軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

真夜中のホットケーキ

エリオットは現在兄に領主代行を任せているという。前侯爵夫人も、前侯爵が亡くなった後、兄と同じく領地に引きこもっていると聞いた。だからジゼルは直接領地経営に関わることはないだろう、たぶん。

だが、だからと言ってすべてを知らぬ存ぜぬでエリオット任せにするのはよくない。好きにしてもいいからと言われて報告書のひとつも確認せず、彼らに丸投げするのはジゼルの真面目な性格上できなかった。

「ナンシーは自分の働いて納めた税金が、侯爵夫人のドレスやジュエリーになるのと、もし自分の子どもが生まれた時のお祝い金や老後の生活費になるのと、どっちが嬉しいですか?」

ジゼルはアリアが淹れてくれた紅茶を飲みながら、ふと尋ねた。彼女はわずかに口を開いてすぐに閉ざしてしまう。

「普通に考えると後者ではありませんか?」

「……そうですね」

「正直、領民たちから見れば為政者って誰でもいいんです。ーー自分たちの生活を守って豊かにしてくれるなら、誰でも」

前世で選挙に行ったことはあるが、正直この一票で何が変わるのかと思うこともあった。今世では選ぶ権利もないが、それでも自分の生活さえ守れれば誰でもいいという気持ちはあるだろう。

「彼らは選べない。それを貴族たちは逆手に取っていいように扱うのは違います。彼らのおかげでわたしたちは生きていられるから」

ナンシーは目を丸くすると、わずかに目を伏せて小さく頷いた。

「このクッキーは、小麦と卵と砂糖とバターを使いました。たくさんの人が関わって、汗水垂らして試行錯誤して美味しい食料を作ってくれています。もちろん、その対価としてお金をいただいているわけですが。わたしたちができないことを彼らがしてくれているんです。だから、わたしたちは彼らができないことをしていかないといけません」

少し冷めたクッキーを摘み口に含む。サクッとした歯応えのクッキーはまだ微かに温かくて、ジゼルの心を宥めてくれた。

「ナンシーにとってわたしは仕えたい主人になれるかわかりません。もし、どうしても仕えたくないと思ったら相談してください。ーー紹介状を書いてもらいますから」

ジゼルはカップの中の紅茶を飲み干す。仄かな苦味とほろ甘いクッキーを飲み込んで、ナンシーの部屋を辞去した。

「……ジゼル様を見誤っておりました」

彼女たちが住む寮から戻る道すがら、アリアが懺悔するように呟いた。

「なんににも縛られずに、のびのびと育ったご令嬢だと思っていた自分がとても恥ずかしく思います」

「いえ。その通りよ」

「いいえ。ジゼル様は為政者なるものをよくご存知です。ーー大変申し訳ございません」

ジゼルは綺麗にお辞儀をしたアリアを見てひとつ頷いた。本当はもっと虐められたり蔑まれたりするのかと思っていたし、内心はきっとそう思われているだろうと思っていた。

けれど、少なくともそれを表面に出さなかったのはアリアの手腕、引いてはエリオットがきちんと屋敷を掌握しているからだろう。

「許します。だからこれからも色々と教えてください。あと、朝は毎日散歩するので、見逃してください」

「承知しました。ジゼル様も我々に敬語を使わないようにお願いします」

「そうでした。初日に言われていたのに。頑張る」

職場でもどこかで妥協が必要だった。大人数での共同生活なら尚更どこかで妥協する必要がある。

エリオットはジゼルの好きにすればいいと言ってくれた。が、それはこれまでと同じ通りに暮らしていいという意味ではない。履き違えてはいけない。彼女たちの主人になるのだから。

「お食事はいつもの時間でよろしいですか?」

「えぇ。その前に、もう一度クッキーを作りたいから調理場に行くわ」

「かしこまりました」

ジゼルはもう一度調理場に向かい、同じ要領でクッキーを作った。今度は三倍の量にして、手隙の料理人たちにも手伝ってもらいながら、焼く。できたものは、この屋敷で働く人たちに食べてもらえるように手配した。数が足りないかもしれないが、早い者勝ちでいいだろう。

***

(……お腹空いたわ)

クッキーの試食でお腹が膨れ、夕食を少なめにしたせいか夜の十一時を過ぎて小腹が空いた。

寝てしまおうと思えば寝てしまえるのだが、先ほど料理長から「いつでも調理場を使ってください」とGOサインをもらえたので、それなら自分で作ってしまおうかと思ったのだ。

(いい素材を使っているのにもったいないわ……)

捨てられた野菜クズや肉の破片を見て「あぁあ〜」と言いたくなるのを必死に我慢した。野菜の出汁でコンソメスープが作れるし、肉の破片を集めて叩けばハンバーグだってできる。見ているとつい口を出しそうになって、さすがに本職に口を出すのは憚れたのでなんとか黙ったが、言いたいことがたくさんありすぎる。

けれど、この家に来てまだ二日目の自分がどこまで口出ししていいものか、と悩ましいところだ。

「あ、さすがにこの時間なら誰もいないか」

キッチンに行くと誰もいなかった。明かりをつけて本日ずっとお世話になっている薄力粉と卵と砂糖を取り出す。ボウルに材料を入れて混ぜて終えると、フライパンに火をかけて油を敷いた。

(ーー本当はベーキングパウダーがあればよかったけど)

この世界にそんな便利なものがなくて、非常に残念だ。仕方なく卵は黄身と白身を分けて卵白で膨らむようにしてみたけれど、果たして想像通りになるのだろうか。

自宅で作る時はぺたんこでも気にしないが、なんとなくちょっと見栄えをよくしたい。

「ーー何をしている」

「あつっ」

「おい」

ちょうどお玉で生地を掬ってフライパンに流したところで声をかけられてしまった。油に落ちた生地が跳ねる。ジゼルが声の主の顔を見て、驚いている間に彼はツカツカと近寄ってきて、ジゼルの手を掴んだ。

「見せなさい」

「ちょっと油が跳ねただけです……?!」

掴まれた手がエリオットの口元に寄せられる。母指球にぬくもりと弾力が伝わってきて、ジゼルは視線を彷徨わせた。普通なら真っ先に冷やさないといけないのだが、彼は淡紫色の双眼を細めて低く唸る。

「ヒール」

パァ、と光に包まれて、ヒリヒリした母指球に痛みがなくなった。ついでに水仕事でカサついていた肌がみずみずしく生まれ変わる。侍女たちが寝る前にクリームを塗り込んでくれているが、長年水仕事と畑仕事に慣れた手はそう簡単に美くしくならない。

なのに、一瞬で、白魚のような指先が生まれる。労働など知らなさそうな指先にジゼルは目を瞠った。

「あ、こげる!」

慌ててひっくり返したが、生地が少し焦げてしまった。まあ許容範囲なのでよしとしよう。

「何を作っている?」

「ホットケーキです」

「なんだそれは?」

「甘味です。よかったら召し上がりますか?」

エリオットは昼食も夕食も職場でとっているらしいので、腹の具合はわからない。ただ、こういうワーカーホリックは食事をしないか、前世でいう栄養補助食品で簡単に済ませている可能性もある。

屋敷の主人が自ら調理場に来るのもおかしなことだ。

「……わたしの分もあるのか?」

「半分こしましょう。足りなかったら作りますし」

一人分しか作っていないが、元々三枚重ねにできるように焼くつもりだった。

焦げた一枚はジゼルが食べるとして、あと二枚は丁寧に焼く。その上にバターを乗せて、好みで蜂蜜をどうぞというスタイルにした。

(欲を言えば、バニラアイスがあれば最高だったのに)

それでもエリオットは目をキラキラさせてナイフとフォークを持つと慎重に切り、まず匂いをかぐ。

その隙にジゼルは毒味の意味も込めて、先に焦げたホットケーキを口に入れた。

「ん、おいしい」

裏面は綺麗に焼けているので、少し焦げただけのただのホットケーキだ。バターが濃厚で幸せの味がする。こんな時間にバターたっぷりのホットケーキは罪だが、エリオットが無言で咀嚼している姿を見ると、許せてしまうので、仕方ない。

「やさしい甘さだな」

「甘さが足りなければ、蜂蜜をどうぞ」

エリオットは言われた通り、少し蜂蜜をかけて口に入れる。パッと目を輝かせた彼を見てジゼルは笑いを堪えた。反応が義弟と一緒だ。彼にふさわしくない言葉だが、かわいいと思ってしまう。