軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

9:師匠のお仕事

テオドルスとウルヴァナが視界から消えたあと、ルルディは濁ったままの湖を睨んでいた。

図鑑でしか見た事ない魔物。紫色の瘴息を撒き散らし、生物も植物も死なせてしまう。大蛇のあの毒息をまともに喰らっていたら数刻で死に至ると云う。

魔獣の持つ瘴気の息。それは先ほどの大蛇のような毒の他に、麻痺や石化、腐食のような特殊な攻撃もある。〈解毒士〉がそれらの状態を治す。

だから魔物退治では〈聖者〉は居なくても〈解毒士〉の同行は欠かせない。

ルルディは瘴気の回復治療だけでなく、聖女並みの治癒力を持つ。だから〈解毒士〉の上位互換として〈解呪士〉と呼ばれる意味もあるのだ。

「おかしい……。あれほどの大きさの魔獣が幼獣からここで育ったわけがない」

魔物がいれば、絶対誰かが気がつくし、そもそも魔物が棲めない水質になっている。

「山から……? 川を下って? ううん、不自然だわ」

ぶつぶつ呟いていたルルディだったが、ふと思い付いて、湖の濁水を確認しようと手を伸ばす。

「触れちゃダメだ!」

いきなり背後から声を掛けられて驚いたルルディは足が滑り、危うく湖に落ちそうになった。

「危ない!!」

手をひかれ、その勢いで声の主にぶつかった。

ルルディは、助けてくれた相手を見上げる。まだ若い男性だった。

「あ、ありがとうございます」

「いや、俺も急に声を掛けて驚かせてごめん。でも異変には危険があるかもしれない。無闇に触れちゃいけない」

赤い髪と緑の目の男は、人懐っこい笑顔で「俺は衛生管理局のロック・バーナーだ」と名乗る。

「テオドルス様から緊急連絡が入ったんだ。弟子が残っているから転移ができる者が至急行ってくれと」

師匠は過保護だ。ルルディだって近くの町くらいには転移できるし、そこから馬車を拾って帰るつもりだった。

転移は短距離でも結構な魔導力を持っていかれるから、あまり使いたくない。それに彼女は馬車から流れる景色を見るのが好きなのだ。

「『水に触らないように釘を刺すのを忘れた。きっと調べようと無防備に手を突っ込む』と彼が言っていたけど、その通りだった」

専門家が来る前に勝手な行動を取ると危惧していたのだ。ルルディが好奇心旺盛で、湖が汚染されてないか調べようと思ったのを見透かされている。大抵の毒素は自分で分解無効化できるから心配いらないのに。

「ちょっと下がって」

ルルディに指示すると、ロックは何やら平たい長方形状の道具を湖に差し込んだ。複雑に幾つも目盛りが付いている魔導具のようだ。

「それは何ですか?」

初めて見る道具にルルディは興味津々である。

「水質や土壌を調べる計測器だよ。俺たち衛生管理局は、定期的に国中の川や池や土壌の質を数値に表して記録するのも仕事なんだ」

なるほど。フーゴがいつぞや言っていた、『魔導士は感覚的な判断で自己完結する癖がある。だから他人に分かるように記録に残す調査は他の国より細かい』とは、こういう事なのだろう。

魔導士は事象を“これはこんなものだ”と判断してしまいがちだ。しかしそれはあくまで自分の見解でしかない。“人によって魔導力の差があるので知見も異なる”という事実を失念する。

「やっぱりおかしい……。水質が変化している。今までと違う水藻が発生しているし。これは水脈のせいじゃない……」

「どういう意味ですか?」

ロックの独り言にルルディが反応する。

彼は彼女の存在を忘れて仕事に没頭していたらしく、「わっ、びっくりした!」と、身体をびくつかせた。

「うーん……、建国時に大掛かりな魔獣駆除をして、島の魔獣は絶滅しているはずなんだ。それは知ってるよね」

「はい」

「だから今は各地の湖も川も普通に淡水生物しかいない。単に毒を持った淡水魚や両生類もいるけど魔物とは別分類だ」

ルルディは再び頷く。魔物とは魔導士と同じく生まれつき魔導力を持つものだ。だが身に備わった攻撃魔法を本能で使うだけだから単純である。

アドール教が魔導士を蔑む最大の理由だ。すなわち天から授かった神聖力と違い、魔導士は魔物と同じ力を根源としているから卑俗な存在なのだと。

しかし魔導力の実態はもっと複雑で、魔物が使用するのは生態に合った水、大気、大地の自然エネルギーと言われている。自然界に普通に存在する物を上手く体内に取り込んで有害物質に変換しているとの説が、最近の魔導協会の主流だ。

更に人類が魔人と呼んで恐れている種族は、大地の女神クレニーヴァのエネルギーより、深い地下にある原初熱エネルギーを魔導力の源にしている。奈落の男神フェダーラの力らしい。

「魔物が生きられない環境になっているのに、魔大蛇がいるのは不自然ですよね?」

ルルディは違和感を尋ねる。

「ああ、外から持ち込まれたとも考えにくい。港の上陸審査で引っかかるはずだ。どちらにせよ精密調査には〈地脈士〉の協力が必要だ。一度帰るけど君も一緒だよ」

ロックはひらひらと魔法陣の描かれた紙をルルディに振って見せた。

使い切りの場所指定専用の転移陣である。彼は自力転移できないらしく、緊急時の必需品のようだ。

「テオドルス様に連れ帰ってくれと頼まれているからね」

「はい、分かりました」

馬車でのんびり帰るのを密かに楽しみにしていたルルディは、ちょっぴり残念であった。

ロックに連れられた転移先は当然と言うか、衛生管理局の調査室だった。

「あれ? 師匠」

意外な事にテオドルスが待っていた。

「ウルヴァナさんはどうしているんですか」

つい尋ねると彼は不機嫌そうに目を眇めた。

「大丈夫だろう。私が側に居てもしょうがない。密着して寄り添っているように見えたらしく、医務局で好奇の目に晒されて不愉快だった」

いつものテオドルス節である。彼はウルヴァナが苦手だ。妹弟子ではあるけれど、魔導力の方向性が違うためそこまで親しかったわけでもないのに、周囲には特別テオドルスに目をかけられているかのような振る舞いをしている。一時は恋人だなんて噂も出たから、誤解されないように物理的に距離をおいている相手だ。

「それより君は勝手な真似しなかっただろうね。最悪、湖の中に入るんじゃないかと危惧したけど、間に合ったようだね」

ルルディが濡れていないから言ったのだろうが、「流石に入りませんよ。手を付けるくらいです。毒素があっても私なら解毒できますし」と彼女は反論する。

「慎重に行動しろと言っているんだ」

「無鉄砲なつもりはありません」

あのテオドルス魔導士に口答え出来るなんて、流石に師弟関係は違うなと、調査室の調査員たちはひっそりと感心していた。

「……えっと、それでですね……やはり〈地脈士〉に詳しく湖を視てもらうつもりなんですが、ウルヴァナさんにお願いするのは、どうでしょうか……」

テオドルスの様子を窺いながら、ロックが言葉を選ぶ。

「やはり水脈じゃなくて水質自体が妙だったか。彼女ではなく、魔獣退治の経験もある水脈に強い熟練の〈地脈士〉を手配しよう」

テオドルスは魔導島の自然異常に関しての調査の副指揮官だった。

「……知りませんでした。師匠、まだ若いのにあれこれやらされすぎじゃないですか? ブロウ様に使われすぎでは」

ルルディは呆れた。テオドルスはあちこち顔を出して忙しい身だなとは思っていたが、まさか責任者的な立場にいるとは年齢的に考えなかった。

「いえいえ! テオドルス様は特級魔導士ですよ!? 大局的な視野を持たれる優秀な方だからこそ任されているのです!」

失礼なルルディの言葉に驚いた管理局長が慌てて否定する。

「まあ、師匠が凄い魔導士なのは違いないんですけど」

「……君って“師匠師匠”って慕ってくれている割には、私がどんな仕事をしているかとか興味ないよねえ」

テオドルスは深い溜息を吐きながらルルディを見下ろした。