作品タイトル不明
第134話 幸せ
命からがらダンジョンを脱出し、駅前に戻ってもなお、綺羅星の心は落ち着かないままだった。
信号が赤に変わり、サラリーマンや家族連れ、高校生が早足で歩いて行く様をぼんやりと見ながら、……さっきの戦いの残り香が、収まらない。
心の中で見下していた女が、化物になっていた。
そもそも、人間がモンスターに変化するって、何?
ダンジョン界隈の情報は綺羅星も集めているが、聞いたことがない――
「綺羅星さん。休憩がてら、カフェにでもいきましょうか」
「……すみません」
「人間である以上、動揺するのは自然です。かくいう私も、人がモンスターになる現象については驚かされました」
先生に連れられる形で、綺羅星は駅地下のカフェへ。
以前、城ヶ崎との対話のさいにも訪れたシックなカフェに足を運び、注文したアップルティーに口をつけながら。
改めて……今回の件について整理する。
「先生。これ、迷宮庁に報告すべき案件、ですよね……?」
人と融合したモンスターが現れた。ダンジョン界隈としては世紀の大発見どころか、新たな世界の脅威となる出来事だ。
妹屋との戦闘映像はレコーダーに記録してあるし、発表はできるけど……
「そうですね。通常なら公表すべきですが……少々、都合が悪いのも事実です。というのもS級ダンジョン”凪の平原”23層は一般人の立入が禁止されている区域です。そこでどうして、私達が戦闘をしていたのかという辻褄を合わせなければなりません」
そういえば、綺羅星達が23層にいるのは秘密だった。
修行のため先生にくっついていっただけとはいえ、とんでもない所で戦闘したものだと思う。
「ただそれを除いても、報告は伏せておくべきかと思います」
「……理由を、お伺いしても?」
「ひとつは、危険性の低さ。……現時点で、人間がモンスター化する現象について、迷宮庁からの報告はありません。世間がパニックに陥るのを防ぐため意図的に伏せている可能性はなくもないですが、薄いでしょう。その状態で映像を出せば、フェイクと切り捨てられる可能性が高い」
徒労に終わることはしたくありません、と影一。
「もう一つは、説明が少々難しいのですが……首謀者は、判明しているからです」
「モンスターと融合させた人、ですか?」
「ええ。モンスターを手懐け、人間に受け入れさせる”テイマー”と呼ばれる特殊な能力があります。それを応用した、というのが私の推測です」
「聞いたことありませんけれど……」
「こちらの世界はまだ、アップデートされてないと思っていましたが……それを可能にするNPCが存在します。ああ、NPCというのは、人間の知能を持つ、ダンジョン産の特殊モンスター……という表現が近いでしょうか」
NPC。本来はプレイヤーが操作できないゲーム中の登場人物を示す単語だが、現代では意味合いが異なる。
彼等はダンジョンより産まれ、しかし敵対する訳ではなく、プレイヤーのような意思を持つ。
「NPCは魔力により誕生し、生きるのに消費する。その点でいえばモンスターと同じですが、魔物と異なり明確な意思があります。例えば武器屋”マイウェポン”鍛治師、スミス=ニャムドレー氏もNPCの一人ですね」
「あのウサギの人、ですか」
綺羅星も認識はしてるが、直接会話をしたことはない。
毎回ヘンな武器進めてくるのは破光さんだったので、縁自体がないのだ。
「NPCは、人間では持ち得ない力を所持しています。事実スミス氏には私の”神威ブレード”改造に着手して貰っていますし、先日の玉竜会戦でも多くの爆弾を作っていただきました」
「……味方、なんですか?」
「少なくとも、スミス氏は頼りになる方ですが……かの”モンスター兄さん”については不明です。実際に戦闘も行ってみましたが、危うさを感じて撤退しました」
「は!? 先生が、ですか?」
「意表をついてファムファルをけしかけたのですが、逆にテイムされ敵の味方につけられました。応戦は可能でしたが、綺羅星さんのことも気になり、念を入れて撤退しました。竜弩砲も防がれましたしね」
ぞわ、と綺羅星の背に悪寒が走る。
先生が撤退なんて……そんなことが、現実に起こりえるのか?
「私も同じことをしたまでです。撤退は、敗北ではありませんから」
影一とて必要があれば身を引く、それだけのことだ。
けど……そんな恐ろしい敵がいるのなら、それこそ妹屋の件に構っている暇はないのでは?
いやもちろん、綺羅星にとって妹屋は因縁の相手だけど、影一の敵対している相手のほうが余程厄介なのでは――
「という訳で、私はかのモンスター兄さんへの対策に力を入れます。なので例の植物女の相手は、綺羅星さんにお願いしましょうか」
……え。私? 私が?
私が、あのバケモノを……妹屋を、倒す?
「待ってください先生。私もさっき逃げるのが精一杯で……倒したいとは思いますけど、勝てる見込みが……」
「無策で挑むのは厳しいでしょう。ですが対策を練り、万全の形でいけば勝機は十分あると私は見ていますよ」
「で、でもっ……」
そう言われても自信が、ない。……いまの妹屋は、あまりにも、強い。
綺羅星の自信の源泉は、ダンジョンにあった。
ムカつく敵は殴ればいい。コミュニケーションという名の物理で和解すれば、大半の物事は解決できる。
その前提が、呆気なく崩れ去った。
今までの相手は、口先だけ。ハッタリばかりの連中だった。
苛めっ子も、無自覚な悪意のあるお嬢様もダンジョンに入ればただの羊。現実の拳で叩き潰し、あるいは悪人にでっちあげることで難局を打開できた。
けど、今度の相手は……ホンモノのバケモノだ。
そんな相手に、いまの綺羅星では――
「本当に勝てませんか?」
「え……」
「私はむしろ彼女を見た時、疑問を抱きましたよ。どうして彼女は、自ら弱くなったのだろう、と」
そういえば戦闘中、先生が言っていた。モンスターと融合して、弱くなったと。
綺羅星には、まるで意味がわからなかったけど……。
「実を言いますと、対策は幾らでもあるんです。たとえば例の動画を匿名で迷宮庁に提出し、新モンスターだと告げて討伐を依頼する」
「……あ」
「相手が人なら迷宮庁も困りますが、喋るモンスターなら話は別。そして当然ですが、迷宮庁はすでに凪の平原23階に到達しています。実力者を派遣すれば討伐も可能でしょう」
「え、迷宮庁もたどり着いてるんですか……私達だけじゃなくて」
「政府が公式に、凪の平原の最深階層は23階であると発表していますよ。そもそも迷宮庁には”攻略班”と呼ばれる、ダンジョン深層探索の特殊部隊がいます。平均レベル60以上の精鋭揃いなうえ練度も高く、私でも直接相対すれば苦戦は免れないでしょう」
そんな化物連中がいるのか、と綺羅星は驚きを隠せない。
確か、迷宮庁の後藤さんがレベル50代のはずだ。そんなS級探索者、後藤さんの上をいく連中がぞろぞろと居るというのか。
「国家権力を甘く見てはいけません。今の時代どこの国だって、精鋭の高レベル探索者は揃えてるものです。……そんな彼等に頼めば、あの化物の討伐は容易いでしょう。しかし――」
影一がすっと人差し指を立て、綺羅星の顔を刺した。
芯を見抜かれたような指先に、ドキリとし――
「勿体ない。と、思いませんか? 自らの宿敵を、その手で倒さないのは」
「……それは」
「安心安全ノンストレスを主義とする私なら、他人に討伐を依頼するでしょう。面倒事は他人に投げるに限りますので。しかし私の知る綺羅星さんは、腹立たしい相手は自分の手で殴り、切り刻みたいと思うタイプではありませんか? だから、あなたは”根源”と向き合い、その武器を選んだのでしょう?」
……そうだ。綺羅星は戦うために、いまの武器を選んだのではない。
ムカつく苛めっ子を自ら切り裂くために、チェーンソーを獲得し。ストレスを与えてくる敵をボコるために、メリケンサックを拳につけた。
ダンジョンにてレベルを上げるのも、ムカつく奴を虐め、いたぶるため――それは綺羅星の矜持だ。
「にも関わらず、敵がちょっと強くなったら尻尾を巻いて公安に頼む。それで納得できますか?」
綺羅星の心臓が痛いほど悲鳴をあげる。
簡単な攻略法は、目の前にある。銃の引き金を引くより簡単な方法が。でも、でも――
「繰り返しになりますが、他人に任せた方が安全ではあります。合理的であり簡単です。……しかしここで、あなたが自分で打開しなかったら。あなたは将来にわたり、悔いを残すことになるでしょう。いつまでも喉にひっかかる、魚の小骨のように。
……これは、理屈ではありません。
綺羅星善子という人間の本質であり、生き方であり。
業であり、愚かさであり、矜持です。
そして私は、人の愚かさを軽視しません。
たとえ理屈が狂っていたとしても、他人からは間違いだと言われようとも。自分が、ここだけは譲れないと頑なに思うのであれば、私はその善悪を問わず肯定的に迎えますよ。……私が、安心安全を歌いながら、ノンストレスを実現するため殺人を犯しているように」
綺羅星がどちらを取るかは自由。
けど、あなたなら。
例え己が破滅しようと、敵を殴りにいくのではないか……?
「あなたの本質は、真面目な努力家であり、エゴイストにしてサディスト。正しい自己研鑽を怠らず冷静な判断力を持ちながら、その結果を復讐と愉悦などというどうでもいいものに全力でつぎ込む愚か者です。愚かだからこそ、人間らしい。――そんなあなたの前に、宿敵が尻尾を振りながら待っている。こんな機を逃すなんて、勿体ないと思いませんか?」
私なら勿体ないなと思いますけどね、と薄く笑う影一に。
……ああ。
この人は、私に配慮してくれたのだなと、綺羅星は遅れて理解した。
先生なら、あの場で妹屋を始末することも出来たのだろう。
後の面倒事を考えるなら、むしろ倒しておくのが正解だ。それに今だって簡単に、妹屋を始末する道を教えてくれた。
それを語りながら、避けたのは……
綺羅星の成長のためでもあり、同時に――綺羅星に配慮してくれたから。
全て、私の幸せのためなのだ。
あの女は、私がこの手で徹底的に撲殺し尊厳を奪い尽くさねば、私が幸せになれないから。
先生は私の幸福を願い、だから、手を出さなかったのだ。
私が、幸せになるために――
「っ……私は」
喉が詰まりそうな想いを抱えながら、けれど、感謝の言葉は口にしない。
心の底では先生に、本当の感謝と……それ以上の気持ちを抱いているけれど。
一介の狩人なら、見せるべきは言葉でなく、結果だ。
感謝の気持ちは、殺意で返す。人として当たり前のことを誓いながら、綺羅星は溢れそうになる涙をぐっと払う。
「やります。私は、私の手で直接、あの女を血塗れにして、幸せになります!」
「その意気です。人は誰にでも、幸せになる権利がありますからね。……ああ、礼など必要ありませんよ。私もまた、私が楽しむために行動しているに過ぎません。正直、楽しそうにしている綺羅星さんは見ていて面白いですからね」
「はい……っ!」
くつくつと笑う影一に、綺羅星はテーブルの下で拳を握る。
正直にいうと、綺羅星にはまだ妹屋撃破のプランは見えていない。
妹屋が弱くなったという意味も、理解していない。
けど綺羅星の本質は、殺意と愉悦だ。
いまは勝てずとも己の悪意と憎悪を信じれば、きっと希望は見える。
そしてその二つは、綺羅星善子が綺羅星善子たる”根源”であり誰にも譲れない感情だ。
「では、今後の方針はそのように致しましょう。綺羅星さんは、あの女を倒す手段を探してください」
「はいっ! ……けど先生、まだ私、ヒントも掴めて無くて」
心は掴んだ。もう迷わない。
けど、手段という点ではまだ何も見えていない……。
「そうですね。では私から、助言になるか分かりませんが……アイデアに行き詰まった時の秘訣をお教えしましょう。――それは、日常を正しく生きることです」
「へ……?」
「復讐。憎悪。殺意。苛立ちに胸を焦がされ、頭がいっぱいになる気持ちも分かります。ですが、頭の沸騰した自分を客観的に見つめ直すためにも、まずは日常をきちんと生きる。
具体的には――
美味しいものを食べ、運動し、睡眠を取り、きちんと仕事をする。……そうですね。実は私、翌日に珍しい仕事をひとつ入れたのですがご一緒しますか?」
そう先生に誘われた綺羅星はすぐさま了解し、明日の仕事へと同伴が決まり――
*
影一に連れられ向かった、翌日。
二人は近所の中学校へとやってきた。
……って? 学校!?
瞼をぱちくりさせる綺羅星に構わず、影一はごく普通に、学校の教頭先生らしき人に挨拶をする。
挨拶と簡単な打ち合わせを行ったのち階段を上り、生徒達の教室へ足を運ぶ。
綺羅星からすれば既に懐かしさすら覚える、ずらりと教室に並ぶ中学三年生のクラスを見渡しながら――影一はいつものビジネススマイルを浮かべ、生徒達に挨拶を行った。
「初めまして、皆さん。私、B級狩人の影一普通と申します。……本日は特別講師として、皆様にダンジョンの安全に関する特別授業を行うことになりました」
……先生が……
知らない間に、ホンモノの、学校の先生になってるんですけど!?