書状を取り出した。
そこには、日野家の朱印が押されている。
「お寺様が京の都に持っておられる『酒屋の徴税権』と『五条の関所の通行税の権利』。これらを、借金のカタとして幕府(富子様)が差し押さえる。……これで手打ちとして差し上げましょう」
「な……っ!? ま、待て! それは我らの商いの根幹じゃ! それを奪われれば、寺の蔵は空っぽになるぞ!」
覚全は這いつくばり、必死に薫子の小さな足袋にすがりつこうとした。
だが、護衛の武士がそれを冷酷に蹴り飛ばす。
「無慈悲な……! 悪鬼羅刹の所業じゃ! お前は、仏の罰が恐ろしくないのか!!」
泥まみれになった覚全の罵声に対し。
薫子は、六歳の子供とは思えぬ、底知れぬ深淵のような冷たい目で見下ろした。
「仏がなんぼのもんおすか。……そなたらは、人を物のように使い捨てて銭を貪った。私は、人を宝として扱い、法と証文に基づいて正当に利(権利)をいただいた」
薫子は、くるりと背を向けた。
「仏の裁きより、帳簿の数字のほうが、よっぽどこの世の 理(ことわり) に近うおじゃるよ。……さあ、皆の者、引き上げるえ」
かくして、圧倒的な現世利益で民衆の心を奪い、冷徹な金融操作で物理的に反撃を封じた薫子は、巨大な寺社勢力からの「完全な独立」と、莫大な「京の物流利権」を手中に収めたのである。
***