作品タイトル不明
第34話「その言葉の真偽とはいかに!?」
――こいつは昔、一度だけ。
俺を“殺した”存在だ。
その確信が脳裏へ浮かび上がった瞬間、全身の血が一気に冷え、呼吸が止まる。
心臓が嫌な音を立てた。
あり得ない。
そんな記憶、あるはずがない。
俺はレインとして生きてきた。
学園へ通い、仲間と笑って、セレフィーナと出会って――。
それだけだ。
なのに.......
目の前の男を見た瞬間、“知っている”と魂が叫んでいる。
赤黒い炎、崩れ落ちる門、世界を覆う終焉の空、その中心で、静かにこちらを見下ろしていた黒衣の男.......
脳の奥に、断片的な光景が流れ込む。
知らないはずの記憶。
いや.......
忘れさせられていた記憶。
「……ぁ」
視界がぐらりと揺れ、膝が軋む。そんな俺を見て、男はゆっくり目を細める。
「やはり覚えているか。いや.........“残っていた”と言うべきかな」
声が近い。気づけば男は、もう目の前まで来ていた。速い、なんてレベルじゃない。認識する前に、そこにいる。その事実に、アイラが息を呑むと同時に、恐怖を抑え込みながら剣を抜く。
鋭い斬撃、空気を裂く速度、普段の彼女なら、学園でも上位に入る実力だ。
だが......
男は視線すら向けなかった。
キィン――――。
乾いた音。
アイラの剣が、男の肩口で止まっていた。
いや.......
“空間”に止められている。刃の周囲だけ、空気が歪んでいた。
「っ……!?」
アイラの顔が歪む。
押しても引いても動かない。
まるで世界そのものが固定されているみたいだった。男が、小さくため息を吐く。
「脆い」
その一言と同時にバキンッ!! と。アイラの剣が、根元から砕け散った。
「――がっ!?」
衝撃で吹き飛ばされる。石畳を滑り、壁へ激突した。セレフィーナが顔色を変える。
「アイラ!!」
「大丈夫……だ……!」
口元から血を流しながら、それでも立ち上がろうとするアイラを見て、男は少しだけ興味深そうに目を細めた。
「まだ折れないか。人間にしては上出来だ」
その声音には、本当に少しだけ感心した響きが混ざっていた。
だが........
次の瞬間にはもう、どうでもよさそうに視線を逸らす。完全に、“格下”を見る目だった。
セレフィーナが震える手を、前に向けて構える。
「っ……〈星霊・多重光槍〉!!」
魔法陣が幾重にも展開され、放たれた光槍が地下水路を埋め尽くした。
閃光、轟音、普通の魔物なら、一瞬で蒸発するレベルの高位魔術。
だが........
男は避けなかった。
光槍が直撃し、爆煙が広がる。
――次の瞬間。
煙の中から伸びた黒い腕が、アイラの喉を掴んでいた。
「っ――!?」
速すぎた。目で追うことさえ許されない。男は片手でアイラを持ち上げたまま、静かに言う。
「弱い」
その声には怒りすらない。ただの事実を確認する動作みたいだった。アイラの顔が苦痛に歪む。呼吸ができない。
セレフィーナが咄嗟に前へ出た。
「離しなさい!!」
純白の魔力が奔る。
幾重もの光翼が展開され、一斉に男へ襲い掛かった。美しい魔法だった。神聖さすら感じる光。
だが.......
男は初めて、ほんの少しだけ表情を変えた。
「……なるほど」
興味深そうに、そして......
「やはり君が必要だ」
その瞬間、男の周囲で、空間が捻じ曲がった。セレフィーナの魔法が、全部“逸れる”。あり得ない軌道で、まるで世界そのものが、男を避けているみたいに。
「なっ……」
セレフィーナの瞳が揺れる。男はアイラを無造作に投げ捨てた。床へ転がるアイラを見て、俺の中で何かが切れる。
「……お前」
低い声だった。自分でも驚くくらい冷えている声。男がこちらを見る。深淵みたいな瞳。その奥に、俺自身が映っていた。
「その顔.......」
男が、静かに笑う。
「ようやく思い出してきたか」
ドクンッ!!
紋章が脈動する。脳裏へ流れ込む映像が増える。
赤黒い空、終わっていく世界、巨大な門。
そして.......
炎の中で剣を握る、“俺”。今の俺ではない。もっと冷たくて、もっと壊れていて.......
もっと――強い。
「っ……ぁ……!」
頭が割れそうになり、視界が赤く染まる。その時だった。ぐい、と。誰かが俺の袖を掴んだ。
「……レイン」
セレフィーナだった。
震えている、怖いはずなのに、それでも、俺を呼んでいた。その声で。ぐらついていた意識が、少しだけ戻る。男がそれを見て、つまらなさそうに目を細めた。
「邪魔だな」
その刹那、空間が歪むと同時に男の姿が消える。まずい、と理解した時には遅かった。男がセレフィーナの背後へ現れる。白い指先が、彼女の首へ伸びていく。
「セレフィーナ!!」
反射だった。
考えるより先に身体が動く。
俺はセレフィーナを抱き寄せ、そのまま男の腕を受け止めた。
轟ッ!!
衝撃で石畳が砕ける。腕が軋む。信じられないほどに重い。まるで山そのものを押し付けられたみたいだった。
「ほう」
男が、少しだけ目を見開く。
「今のを止めるか」
俺は歯を食いしばった。右腕の門印が、狂ったみたいに発光している。黒銀色の紋様が肩まで侵食し、熱を帯びる。
空気が裂ける音。背後で、再び門が開き始める。朱雀門じゃない。
もっと深い、もっと禍々しい“何か”。
男の目が、初めて細められた。
「……まだそこまでは開けないはずだ」
その声音に。
ほんの僅かだったが、“警戒”が混ざった。俺は男を睨み返す。
「セレフィーナに触ってんじゃねえよ」
怒りで、声が震えている。男は数秒、黙っていた。やがて、小さく笑う。
「なるほど」
静かに、どこか納得したように.......
「君は昔よりも、ずっと人間らしくなったな」
昔.......
その言葉に、背筋が凍る。男はゆっくり後ろへ下がった。まるで、これ以上は試さないと決めたみたいに。
「今日は退こう」
「待て!」
叫ぶ。
だが男は気にしない。黒い裂け目が、再び背後に開いていく。その闇へ溶け込む直前。男が最後に、こちらを見た。
「思い出せ、“門守”」
その声は、不気味なくらい静かだった。
「君は世界を守った英雄じゃない」
深淵みたいな瞳が、細く歪む。
そして.......男は、笑った。
「――世界を終わらせた側だ」
その時........全身から血の気が引いた。
男の姿が闇へ消える。地下水路へ、静寂が落ちた。水滴の音だけが響く。誰も、すぐには動けなかった。
セレフィーナが、ゆっくり俺を見る。
不安そうに、怖がるみたいに、それでも離れないまま。俺は何も言えなかった。
頭の中で、あの言葉だけが何度も反響していた。
――世界を終わらせた側。
紋章が、まだ熱い。
まるで........
その言葉を、“正しい”と肯定するみたいに。