軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

213.調停院と弁護士とできること

その日、ロゼッタは拠点を出た時から機嫌の悪い様子だった。

眉間にぐっと皺を寄せ、目つきは鋭く、心なしか細かい所作もいつもより少し乱暴になっている。

今となっては、彼女がそうした状態だからといって乱暴なことをする人ではないことは分かっているけれど、出会った頃の彼女を思い出させるその様子に、あの頃ロゼッタは今よりずっと余裕がなかったのだと今更気づかされた。

「ロゼッタさん、大丈夫ですか?」

声をかけると、彼女はハッとしたように目を見開き、それからせっかく綺麗にセットした髪をわしわしとかき乱した。

「すまないねオーレリア。冷静でいなくちゃって、分かってるんだけど」

「いえ、心配が多いのはわかります」

心配は要らないと何度も話し合ったけれど、ロゼッタとしては神殿にいい印象はまったくないのだろう。苛立ちを隠せない様子の彼女に、ノーラが大丈夫、と静かな声で告げる。

「ロゼッタ、心配しなくていい。私は神殿には帰らないから」

いつものように抑揚のない声で、けれどはっきりと告げられて、ロゼッタは苦笑を漏らし、自分の時とはまったく違う優しい手つきでノーラの頭をポンポンと叩いた。

「まったく、渦中の相棒に気を遣わせてちゃ、ざまぁないね」

「ロゼッタは大雑把なのに心配性。でも、そこがロゼッタのいいところ」

少し雰囲気が和らいだところで、馬車に同乗しているジェシカが柔らかい口調で言った。

「公式の場所での話し合いですし、あちらも無茶なことは言わないとおもいますよ。今日は個人間の調停になりますが、あちらが強硬な態度を崩さないようでしたら、冒険者ギルドに間に入ってもらうこともできますから」

そう告げるジェシカにロゼッタは頷いて、それから馬車の天井を仰ぎ、細長くため息をつく。

「分かっちゃいるんだけど、どうにも神殿の連中は何を言い出すか分からないし、いけ好かなくてね。……こんなことはとっとと片をつけて、うまいビールでも浴びるように飲みたいね」

「いいですね。鷹のくちばし亭で飲み明かしましょう」

そう告げると、ロゼッタは口の端を上げてにやりと笑い、そうしているうちに馬車はゆっくりと減速して、目的の場所で停まった。

調停院は、王都の中央区の大通り沿いに建てられていた。

王立図書館からは、目と鼻の先である。

公的な国の役所ということで、冒険者ギルドや商業ギルドのような大規模な建物を想像していたけれど、馬車止めやささやかな庭園はあるものの、石造りの二階建てで、入り口の脇に「調停院」とだけ刻まれた小ぶりな真鍮のプレートが掲げられている。

中央区の大通沿いにあるにはかなり地味な建物で、歴史があるというべきか、古ぼけているというべきか、やや迷うようないでたちである。正面のドアも重厚だが装飾は少なく、目立つことを避けているような佇まいだった。

「調停院って、初めて来ます」

「用のない人はとことん用がないですが、利用頻度の高い人はしょっちゅう来るような場所ですね」

調停院とは、民間のあらゆるトラブルを裁判の手前で解決するための場所だ。

ギルドが出るまでもない軽微な商取引の揉め事、近隣との境界線の争い、金銭の貸し借り、離婚の話し合いなど、裁判所に持ち込めば時間も費用も嵩む案件を、双方が納得できる形で折り合いをつけることを目的としている。

「あ、エド兄さん!」

ジェシカが声を上げると、調停院の建物の前にいる数人の男性のうち、長身の男が軽く手を上げて応じた。

「お久しぶりです、今日はよろしくお願いします」

「久しぶりですねジェシカ。ますます賢さがその美しさに磨きをかけているようで、何よりです」

「相変わらずお上手ですね。ウォーレンたちとは先に合流していたんですね」

「ここでお会いしましたよ。ところでジェシカ、そちらの美しい方々を紹介してくれるかな?」

向けられた薄い茶色の瞳の思わぬ鋭さに、思わず背筋を伸ばしたものの、ジェシカは意に介した様子はなくいつものおっとりとした口調で言った。

「はい。こちらはオーレリア・フスクス嬢。今の私の雇い主で、アウレル商会の代表者であり、ウォーレンの婚約者でもあります。隣にいるのがロゼッタ・フローレンスとノーラ・ホリデー。今日の調停の相手方になります。こちらはエドワード・エインズワース。王都で一番腕のいい弁護士です。アルのお兄さんでもありますね」

「相変わらず、大袈裟な物言いをする子だね。――紹介に与りました、エドワード・エインズワースと申します。中央区の隅に事務所を構える弁護士です。今日はよろしくお願いいたします」

やや癖のある濃い茶色の髪を綺麗に後ろに撫でつけて、淡い茶色の瞳を細めた長身の男性は、丁寧にそう告げた。

「肌荒れがひどいので、手袋をしたままで失礼します」

差し出されたまっしろな手袋に包まれた右手を握り返し、軽く握手をすると手はすぐに離れる。

アルフレッドは男性としてはかなり小柄な部類だけれど、エドワードはウォーレンよりも背が高く、やや見上げるほど高い位置に頭がある。

体格はまるで違っているけれど、なるほど髪や瞳の色、顔立ちはアルフレッドによく似ていた。

「初めまして、オーレリア・フスクスと申します。アルフレッドさんにはいつもお世話になっています」

「我が愚弟が迷惑をかけていないか不安に思うところはありますが、今日は万全を尽くさせていただきます。開始の時間まで少しありますので、控え室で改めて、審議の内容について伺わせていただけますか?」

丁寧な口調でそう告げると、エドワードは慣れた足取りで調停院の中に入っていった。

背筋はぴんと伸びており、一歩が大きいため普通に歩いていてもかなりの速度が出る。慌てて後ろを追ったものの、フロックコートに身を包んだウォーレンが隣に並び、小声で「ゆっくりで大丈夫」と告げた。

「エドワードさんはせっかちで、いつもあんな感じなんだ。先に行って待ってるから、ゆっくり行こう」

今日の靴はフォーマルな分やや窮屈なので、そう言ってもらえるととても助かる。エスコートのために肘を出してくれたので、ありがたく掴まらせてもらうことにした。

「ウォーレンも、今日は来てくれてありがとうございます」

「いや、こんな時のために俺がいるくらいだし、折角の機会だから、うんと頼ってほしい」

ウォーレンとの婚約は、彼にとっては厄介な縁談を避けるためのものであり、オーレリアにとっては面倒なトラブルを回避するための、互いに利害のある割り切ったものという前提だった。

だがそれは、まだ若く独身のオーレリアが商会の代表者という地位に就くのにまとわりつく様々な問題に対する、いわば虫除けのようなものであり、オーレリアの個人的な友人の問題に彼を駆り出すのは、少々行きすぎな気もしてしまう。

「あ、言葉が悪かった。こんな機会でなくても、うんと頼ってほしい。オーレリアには世話になりっぱなしだから、少しは恩が返せる機会がほしいと言うか……いやそれ以外でも、役に立てることがあるなら何でも言ってほしいけど」

「恩ですか?」

自分の方こそウォーレンに世話になりこそすれ、恩義に感じてもらえるようなことをした覚えはない。

首を傾げると、彼は何故か狼狽したような顔になり、ああ、うんとぶつぶつと呟くと、あさっての方向を見てしまう。

「その、一応婚約者だし、オーレリアの問題で、無関係なことはないというか」

ウォーレンとの婚約が偽装であることを知っているのはお互い以外は、オーレリアの後見人であるレオナとパートナーのアリア、そして仲介してくれたエレノアの五人だけだ。

黄金の麦穂のメンバーや親しい人たちは、なんとなく察しているかもしれないけれど、それについては触れないでいてくれている。

ここには他に人も大勢いるし、それに触れるわけにはいかないのだろうけれど、「友達なのだから頼ってほしい」と言ってくれているのは、なんとなく伝わってきた。

「……ありがとうございます、ウォーレン」

「うん。今日は万事、上手くいくといいね」

「はい。上手くいったら鷹のくちばし亭で打ち上げをしたいので、ウォーレンも来てください」

「勿論。楽しみだ」

「はい」

こうして隣にいてくれて、楽しい未来のことを話しているだけで、調停という場への緊張が和らぎ、きっと大丈夫だと思うことができる。

ただそこにいてくれるだけで、こんなにも力づけてくれる人だ。

やっぱり、もらってばかりな気がする。

「ウォーレンも、何か困りごとがあったら、きっと相談してくださいね。微力ながら、私にできることならなんでもしますから」

「……うん、ありがとう」

不器用な笑みに照れくさく笑い返し、前後で響く足音以外はやけに静かな調停院の中を、奥に向かって進んでいった。