軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第58話 交渉の場(後半)

アシュリーが提案した内容は、こういうことだった。

合同儀礼の席次を、一件ごとにヴァルディア式とカリアス式を交互に採用する。どちらかの慣習を優先するのではなく、その都度どちらの形式で進行するかを事前に書面で確認し、当日の運営は双方の確認を経てから行う。形式を切り替えることで、どちらの国も一方的に譲っているという感覚を持たない仕組みにする。

「……それは、こちらの慣習を理解した上での提案か」

使節の長がアシュリーを見た。声に硬さはなかった。ただ確認するような言い方だった。

「はい」

アシュリーは答えた。

「カリアスの慣習については、こちらに記録しています」

準備していた紙を差し出した。三枚だった。最初のページには席次の基本原則を書いた。序列の判断基準と、その根拠となる慣習の記述を並べた。二枚目には過去の式典で問題になった具体的な経緯と、それに対応する配置案を書いた。問題の記述は事実として書いた。責める言い方にはしなかった。三枚目には忌避色と禁忌となる食材の一覧を書いた。全て、四年間の台帳の補記から引き出した情報だった。

使節の長が紙を受け取った。後ろに立っていた二人の使節も、長老格の背後から紙を覗き込んだ。全員で読んでいた。

一枚目。止まらずに読んだ。二枚目。少し長く止まった。去年の式典でのことが書かれているページだった。使節の長は読みながら、隣に座っていた使節の一人と短く目を合わせた。それだけだった。アシュリーはその目の動きを見た。問題の件を確認した、という動きだった。責められているとは感じていないはずだった。事実として書いたからだ。感情を省いて、経緯と対応策だけを並べた。そのことが今、伝わっているとわかった。三枚目まで読んだ。

「よかろう」

使節の長が言った。

「その案で検討する。書面での確認という手順も理にかなっている。形式の切り替えを事前に合意するという形は、こちら側にとっても受け入れやすい」

声が少し変わっていた。交渉の席についた時より、わずかに温度が上がっていた。

ロドリクが頷いた。

「ご検討をお願いします。次回の式典の日程が決まり次第、書記局を通じてご連絡します」

「うむ。期待している」

使節の長が言った。それが最後の言葉だった。

交渉はそこで終わった。見送りの段取りに入った。ヴェルナーが使節団の案内に動いた。アシュリーは一歩引いた場所に立った。使節の長が退室する際、もう一度アシュリーのほうを見た。何も言わなかった。ただ小さく頷いた。アシュリーは目礼で返した。

扉が閉まった。

部屋の中が少し静かになった。暖炉の炎が揺れていた。卓の上に使節が置いていった茶碗が残っていた。ヴェルナーが振り返った。

「……解決しました」

信じられない、という顔だった。感嘆でも喜びでもなかった。起きたことの意味をまだ処理しきれていない顔だった。

「一年以上続いていた懸案でした。それが今日、この場で」

ヴェルナーがアシュリーを見た。

「あなたはこの資料を、三日で作ったのですか」

「台帳に記録があったので」

アシュリーは言った。

「一から調べたわけではありません。補記として残していたものを整理しただけです」

「……補記として残していた」

ヴェルナーが繰り返した。何かを噛み締めているような顔だった。ロドリクが「ヴェルナー、使節団の見送りをお願いします」と言った。ヴェルナーは「はい」と言って廊下に出た。

ロドリクとアシュリーは外に出た。

城館の裏手に、石畳の小さな中庭があった。人気のない時間帯だった。冬の空気が頬に触れた。昼間だったが、北方の日差しは角度が低く、石畳に影が斜めに伸びていた。風がなかった。空気が薄く澄んでいた。

二人は少し距離を置いて立った。どちらも何も言わなかった。

「見ていた、という意味が、今わかりましたか」

ロドリクが言った。

アシュリーは少し考えた。

ロドリクはこの言葉を以前から使っていた。宮廷の儀礼の場で、アシュリーが何をしているかを見ていたと言った。何年分も見ていたと言った。その時はその言葉の重みをよくわからないまま聞いていた。

でも今日、ヴェルナーが「一年以上続いていた懸案が解決した」と言った。台帳の補記から引き出した情報が、外交上の問題を解いた。その瞬間に、少し見えた気がした。

ロドリクは宮廷儀礼の場で毎年アシュリーを見ていた。アシュリーが台帳を整理し、補記を加え、各国の慣習を記録し、誰にも気づかれないまま問題を未然に防いでいたあの仕事を。その価値を知っていた。だから三日で動いた。書類を受け取った日からここへ来ることを待っていたと言った。

「……少しわかりました」

アシュリーが答えた。

ロドリクは何も言わなかった。それで十分だった。

中庭の石畳が冬の日差しを受けて低く光っていた。遠くで馬の声がした。城館の中からヴェルナーが誰かと話している声が微かに聞こえた。アシュリーは空を見上げた。晴れていた。

王都では、こういう仕事の終わりに外に出てただ空を見るということが、なかった。仕事が終わっても次の仕事が始まっていた。台帳の引き継ぎがあり、書記局への報告があり、翌月の式典の準備があった。空を見る時間は、ないのではなく、作らなかったのだと今は思う。空を見ても怖さが消えなかったから、見なかった。

今日は空を見た。特に意味があったわけではなかった。ただ上を向いた。それだけだった。

その夜、アシュリーは初めて、仕事が終わって疲れたのに怖くなかったことに気づいた。