軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

肖像と女神

現れた絵を見て、エカテリーナは思わず声を上げる。

「お兄様、これは……!」

見知った絵だった。

そして、初めて目にする絵だった。

肖像画の間で何度も見つめた、祖父と兄が描かれた絵。

祖父セルゲイは、ゆったりと椅子にかけている。こちらを見ている瞳の色は、空よりも澄んだ天の青。きちんと撫でつけられた髪は、瞳の色と同じ青ながら白髪が交じって渋い印象。顔立ちは端正そのもの、大国ユールグラン皇国の宰相として国政を執り行っていた立場にふさわしい、威厳と風格が漂っている。

兄アレクセイは、その傍らに立っている。光輝くような美少年だが、こちらに向けた視線はすでにその年齢とは思えないほど鋭い。自ら光を放つようなネオンブルーの瞳を、画伯はよく再現している。

そして。

肖像画の間にあった絵では、祖父が座っていたのは一人掛けの椅子だった。

けれど今目の前にある絵では、祖父は二人掛けのソファに座っている。足を組み、左腕を伸ばしてソファの背もたれの上に置く、少しくつろいだ姿になっている。

その同じソファで、祖父の左隣にちょこんと座っているのは。そのすぐ側にアレクセイが立っていて、二人に挟まれ守られているかのように見えるのは。

幼いエカテリーナ、だった。

この絵はアレクセイが十歳、祖父セルゲイが五十八歳の時のもの。エカテリーナは八歳として描かれている。波打つ藍色の髪を自然に垂らし、紫がかった青い目をこちらに向けて、ほんのりと微笑んでいる。

祖父と兄の肖像画を描いた画家、ハルディン画伯をアレクセイが晩餐に招いたことがあった。この絵は間違いなくハルディン画伯の手になるもので、あの招待は画伯を現在のエカテリーナと会わせて、八歳の頃の姿を想像させるためだったのだろう。画伯の筆は、八歳のエカテリーナを見事に描き出していた。

まだ悪役令嬢の面影はない。フリルやリボンがたくさんついた可愛らしいドレスがよく似合う、あどけない女の子だ。

不思議なことにそのドレスは、八歳の誕生日に母がプレゼントしてくれた、あのドレスに似ている気がした。

もちろんハルディン画伯は、あのドレスを見たことはない。エカテリーナの八歳の誕生日を、話に聞いたことすらない。この絵でポーズを変えた、足を組んで左手を伸ばす祖父の姿も、実際に見たことはないのかもしれない。それなのに、まるでこの光景を確かに見て描いたかのように、三人の姿は自然だ。

魂を描く画家とも言われるハルディン画伯の、あの印象的な 金銀妖瞳(ヘテロクロミア) が、この光景を確かに見たかのように。

お祖父様……。

一度も会えなかったお祖父様。

でもこの絵を見ると、まるで本当に会ったことがあるような気持ちになってくる。

お祖父様がソファの背もたれに置いた手は、私の髪にあと少しで触れる位置にある。肖像画の間にあった絵では威厳を擬人化したように 厳(いかめ) しかった表情も少し柔らかくて、孫娘を可愛く思う祖父という感じに見える。

画伯がそう描いてくれたからなのだけど、もしも本当に会えていたなら……なんと声をかけてくれただろう。

――エカテリーナ、会えて嬉しいよ。

その声が、聞こえた気がする。お兄様の声に似て低い素敵な、お兄様よりも年齢を重ねた渋い、優しい声が。

いや、聞こえたというより……この絵の中では、私は八歳。五十八歳のお祖父様が八歳の私に掛けてくれた言葉が、思い出となってよみがえったような。そんな不思議な、奇妙な感覚だ。

もし本当にあの頃に会えていたなら……その後の人生は、どんな風だっただろう。

お母様と私は一緒にお祖父様の庇護を受けて、お兄様と暮らしていただろう。お兄様とお母様は真っ当な再会を果たし、その後すぐにお祖父様が……世を去ってしまったとしても、その後の苦しい時期を助け合って乗り越えることができただろう。

そうやって過ごせていたならきっと……お母様は、今もお元気だった……。

「エカテリーナ」

アレクセイにそっと肩を抱かれて、エカテリーナは我に返った。

心配そうに見つめられて、はたと気付く。いつの間にか、頬を涙が伝っていた。

「お兄様、これは喜びの涙ですわ」

あわてて、エカテリーナは兄に微笑みかける。

「この絵を贈っていただいて、わたくし本当にお祖父様とお会いしたことがあるような気持ちになれましたの。お祖父様から、お声を掛けていただいたような気がするほどですわ。このように素晴らしい贈り物、なんとお礼を申し上げてよいかわかりません。本当にありがとう存じます」

「……そうか。喜んでくれて嬉しい」

アレクセイも、妹に微笑み返した。エカテリーナさえあまり見たことのない、心底ほっとした笑顔で。

お兄様……プレゼントを私が喜ぶかどうか、内心ドキドキしていたのかな。あまりに素敵なプレゼントで、喜びを通り越して感動しちゃったのに。

こういう架空の状況を絵にして贈るって、真面目なお兄様がやりそうなイメージはない。私の誕生祝いに何を贈ろうって、すごく考えて思いついてくれたのかな。嬉しいなあ。

そしてプレゼントをどうしようって悩むお兄様、想像すると可愛い!

しかしアレクセイは、ここでひとつ咳払いをした。

「その、最初はお母様も入った四人の絵を要望したが……ハルディン画伯は会ったことのない人間は描けないそうだ。それで、三人での絵を依頼することになった」

「そうでしたの……」

確かに、この絵の中にお母様も居てくれたら、完璧だっただろう。

けれど、『会ったことのない人間は描けない』というのは、ハルディン画伯が『魂を描く画家』である 証(あかし) となるような気がする。現在のエカテリーナを見て八歳の姿をこれだけ正しく想像できるのだから、エカテリーナの将来の姿も想像して、母として描くことができそうなものだ。それなのに、別人ならば描くことはできないというのだから。

「ハルディン画伯は本物の芸術家ですのね。お母様は絵の中には居られずとも、いつもお兄様とわたくしを見守ってくださいますわ」

「その通りだ。……イヴァン」

「はい、閣下」

笑顔で応じたイヴァンは、美しい彫刻が施された大きな箱の横に立っている。絵に気を取られてエカテリーナが今まで気付かずにいたそれは、『天上の青』を塗料として使った宵闇色に彩色されており、神を祀る祠を模した形をしているようだ。エカテリーナには、仏像を入れるための 厨子(ずし) にも似て見えた。

イヴァンが、恭しい手つきで箱の扉を開く。

「まあ!」

現れたのは、美しい女神像。

『夜の女王』または『宵闇の精霊』と呼ばれる、夜明け前と夕暮れ後の、夜の闇がわずかに青を含んだ美しい空を統べるとされ、最も美しい女神の一柱に数えられる女神の姿を、 象(かたど) ったものだった。

高さは五十センチほど、天のきざはしを上る途中で振り返った姿が彫られている。以前エカテリーナとアレクセイが共に訪れた太陽神殿の中にある『夜の女王』宮で目にした、その女神の像としては皇国で最も美しいと言われる彫刻の、レプリカだ。

元の女神像を初めて見た時、アレクセイはエカテリーナに似ていると言ったが、エカテリーナは母アナスタシアに似ていると思った。

公爵邸には、母の肖像画がない。祖母アレクサンドラが燃やしてしまったせいだ。だから肖像画代わりの母の似姿として、女神像のレプリカを作らせるよう、アレクセイがはからってくれた。母に生き写しのエカテリーナの姿も彫刻家にスケッチさせて、より母に近付けるよう依頼したのだ。

「完成しておりましたのね……!」

「ああ。直前になってしまったが、良い物になったと思う。お前がモデルになったのだから当然だが、美しい」

あ、シスコンフィルター発動。

「お前が言った通り、絵の中に共には居られなくとも、お母様はいつもこうして我々を見守ってくださるだろう」

「ええ!なんて素敵なのでしょう。本当にお母様にそっくりですわ」

元の彫刻は、もう少し凛々しい雰囲気だった。『夜の女王』は、太陽神に想われながらも恋多き浮気者に身を任せることを拒んだ貞操堅固な女神であり、宵空に星々を喚び集め明け方には星々を去らせる星々の女王でもあるので、きりりとした女性のイメージがあるのだ。

しかし目の前にある女神像は優しげで、その微笑みは母によく似ていた。

エカテリーナが八歳の頃の、貴族女性の鑑と謳われた美しい母に。

「お兄様、これこそが、お母様ですわ」

思わず、エカテリーナは唐突にそんなことを言ってしまう。

アレクセイは、母の顔をほとんど知らない。今際の際に、病みやつれた母とわずかに顔を合わせたのみだ。

そして母は、一度たりとも息子の名を呼ぶことはなかった。父親によく似たアレクセイを夫と見間違え、アレクサンドルの名だけを呼んでこときれた。

あの時の母を思い出すのは、アレクセイにとって辛いことに違いない。けれどアレクセイには、思い出せる母の姿が他にない。

お兄様に、記憶を塗り替えてほしい。お母様が最期に、この女神像のような優しい微笑みをお兄様に向けたと、錯覚でもいいから思ってほしい。記憶に傷つけられることがないように。

アレクセイは微笑んだ。

「ああ、お母様とお前はよく似ている。優しく美しく、凛々しさも兼ね備えている」

……私が考えていたこと、お兄様にある程度は見透かされている気がする。

でも、お兄様が辛い気持ちにならずに済んでいさえするなら、私は嬉しいですよ。

と。アレクセイがイヴァンに声をかけた。

「この子の職人を呼べ。それから、アイザック大叔父上もお連れしろ」

「はい、閣下」

驚く様子もなく一礼して、イヴァンが足早に向かったのはレフのところだった。

お兄様がなぜレフ君を呼ぶんだろう。アイザック大叔父様まで一緒とは?

内心で首を傾げたエカテリーナに、アレクセイが言う。

「エカテリーナ……今この場で見てほしい贈り物が、もうひとつある」