軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

風の精霊

ゆっくり、そうっと、エカテリーナは振り向いた。相手を驚かさないよう、細心の注意を払って。

ある程度の予想はできている。ふんふんされているのは頭で、その高さを嗅げる大型の動物。ここはクルイモフ邸なわけで、当然、馬だ。

という完璧な予想は当たっていたのだが、目にした姿にエカテリーナは結局、驚くことになる。

うわすっごい綺麗な馬!

白馬だ。輝くばかりの純白の毛並み、均整の取れたやや小柄な馬体が愛らしい。

珍しいことに瞳は藍色。理想の馬を描いた絵画から抜け出てきたような姿の中で、実に印象的。

そして額には角があり、たてがみと尾は燐光を帯びている。

魔獣馬だ。

そういえば、皇室ご一家の行幸で馬車を引いていた魔獣馬二頭も白馬だった。魔獣馬の毛色としてはスタンダードなのだろうか。

しかし、これほど可愛らしい魔獣馬がいようとは。

馬だけど、魔獣馬だけど、超美少女!

「まあシルフ、また逃げてきたのね」

呆れたようにマリーナが言うと、美少女馬はつーんとそっぽを向いた。

うーん、そんな可愛くない態度が可愛すぎてキュンとくる。美少女強い。

魔獣馬の特徴であるたてがみの燐光が、美少女のキラキラエフェクトに見えてきちゃうわ。

「なんと美しいのでしょう。これほど愛らしい馬を見たのは、初めてですわ。シルフという名前ですの?」

「ええ、魔獣馬の牝馬ですわ。何か特別な理由がない限り、領地の外へ出すことはほとんどありませんのよ」

エカテリーナの感嘆に、マリーナは誇らしげに答えた。

「やはり牝馬か……クルイモフ家にとって最大の宝のはず、なぜここに」

アレクセイは魔獣馬の牝馬について知っているようで、驚きを滲ませてニコライに問うている。ニコライは、困った顔で顎を掻いていた。

「まあ実は、当初の考えでは、シルフをエカテリーナ嬢への贈り物にするつもりだったのです」

答えたのはフョードルである。

「贈り物といっても、魔獣馬の牝馬は門外不出。我が家に来て乗っていただく程度のことになる。で、閣下にも監督者として来ていただいて、何かあった時にシルフに追いつけないようでは困るとかなんとか言って、本命のヴェントゥスをお渡しようかと」

「親父……」

ぶっちゃけまくりの父親に、ニコライがなんともいえない表情になっていた。

「すまないな、エカテリーナ。完全にダシにするようなことを考えて」

「ニコライ様、そのような……わたくしにとっては、ありがたいばかりですわ」

兄を魔獣馬のあるじにするためにクルイモフ伯が以前からいろいろ考えてくれていたと知って、あらためて感謝の気持ちが湧くエカテリーナである。

そんなエカテリーナを見て、フョードルがふむと唸った。

「シルフは随分とエカテリーナ嬢が気に入ったようだ」

なにしろシルフは、またエカテリーナをふんふんしている。今度は正面からで、鼻息がくすぐったい。もしかして自分がクサいんだったらどうしよう、とエカテリーナは案じずにいられない。

「この際、本当にシルフをエカテリーナ嬢にお贈りしようか」

はい⁉︎

「いえ、クルイモフ家の皆様はすでに、わたくしが一番望んでいたものをくださいましたわ。この上……」

「なに、先ほどお話ししたように、贈ると言っても本当にお渡しするわけでもない。時々シルフと会って、乗っていただきたいだけのことです」

いやいやいやいや。

「わたくしのような乗馬初心者にこのような素晴らしい馬、あまりに身に余りますわ」

「シルフが貴女を選んだのです。それに貴女ほどシルフに似つかわしいあるじはいないでしょう」

言葉を切ったのち、フョードルは力強く言い放つ。

「なにしろシルフは、皇国一の美人ですから!エカテリーナ嬢ほどの美女と対になれば、誰もが見惚れる組み合わせです」

……察した。

クルイモフ伯、自分の子供たちには辛口らしいのに、育てた馬には親馬鹿ですね?

エカテリーナが察している隙に、シルフと妹を見比べたアレクセイが感に堪えたように言った。

「同意せざるを得ない」

ああっ、お兄様のシスコンがクルイモフ伯の親馬鹿と共鳴してしまった!

「エカテリーナ……神々にも愛されるお前の側にこれほど美しい馬がいれば、本物の 風の精霊(シルフ) が女神に侍っているかのようだ。お前の髪とシルフの瞳が同じ色であることも、運命を感じる。シルフに乗るお前の姿を肖像画に描かせれば、素晴らしい名画になるに違いない」

お兄様!

ユールノヴァ家が借りを感じているクルイモフ家から自分がヴェントゥスを受け取ることはあれだけためらったのに、私がシルフを贈ってもらうのはビジュアルが良いから一発オッケーってシスコンが過ぎませんか!

お兄様のシスコンは常に過ぎておりますけども!

「閣下もそうお思いになりますか」

フョードルがうんうんとうなずいている。

「シルフは風の系譜、ヴェントゥスの妹です。仲の良い兄妹ですから、その点でも妹君にふさわしいでしょう。……賢く気位の高い子ですが、娘から聞くエカテリーナ嬢の人柄であれば、ふさわしい敬意を持ってシルフと接してくださると確信しておりますよ」

「クルイモフ伯」

アレクセイが、ひとつ咳払いをした。

「その、よろしければ私のことは、アレクセイと呼んでいただきたい。私も妹も、御子息御息女に親しくさせていただいている。身分のことは置いて、ニコライとマリーナの友人として扱っていただければ」

その言葉に、エカテリーナは目を見張る。

これは!

なんということでしょう……誇り高いお兄様が、自分から身分の隔てを超えて人付き合いを……。クルイモフ伯以上に身分も年齢も上の相手にも、公爵としての立場を崩したことはなかったのに……。

クルイモフ伯が見せてくれた配慮への感銘と感謝が大きい上、名前で呼び合うよき友人ニコライさんの父親であること、いろいろレアな条件が重なっていればこそだと思いますが、なんだかお兄様の人間の幅が広がったような気がして嬉しい!

アレクセイの言葉を聞いて、フョードルは破顔した。

「それは嬉しい。良ければ私のことも、フョードルと呼んでくれれば嬉しいね。呼びにくければ、おっさんでも親父でも構わないが」

良かった、遠慮とかされずにすぐ受け入れてもらえて。

にしても切り替え早いというか……まあとても十八歳には見えない威厳あふれるお兄様といえど、クルイモフ伯から見れば息子と同い年の子供に違いないもんね。

しかしこうなると、シルフを私に贈ってくれるというお話、断るという選択肢はなくなったのでは……。

「シルフ……あなた、本当によろしくて?」

思わず、エカテリーナは目の前にいるシルフに囁きかけた。

「このままでは、わたくしがあなたのあるじになってしまってよ。わたくしはまだ、馬に乗ったことすらほとんどないの。あなたにふさわしい乗り手ではないのよ」

シルフは、藍色の目でじいっとエカテリーナを見つめている。

綺麗な色、綺麗な瞳。長ーいびっしりまつげ。

長いまつげは全馬の標準装備とはいえ、ほんとに美少女だな!

しかし君、なんで私をふんふんしてきたの?

という疑問で、エカテリーナもシルフを見つめ返す。

そしてふと、思い出した。

『お前は、変わった魂をしている』

かつてユールノヴァ領の山岳神殿で、炎狼神から言われた言葉。

まさか……。

「エカテリーナ様、危険ですわ!」

がば!と突然マリーナに抱き寄せられて、エカテリーナの頭から思考がふっとんだ。

「マ、マリーナ様、危険とは?」

「シルフはこんなお姫様のような見た目でいて、とてもいたずらっ子ですの。うかつに近付くと、お 髪(ぐし) をもしゃもしゃ食べられてしまいましてよ!」

「えっ」

ひええ!

エカテリーナはあわてて自分の髪を両手で押さえる。

少女たちのそんな様子を、いつの間にか男性陣が微笑ましそうに眺めていた。

なお、男性陣の中にはヴェントゥスも含まれていたりする。

フョードルがニコライに言った。

「片鞍を持って来い」

そうして、ニコライが手早くシルフに鞍をつけてくれて、エカテリーナは初めての横乗りでの乗馬を体験したのだった。

以前ユールノヴァ領で馬に乗ったことがあるが、その時はアレクセイのお古の服を借りて男装し、鞍にまたがって乗った。なおアレクセイが手綱を引いて馬を歩かせてくれたので、エカテリーナが馬を御したわけではない。

今回は、最初こそフョードルが手綱を引いてくれたものの、初めてエカテリーナは自分で手綱を持った。

結果として、とてもイージーだった。横乗りで馬に乗るのは確かにちょっと怖かったが、姿勢に気をつければ安定する。何よりシルフは、フョードルに「あの辺りまで行って帰ってこい」と言葉で指示されただけで、その通りにゆったりと歩いて往復してくれた。いちおうエカテリーナも教えられた通りに手綱を引いたりしたが、正直まったく馬を御してはいなかったと思う。

「やはりシルフは、あまり経験のない乗り手のほうがむしろ好ましいようだな」

フョードルはにんまり笑った。

「 跨(またが) られて膝で指示をされただけで 臍(へそ) を曲げてしまう子で、横乗りでないと受け付けない。その代わり言葉での指示を理解するほど賢いし、これからお互いに馴染んでいけば、素晴らしい相棒になれる子だ」

なるほど、私に声がかかったのはそういう理由もあったのか……と納得しつつ、エカテリーナはフョードルにそっと尋ねる。

「あの……シルフはたいそう珍しい瞳の色をしておりますけれど、魔獣馬には多うございますの?」

「いや」

にっ、とフョードルは笑った。

「他に例がないわけじゃないが、 クルイモフ家(うち) の四百年分の歴史の中にもあまりいない。ああいう変わった瞳は牝馬にしか現れないようだが、そういう馬に無理を強いたら、天へ駆け上って消えてしまった――なんて記録が残ってる。シルフもな、抜け出せるはずのない状況でいつの間にか逃げ出してしまうんだなあ」

「それは……」

ほとんどメルヘンですが、ガチな話なんでしょうか。

と訊くことは、できなかったエカテリーナであった。

名残惜しげなヴェントゥスに、なるべく早く厩を用意すると約束してエカテリーナとアレクセイは帰路についた。

帰りの馬車の中で二人で楽しく語り合ったのは、クルイモフ一家への返礼をどうするかだ。エカテリーナの誕生祝いという名目であっても、魔獣馬ほどのものを譲り受けて返礼なしなど、ユールノヴァ公爵家の名にかけてあり得ないのだ。

「機会があり次第、マリーナ様には素敵な馬具をお贈りしとうございます。華やかな飾りがありつつ、実用性と耐久性を兼ね備えたものを」

「そうか。時間をかけて、良い職人を探させよう。皇国に今までなかったほどのものを作らせなければ」

「伯爵夫人にも、馬具をお贈りするのがようございますわね。ニコライ様へのものは、お考えがありまして?」

「それだが……猟犬を贈りたいと思う。レジナとレクスの子供から、優れた雄を選んで」

「それは良いお考えですわ!ニコライ様なら、レジナも安心して我が子を託してくれますわね」

「フョードルには、ワイン……いや、ブランデーの逸品が良いのではないかな」

「きっとお喜びになりましょう。それに、レフの予定が許せばになりますけれど、馬の意匠のガラスペンも良いかと存じますわ」

わくわくと語りながらも、エカテリーナはやはり、兄のやわらかな表情が何よりも嬉しい。

だが、その表情がふと変わった。

「エカテリーナ……ひとつ、伝えておく」

「はい、お兄様」

即座に居住まいを正して、エカテリーナは待つ。

「ゲオルギー・ユールマグナは、長年にわたって魔獣馬を欲してきた。かつては陛下に直訴したこともあると聞く。私とお前が共に魔獣馬を得たことを知れば、思わぬことを仕掛けてくる可能性がある。少しでも何かを感じたなら、すぐに私に話しなさい」