軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

209.大切なものと日常

地上に戻ると、中天近くまで昇った太陽がやけに眩しく感じられた。

ダンジョンの中はずっと明るかったのに、太陽の光はともすれば刺さるように強く、明るさの質がまるで違って感じられる。

中にいる時はあまり意識しなかったけれど、空気の軽さも中と外では違っているようで、スーッと体の中に酸素が染み渡ってくるような気がした。

「オーレリア」

目を眇めて手で目元を光から隠していると、ウォーレンに声を掛けられる。

「これから塔の中の見学の予定だったけど、顔色が悪い。拠点まで送っていくから、見学はまた今度にしたらどうかな」

「ええと……」

ダンジョン探索二日目は、第四階層で朝食を摂った後はゆっくりと来た道を戻って午前中のうちに地上に戻り、その後は塔結晶をくり抜いて作っている塔の中を見学する予定だった。

塔の二階部分は冒険者相手の商売をしている者達が露店を多く開いていて、ちょっとした探索用の道具が売っていたり、付与術師が切れてしまった【防水】や【軽量】を掛けてくれるのだという。

東区で依頼するのに比べると二倍近い料金を取られてしまうそうだが、それでも万全でない状態でダンジョンに潜ったり、探索の成果をひどく重たい思いをして街に運ぶよりは、ここで付与を掛けてもらうことを選ぶ冒険者の方が多いそうだ。

その他にもやや買い叩かれる傾向があるが、戦利品の買い取りをしてくれる店舗などもあるらしい。

その上の階にはギルドが管理する簡易の宿泊施設があったり、食堂があったりと、冒険者のための施設が揃っているのだという。

ダンジョン用の浄水器とミズベタの研究施設もこの中にあり、開発に関わった者として見学できるのを楽しみにしていたけれど、昨日のことがあってからずっと気持ちが落ち着かない状態が続いていて、確かに何を見ても身が入らないことは明らかだった。

「でも、元々の予定ですし」

「ダンジョンの塔の中は、冒険者でなくても自由に入れるんだ。治安はいまいちだからオーレリア一人で行くのは勧められないけど、体調が良くなったらいつでも俺が案内するから」

ウォーレンが、とても自分を気遣ってくれているのが伝わってくる。

ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちが半々で、何と言っていいのか迷ってしまった。

いつもの自分ならば、多少の無理はしても予定を変更させる方が気持ちの負担が大きく感じられて、大丈夫だと言い張っただろう。

けれど今は、我ながら良くない状態である自覚もあった。こんな調子で見学を続けてもっと大きな迷惑をかけてしまったら立ち直れないし、何より同行しているカイラムに迷惑をかけてしまう。

――それに、もし、塔の中にも術式が書かれていたら。

昨日のセーフエリアのことは衝撃が強すぎて、今となっては何かの文様を見間違えてしまったのかと思うくらいだ。

そう考えて、我ながら現実逃避をしているなと思う。

この世界に生まれ変わってから十九年が過ぎたけれど、前世で使っていた言葉は付与魔術の術式として今世でも繰り返しなぞっていたため、そうであるかないかははっきりとわかる。

もし塔の中で術式を――前世の言葉を見てしまったら、とても冷静ではいられないだろう。

昨日だってウォーレンがすぐに迎えに来てくれて、何くれとなく声を掛けてくれたからなんとか持ち直すことができたくらいだ。

――今は、ダンジョンから離れて気持ちを落ち着けたい。

これまでも強い動揺を感じて、どうしていいかわからなくなったことは何度かあった。その度にオーレリアを支えてくれたのは、そばにいる親しい人たちの気配や気に掛けてくれる言葉だったり、彼らに心配を掛けたくないというなけなしの強がりだったりした。

今回も少しここから離れて、ウォーレンと話をしたり、アリアの「お帰りなさい」を聞けば、きっと気持ちが落ち着くだろう。

「迷惑だとは思いますが、そうさせてもらってもいいですか」

「ああ、勿論。少し待っていて、カイラム殿下に先に戻ると伝えてくるから」

「さすがに私からも、お詫びを言わせてください」

ウォーレンがここから自分を連れ出して、あの安心できる拠点に連れて行ってくれる。現金だけれど、そう思うだけで少し気分が楽になった気がする。

ウォーレンにエスコートをしてもらい、地上に出てから少し離れたところでセリムと共に塔を見上げながら何かを話しているカイラムの元に向かう。

「殿下、見学の途中ですが、オーレリアが少々体調を崩してしまったため、先に帰すことに致しました。私以外のメンバーが引き続き護衛とエスコートを務めさせていただきますので、先立っての退出をお許しください」

「大丈夫なのか? オーレリア嬢」

「はい、慣れない環境で少し疲れが出てしまったようです。とても気を遣っていただいたのに、申し訳ありません」

「こちらは気にしなくても構わない。地上には魔物は出ないのだろう。エスコート役としてジェシカ嬢を残してくれれば、オーレリア嬢の警護についてくれても構わないが」

「このまま自宅に戻るだけですので、それには及びません。お心遣いをありがとうございます」

深々と頭を下げて礼をすると、カイラムもそれ以上は言わず、気をつけて帰るようにと声をかけてくれた。

それにほっとして、ウォーレンが差し出してくれた肘に手を掛けると、ギルドが用意してくれた馬車までエスコートしてくれた。

「少し体調を崩してしまったみたいだ。あまり揺れないようにゆっくり移動してくれ」

そうして、馬車に乗ると窓を薄く開けてくれる。少し涼しい風がくるくると馬車の中を走っているのに気が付いてウォーレンに視線を向けると、悪戯がバレた子供のような表情を浮かべられた。

「体調がよくない時は刺激は避けたほうがいいけど、窓を閉めていると空気がこもるし、少し風を循環させているだけだから」

「すみません……風、気持ちいいです」

髪を揺らさない程度のささやかな、けれど冷涼な空気の動きが心地いい。ウォーレンの気遣う気持ちが伝わってきて、ありがたいような申し訳ないような気持ちだ。

「オーレリア、気分が悪いなら拠点に着くまで眠っていてもいいよ」

「いえ、眠くないので大丈夫です。もしよかったら何か話をしませんか」

「オーレリアがそうしたいなら、もちろん。どんな話がいい? ダンジョンの話はしたくないかな」

単なる体調不良ではなく、ダンジョンの中で何かがあったのだとウォーレンは察しているのだろう。

それでも踏み込んで来ない優しい距離感にほっとする。

きっと今、何があったのかと問い詰められたら、言わなくてもいいことまで口にしてしまいそうな気がする。

そうならなくてよかったと、心から思う。

「探索自体は、楽しかったです。見たことのない景色が見られましたし、月下桃やテノヒラダケは本当に美味しくて……ダンジョンの中であんなに美味しいものが食べられるなんて、思いませんでした」

気持ちはそぞろだったけれど、バターでじっくりとソテーしたテノヒラダケはキノコなのにクリーミーな味わいで、後味に少しナッツの風味も感じる何とも言えない美味だった。

歯ごたえはややねっとりとしていて、まるで上等な牛肉を丁寧に焼いたステーキのような感触で、バターの風味と程よい塩気がマッチして、評判に違わずというところだ。

もし地上でも食べられるなら、とうに取りつくされてしまうのではないだろうか。

「月下桃はたくさんあるし、拠点に戻ったらみんなでまた食べよう。オーレリアは塩漬けにしたいんだっけ」

「はい、うまくいくかはわかりませんが」

「オーレリアのことだから、きっとものすごく美味しいものができるんだろうな。俺もひとつもらっていい?」

「もちろん、一つと言わずたくさん食べてください」

とは言え、うまくいけば梅干しもどきができるのではないかと期待しているだけだし、前世でも梅干しはとても好き嫌いが分かれる食材だった。

前世では夏バテを感じると、一粒の梅干しと熱い緑茶をすすっていたけれど、この世界で全く梅干しに馴染みのない人が食べて美味しいと感じるかはわからない。

毒になるものでもないし、一つ試してもらうぐらいは構わないだろう。

突然ダンジョンで術式と同じものを見て、あんなに動揺したのに、前世で好きだった食べ物を再現することには抵抗がない自分がなんだか不思議だった。

考えてみれば、付与術そのものがそもそも謎だらけなのだ。

なぜ術式は漢字なのか。どうしてなぞるだけで効果を得ることができるのか。

前世の記憶を持って生まれたのは自分だけなのか。この世界と前世はどのような関わりがあるのか。

何もかもわからないことだらけなのは今更だ。そう思うとなんだか開き直ったような気持ちになることができた。

「少し、落ち着いてきました」

怖いと感じるのは、それが自分ではどうにもならない、理解できないことだからだ。だからせめて、自分が何を怖がっているのかきちんと整理して、納得して、そしてどうにもならないことは思い悩んでも仕方がないのだと割り切るしかないのだろう。

どのみちオーレリアにとって、大切なことはもう決まっているのだから。

「それならよかった。でも無理はしないで」

「はい。拠点に戻ったら楽な服に着替えて、今日は一日だらだらしようと思います」

「その調子だ」

ウォーレンが笑ってくれて、それに笑い返す。

馬車は東門から東区に入り、そのまま中央区へ続く大通りを進む。ウォーレンがゆっくりと言ってくれたおかげで馬車の振動に酔うこともなく、夕べあまり眠れなかったこともあって少しうとうとしている間に拠点に到着していた。

「荷物が多いから、中まで運ぶよ。予定よりだいぶ早く戻ったからアリアさんも驚くだろうし、一応簡単に説明もしておいた方がいいと思う」

「何から何まですみません」

そんなことを言い合いながら拠点のドアを開く。アリアとともにロゼッタとノーラが留守番をしてくれているので鍵は掛かっていなかった。

「オーレリア!? 随分早かったんですね」

「あ、アリア?」

ドアの開いた音に驚いた様子で振り返ったアリアに、オーレリアも目を見開いてぽかんと口を開く。

よく裾が翻るふわりとしたワンピースは、何度かアリアが着ているのを見たことがあったけれど、今は太ももの辺りで裾を結び、長袖は肘のあたりまでまくり上げられている。

おしゃれなアリアらしくない着こなしだし、何より使い古したモップを握っているのが、いつも貴族の御令嬢らしく優雅に振る舞っているアリアに似つかわしくない。

「ええと……大掃除をしていたんですか?」

「いえ、これには事情があって……!」

オーレリアの後ろにウォーレンが立っているのに気づいて焦ったように裾を直しているアリアに、事情とはなんなのかと聞いていいものか一瞬迷ってしまった。