作品タイトル不明
昼飯キッチン
北大陸南東部に広がる広大な森──カナダ大森林。
かつて人族の迫害から逃れる為、当時広大な荒地でしかなかったその場所に逃げ込んだエルフ族が築いた巨大な森で、森の木々とそこに暮らす数多の魔獣が天然の要塞として人を遠ざけている。
そんな森の奥地にはエルフ族が幾つもの里が築かれていた。
彼らが得意とする魔法の力を使って築かれた生きた木々の壁の内側は、何処かの物語に出て来るようなのどかな風景が広がっている。
まるでマッシュルームのような形をした木造の家屋が点在し、所々に巨大な樹木と家屋が融合したような摩訶不思議な建物の姿が確認できた。
その幾つもあるエルフ族の里の一つ、ララトイアの里と呼ばれるそこは、アリアンの父が長老として治める里で、今現在、自分が籍を置く里でもあった。
そして目の前にはアリアンの実家でもある長老宅の巨大な建造物が聳えている。
あのまるで山のような 龍冠樹(ロードクラウン) の事を思えば随分と細いが、人が暮らす家屋一軒分ほどもある幹周りは十分に巨大だ。その巨大な幹の中に屋敷が融合するような形で在り、上へと伸びた先には大きく広げた枝葉がその場に巨大な木陰を作っている。
アリアンが勝手知ったる我が家に入って行くその後ろを付いて歩く。
中へ入ると巨大な樹木の中に吹き抜けのホールとなっており、そこから左右に二階へと続く階段が伸びて、その先には大きな食堂があった。
そこにアリアンと同じ雰囲気の女性が一人、自分とアリアンの姿を見つけて顔を綻ばせた。
「あら、あなた達、ようやく戻ったの? お昼はアーク君が作るって言ってたのに、戻って来ないからこのまま今日はお預けなのかと思ったわ」
そう言って笑顔でいるのはアリアンの母親で、この里の長老の妻であるグレニスだった。
グレニス・アルナ・ララトイア、今現在は里を留守にしている長老である夫の代理を務める彼女は、アリアンとそう歳の変わらなさそうな容姿をしている。
だが長命な種族であるエルフ種はその見た目からは正確な年齢が分からない。
しかしだからと言って、目の前の人物に年齢の話を振るのは自らが棺桶に頭から飛び込むにも等しい行為である。なんと言っても剣の使い手であるアリアンの師匠であり、自分も何度も模擬戦闘をこなしてはいるが、一度も有効的な反撃を行えた試しがない人物だ。
なので笑顔のままの彼女に素直に謝罪を伝える。
「すまぬ、グレニス殿。少しばかり竈の製作に熱中してしまっていた」
もともと今日の昼は前から取り組もうとしていた用意を実践する為でもあり、その為に今回の昼食は自分が担当すると名乗り出ていたのだ。
とりあえず自分はそのまま鎧姿のまま、食堂の奥に設けられた厨房へと入った。
人族が薪を使って煮炊きするようなこの世界の中で、彼らエルフ族らはその優れた魔道具技術を持って高い生活水準を保っている。
現に目の前の厨房も薪を使った竈もあるが、ガスコンロのような雰囲気の道具も備わっていた。
ただこれは魔石を使った燃料を消費する為、普段利用としてはまだまだ薪の方の竈などが主流である事が多いという話だ。
「そう言えばアーク、朝から何か準備してたけど、それって何?」
厨房で準備を始めたそこに、アリアンが後ろから覗き込むような恰好で話し掛けて来た。
彼女の視線が注がれているのは、自分の手元に置かれた大きめの二つの器だ。
陶器製の器の中に水が張ってあり、それぞれ乾燥させたトマトと乾燥キノコが漬けられている。
「今回は新たな調味料を作ってみようかと思ってな」
そう言いながら器の中からもどったトマトとキノコを取り出す。
今回自分が挑戦する新たな調味料は“醤油”だ。
本来の醤油は大豆と麹を発酵させて作る物で、その工程は複雑で温度管理なども相まってなかなか一朝一夕で作れるようなものではない。むしろ素人がそうそう作れるような代物ではないのだ。
だが、醤油の成分を化学的な変化で生み出す事は出来る。
まずは昨晩から水に浸していた乾燥トマトと乾燥キノコだ。
キノコはモリーユがあれば良かったのだが、こちらではまだ見かけていない。なので、香り高いといわれるキノコをグレニスに見繕ってもらった物を使用した。
見た目は少しエリンギに似ている。
その二つの戻し汁を合わせて鍋に移し替え、そしてその横で鶏のむね肉を包丁で叩くようにしてミンチに加工する。
ミンチになれば一部を残してそれを鍋に入れて火にかけ、沸騰したら麻布で濾す。
とりあえずこれで下準備の“出し汁”の完成だ。
香りを嗅いで少し味を見てみるが、わりといい感じに出汁が出来たと思う。
しかし、横でそれを見ていたアリアンはと言えば、眉根を顰めて鼻を鳴らしていた。
「……なに、これ? あまりいい匂いしないんだけど……」
実に嫌そうな顔のアリアンに自分は肩を竦めて応えるに止めた。
まぁ日本人ならば出汁の香りを嗅ぐと落ち着くが、外国人は蒸れた洗濯物の臭いと称したりするので、ここは慣れや感性の違いとしか言えない。
さて次はいよいよ“醤油”擬き作りだ。
醤油は究極的な話、それを構成する大部分であるアミノ酸と糖があれば作れる、というのが今回の醤油作りの基本理念だ。
まずはアミノ酸担当だが、出汁作りでも使った残りの鶏むね肉のミンチを器に入れて、そこに今度は糖担当のカナダ大森林の特産品でもあるメープルシロップを加えて丁寧に混ぜ合わせる。
それを鍋に入れて高温で炒め始めると、蜜入りミンチが茶色く変容するメーラード反応が起こり始め、全体が色づいたところに塩と酒を加えて火を落とす。
「うむ、完成だな」
鍋の底に溜まったさらりとした濃茶色の液体を少し指に掬い舐めてみる。
まさに醤油、とまでは流石にいかないが、だいぶそれらしい味に仕上がってはいた。
ただお酒が白ワインのようなフルーティーな物しか用意できなかったので、醤油の味が全体的に洋風な感じを思わせる。“醤油”というよりは“ソイソース”といった感じか。
材料に“ソイ”を全く使用してはいないが。
隣では相変わらずポンタを抱いたアリアンが興味津々といった感じで、此方の作業を覗き込んでは、しきりに鼻をよせて出来たばかりの醤油の匂いを嗅いでいた。
「どうだ、アリアン殿。まだ苦手な匂いであるか?」
自分のその質問に彼女は少し考えるような仕草をして小さく首を横に振る。
「さっきとは随分と匂いが変わったわね。なんていうか、香ばしい匂いがする」
どうやら拒否反応は出ていないようだ。
これから作る鶏の照り焼きも口に合えばいいのだが──そんな事を考えながら、照り焼き用の漬けダレを用意をして鶏肉を漬け込んでいると、今迄静かに食堂の席に座っていたグレニスが何かに気付いたように立ち上がった。
しばらくして一階からグレニスが食堂へと戻って来たその後ろに、久しぶりの顔を見つけた。
「おぉ、ディラン殿。ようやく里に戻られたのか」
グレニスの後ろから姿を現したその人物は、厨房に立つ自分とアリアンの姿を認めると、僅かに笑みを浮かべて片手を上げるようにして挨拶をした。
「やぁ、アーク君、アリアン。今さっき戻ったところでね。いやいや、ローデンの王都からここまでは結構な長旅だったよ。だけど、おかげで有意義な話の場を得る事が出来た」
そう言って返して来たのは、このララトイアの里の長老でアリアンの父──ディラン・ターグ・ララトイアその人だった。
少し長めの翠がかった金髪に長く尖った耳、全体的に細身のその姿はこの森の中で多くが暮らすエルフ族の特徴でもある。
「それと、二人にお客を連れてきたぞ」
意味深な笑みを浮かべたまま、そう言って自らの後ろにその視線を向けて少し横にずれる。
それにつられるように自分とアリアンの視線も自然とそちらへと向くと、彼の背に隠れるようにして立っていた一人の少女が姿を現した。
「チヨメちゃん!? どうしたの、こんな所に?」
その少女の姿を認めて、真っ先に反応を示したのはアリアンだった。
彼女のそんな疑問に、黒髪猫耳に忍び装束に身を包んだチヨメが、長い尻尾を僅かに持ち上げて頭を下げる。
「お久しぶりです、アリアン殿、アーク殿」
微かに嬉しそうに左右に揺れる尻尾は、あまり表情を変えないチヨメの代わりに感情豊かだ。
彼女とは南の大陸での一件が片付いた後、ゴエモンと共に“ 刃心(ジンシン) 一族”の現在の拠点となっているカルカト山群にある隠れ里へと転移魔法を使って送り届けて以来だった。
あの一件で行方知れずだったチヨメの兄弟子のサスケが 不死者(アンデッド) となった姿で彼女の前に現れ、そして襲い掛かって来た彼を彼女自らの手で葬った経緯がある。
里へ帰還はその一連の報告する為でもあった。
「……チヨメ殿は、大丈夫なのか?」
久しぶりにあったチヨメに自分はどう言えばいいのか分からず、そんな曖昧な問い掛けをする。
恐らく一族内で葬儀などもあっただろうし、あれからまだ半月しか経っていないのだ。
自ら兄と慕っていた者を、自らの手で殺めねばならなかった彼女の心情は、自分程度の者では容易に推し量る事はできない。
するとチヨメはその蒼く透き通った瞳を真っ直ぐに此方へと向けて、僅かに首を傾けて頷いた。
「はい。あの後、里に戻りハンゾウ様に報告を上げてからですが葬儀も行いました……」
先程まで揺れていたチヨメの尻尾が少し垂れ下がり視線が伏せられると、そんな彼女の様子を心配に思ったアリアンが眉尻を下げて彼女の顔を覗き込む。
「チヨメちゃん……」
「その後ですが、サスケ兄さんが残した言葉の意味を探る為、以前兄さんが辿った足取りを追う事が一族内で決まったのですが──」
そこまで言って言葉を区切ると、彼女の視線が再び此方を見上げてきた。
サスケの残した最後の言葉──自分は直接聞いた訳ではないが、彼女の話によれば死ぬ直前“教国に気をつけろ”と言って果てたという。
その言葉から推測できるのは、彼が 不死者(アンデッド) になった理由はヒルク教国にある──という事だろう。
そして何より、サスケは 不死者(アンデッド) としてはかなり不自然な存在だっと──彼と対峙したチヨメやアリアンが口を揃えたのだ。
普通、 不死者(アンデッド) は自然発生的に生まれるものであり、濃い 魔素(マナ) に曝された死者の肉体に悪霊が入り込む事によって生まれると言われている。
だが 不死者(アンデッド) が生まれる条件である 魔素(マナ) の蓄積には相応の時間を有する為に、誕生した 不死者(アンデッド) の殆どが腐敗した死者、つまりはゾンビか、白骨した状態のスケルトンとなるのが一般的なのだと言う。
しかし、チヨメの前に姿を現したサスケにはそのような様子は一切見受けられず、むしろ見た目には普通の生者と区別がつかなかった。
彼が 不死者(アンデッド) であると看破できたのは、それを嗅ぎ分けられる鼻をもった獣人族のチヨメや、 不死者(アンデッド) が纏う特有の“穢れ”を視る事ができるエルフ族のアリアンが居たからだ。
彼女らのその能力があったからこそ、鎧の下が骸骨の姿である自分が 不死者(アンデッド) ではないと確信して、こうやって同じ時を過ごせている。彼女らがサスケを 不死者(アンデッド) と見做したのならば、それは間違いない事実なのだろう。
だがそうなると問題になるのは、不自然な形で 不死者(アンデッド) となったサスケが明確な目的をもって動き、その先で突如として現れた無数の死霊兵士、そして教会内部から姿を現した何やら得体の知れない不気味な存在。
それらの存在と、サスケの最後の言葉を合わせて出た推論はチヨメら“ 刃心(ジンシン) 一族”には無視できない事だったのだろう。
「──しかし教国を秘密裏に調査をするにあたって問題が起きました。サスケ兄さんは、ローデン王国の北西部に広がるフェビント湿地を越えてデルフレント王国へ入ったようなのですが、そこから先への“道”が消えていました」
彼女のその言葉に、自分とアリアンが互いにその意味を目で尋ね合う。
そんなこちらの様子を見ていたチヨメが補足の説明を語った。
「ボク達一族が遠出の任に就く場合、その地に隠れ住む“クサ”と呼ばれる者の隠れ家を拠点や中継地にしてそれらを繋ぐ道を通じて活動するのですが、今回そこがことごとく潰されていました
」
どうやら“クサ”というのは彼女ら忍者が諜報活動をする際に用いるネットワークなのだろう。それが無くなったとなれば、情報収集する際の大きな負担になる筈だ。
「そのクサとやらは、察するにチヨメ殿らの同胞らの隠れ家だと思うのだが、クサ役の者達も行方が知れぬのか?」
自分のその問いに、チヨメは小さく首肯する。
「もともとヒルク教国とその周辺三国はヒルク教の教えが根強い事もあって、ボク達のような山野の民やアリアン殿らのようなエルフ族が暮らすには向かない土地なのです。見つかれば良くて奴隷、殺される事など珍しくないですから、そもそも潜伏しているクサ自体もあまり数が多くありませんでした。ここに来て足掛かりを失い足止めを受けた格好です」
そう言ってチヨメは悔しげに両の拳を握り締めた。
そんな悔しさを滲ませる彼女の言葉を引き継いだのは、今まで彼女の語る話を黙って聞いていたこの里の長老、ディランだった。
「そこで彼女らは以前手を貸してくれたアーク君に再び助力を求める為に、その時ローデン王国の王都に逗留していた私のところに接触してきた──という訳だ。いやぁ、それにしても彼女らの情報網と潜入術は大したものだね。逗留していた城内の部屋に彼女が姿を現した時は肝を冷やしたよ」
ディランのそんな暢気ともとれる発言に、少し重くなっていた場の雰囲気が和らぐ。
「ほぉ、という事は今度我が行く先はヒルク教国という事だな?」
自分のその言葉にチヨメが目を見開いて此方を仰ぎ見る。
「!? アーク殿、手伝って頂けるのですか……? その、まだ報酬の話もしていませんが……」
ややぎこちない彼女のその問い掛けには、どこか引け目のようなものが感じられた。
恐らくは今回の依頼が前回と違い、同胞の解放という大義名分などではなく一族の──それもより私的に近い彼女の兄弟子であったサスケに関する事というのもあるのだろう。
しかしサスケが残したという最後の言葉、それは個人的にも気になっていたのだ。
「いや、我も少し個人的に気になっておったのでな。それに、チヨメ殿の力になれるのならば、我は喜んで力を貸すぞ?」
そう言って笑うと、チヨメは頭頂部の猫耳をパタパタとさせて無言で頭を下げた。