作品タイトル不明
52、大陸間の呪い
「うっひょお〜!! 激レアサンプル来たぁ!!」
そう奇声を発したのは、ヨルだった。
ラゼから持ち帰った黒い毒蜂を渡され、彼女のテンションはマックス。
「ああ、教授がまた自分の世界に……」
その側で頭を抱えるのは、彼女の助手を務めるフレイ。ラゼはちょっとばかし罪悪感に胸が痛んだが、ヨルがそれ程興奮するような大事なモノであるから、それを渡さないという決断は出来なかった。
「ヨル教授」
いつもより少し低い声でラゼが彼女を呼べば、その声色にびくりと声を震わせてヨルが振り返る。
「本題に入りたいです」
「……んんんん。わかったよ……。これを調べて、標本にするのは後にする……」
「そうしてください、と言いたいところですが、偶然にも、それは今回の話のメインと言ってもいいですから。検査しながら話せるなら、それでも構いませんよ」
「ひぇ〜。やっぱり、ラゼは分かってるぅ〜」
自分の性格をよく理解してくれている、この国きっての軍人にヨルは喜んだ。他の男たちは頭が固くて、話をするのも嫌になる。毎回、ラゼが来てくれればいいのにと、思わずにはいられない。
話を聞いていたフレイは、ラゼの訪問に合わせて片付けておいた机の上に、すぐに検査キットを準備した。
ラゼも懐から何やら四角い小さな箱のようなものを取り出し、それを両手で持って真ん中をひねって変形させると机に置く。
ヨルは目を丸くした。
「それは何?」
普段、研究に関すること以外に興味を示さない彼女には、自ら他人に対してそう尋ねることすら珍しいことだ。フレイは常々、ラゼはヨルにとって特別な存在なのだと思う。その調子で、もっと人間らしい生活をしてもらいたいものだ。
「セルジオさんがつい最近作ってくれた、防音装置です。盗聴防止用」
「へぇ。そんな便利なもの、もっと早く作ればよかったのに」
「本当ですよ。早くお願いすれば良かったです」
ラゼは苦笑する。こんなものが作れるならば、半周回って逆に怪しいやり取りや、わざわざゾーン15に行かなくて済んだというのに。
まあそもそも、禁術を相殺する道具があるのに、防音装置がないというのも可笑しな話だった。
「白衣を着た悪魔」のヨル・カートン・フェデリックと肩を並べる奇才――セルジオ・ハーバーマス。
魔石を使った道具を作らせれば、彼の右に出る者はいないと言われる男なのだが、困ったことに面白いと思ったものしか作りたがらない。
そんな彼も、これまた物騒な二つ名を持っていて「死神の玩具屋」なんて呼ばれている。
「あいつ、お願いしたら作ってくれたの?」
「え? まあ、そうでしたね」
「へぇ〜。わたしが研究用に作ってほしいって言った器具は一個も作ってくれないくせに、ラゼのお願いは聞くんだぁ〜?」
苛立ちを隠せないヨル。
「ねぇ、ラゼ。ラゼから玩具屋に頼めない?」
「……お願いするだけなら……」
「やったね。ラゼが可愛くお願いしたら、絶対断らないよ、あいつ。頼んだよ」
作ってもらえるかまだ分からないのに、彼女は「これで研究が捗る!」と嬉しそうに笑った。
本当に魔物や害獣の研究が大好きな人だ。
「さてと。この防音装置、もう動いてるってことでいいんだよね?」
「はい。ちゃんと使用者を設定してあるので、気にせず話してください」
「はーい」
ヨルは毒蜂の検査をしながら。ラゼはフレイが入れてくれたコーヒーを飲みながら。ふたりは本題に入る。
「この前、教会に魔細菌について漏れそうになった件は、やっぱり帝国で行われた魔石の密輸が原因みたいだよ。変異種が見つかった」
「……帝国かぁ。本当、面倒なことばっかりしてくれますね。それくらいちゃんと管理して欲しい……」
ラゼは額に手を置き、盛大にため息をついた。
「バルーダからオルディアナに帰って来る時は、徹底的に殺菌することが義務だけど、それが何故なのか知ってる人が少ないことが問題だね」
「でも、仮に説明して、軍人たちが大陸間を行き来することの安全性を一般人に認められても、それで魔細菌について深掘りされることになったら困ります」
「そこが最大の問題なんだよ。
最悪、軍人は迫害されるだろうね。魔物化する魔細菌に対抗するワクチンを身体に入れてることがバレたら……まあ、混乱は避けられないかな。特に、教会の反応が怖すぎるね」
ヨルはスポイトで薬品を垂らしながらラゼに答える。
ラゼは神妙な面持ちで、再び口を開く。
「……ヨル教授。
浄化の力を持つ子が現れたって言ったら信じます?」
「え? それほんと??」
ヨルは物凄く驚いた表情で顔を上げた。
「今日。というか、今さっき。その魔物化した毒蜂に刺されて重度の『黒傷』が出た男性が、綺麗に治っちゃいました」
「嘘〜。本当に存在したんだ〜!」
ラゼは首肯する。
言わずもがな、フォリアのことだ。
魔細菌は感染力が低いため、滅多に人が魔物化することはない。ただ、感染すると風邪程度に身体の不調を感じ、次第に魔石操作が出来なくなってしまう。死にはしないが、十分、恐るべきウイルスになるのだ。
そしてその魔細菌はバルーダにいる魔物の身体に入ると形が変わってしまう。彼らが持った菌は、ヒトの血と混ざると黒くなる。それを「黒傷」と呼び、ラゼの腹にある傷もそれだった。
黒傷を通して、変異した魔細菌を過量に摂取してしまうと、人間も魔物化することが分かっている。
軍人はその魔物と戦う仕事柄、魔物化のリスクを下げるためにワクチンを打っている。
万が一にも完全に魔物化してしまった場合、今のところ確立された治療法は無く、希望は浄化の力ただひとつだった。
(……カーナ様の言う怪物っていうのは、魔物化のことなのかもしれないな……)
ラゼにはそんな考えがふと頭に浮かんだ。
しかしオルディアナでは、魔細菌は害獣を媒体にして潜伏することしか出来ない。害獣が魔物化するのは極めて確率が低く、こちらの大陸で人間が魔物化することなどゼロに近い確率になる。
先ほどの毒蜂は“超レア”で魔物化していたが、その考察は少し現実的ではない。
そこでコンコンと、扉が叩かれる音がして、ふたりは話をやめる。
側で控えていたフレイが扉を開けた。
「! か、閣下!?」
フレイはその人物に驚きの声をあげ、助けを求めるようにして慌ててラゼを振り返る。
今日も今日とて、麗しい死神宰相閣下ウェルラインのご登場である。
「やぁ。そう身構えなくていいよ。わたしも話に混ぜてもらおうと思ってね」
「……ご連絡くだされば、ちゃんとした席をご用意したのですが……」
ラゼは立ち上がり、ウェルラインにかしこまる。
「ちゃんとした席なんて息が詰まるだけだろう。もちろん無礼講さ。わたしはいないものだと思って話を続けてくれ。ふたりがどんな話をしているのか、前から興味があってね」
彼はお茶菓子まで持参していた。
断る理由もないので、ウェルラインを交えて会話が再開される。
軽く今まで話していたことを説明すると、ウェルラインはその美形に妖艶な笑みを浮かべる。
本当に目に毒な人だ。他人に興味を持たないヨルでさえ、「こういう人間は苦手だ」と目が語っている。
「説明ありがとう。じゃあ、どうぞ続けて」
ウェルラインに微笑まれ、ふたりは居心地の悪さを感じながら話に戻る。
「その浄化が使える子には是非、軍に来て欲しいね。黒傷を浄化できればみんな安心するんじゃない? 脳筋たちも流石に気にしてるでしょ、あの傷のこと。箝口術かかってるから聞けないだけで」
研究室には場違いな人がマグカップを片手に気品を隠せず着席しているが、ここは自分のテリトリーだと主張せんばかりの口調でヨルが話し始める。
「……それがちょっと難しそうなんですよ。彼女の後ろ盾、枢機卿で」
「ええ……。それは厳しいね。
でもどこの国だっていつまでも魔細菌のことを隠していられないでしょ。特効薬があるうちに、庇護を求める形で教会に話をつける方がいいとわたしは思うね」
その通りだと、ラゼも思う。
(でも。そしたら、私が軍人だってみんなにバレる日はすぐに来る。……フォリアとカーナ様は、どう思うかな。私のこと……)
せっかく仲良くなったのに。
気持ち悪がられるかもしれない。
そもそも、この歳で「狼牙」なんて称号をもらっている人間なんて、普通じゃない。正直、自分でも引いてしまう。
十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人、なんていうが、只の人になるにはもう少し歳月が必要だ。
(——卒業するまでは軍人だってこと、バレたくないなぁ)
彼女はすぐには答えずに、コーヒーが入ったマグカップを見つめた。
すると横から手が伸びてきて、頭にぽんぽん、とそれを乗せられる。
彼女は心底驚いてその人を見た。
「君には色々と無理をさせてるね。オーファンくん」
「え――」
ウェルラインの優しい表情に、ラゼは息を呑む。
「息子の友人である君を、頼りすぎだと妻から怒られてしまってね。……すまなかった。
最初は優秀な君を子供扱いしないようにしていたのだが、いつの間にか甘えてしまっていたようだ」
「え、い、いえ……」
目の前の出来事が信じられず、彼女はうろたえた。だが、頭の端では最近、急激に仕事の量が減ったのはこのせいか、と納得する。
「この件は任せてくれ。本格的に動き出すのは、その子が学園を卒業してからだ。
いい意見が聞けて良かった。ありがとう」
ウェルラインはにこりと笑って席を立つ。
フォリアの名前は出していなかったのだが、彼には色々とお見通しのようである。
ウェルラインが部屋を去って行くのを見届け、ラゼは呆然として撫でられた頭に手を置く。
「……死神宰相も人間なんだねぇ〜」
ヨルの声はどこか遠くに聞こえた。
「――全くですよ……」
ラゼはぽつりと呟く。