作品タイトル不明
第22話 2人の部屋
「あれ、今日買った本をお読みなんですか?」
「おや、おかえりメリンダ」
シリル様はベッドの中で読んでいた本を閉じて、こちらを向いた。
湯浴みを済ませて部屋に戻ってきたけど、う〜ん、シリル様が同じ部屋を使っているこの事実…!
慣れない、照れる、叫び出したい。
できることなら、一回マーサに抱き締めてもらって落ち着いてから部屋に来たい…。
自分から引っ越しを提案しておいて、この有り様なのだ。
シリル様も自分より緊張している人をいつも見ることとなり、部屋でくつろげるようになるのに時間はかからなかった。
緊張がお役に立ったのならよかったですよ、私はまだ慣れないのに…。
そそそ…っと近寄っていって、ベッドの前に立った。
シリル様が目を細めながら、布団をめくった。
「おいで、メリンダ」
「…私、いつになったら慣れると思います?」
「ふふふっ、いつまでも慣れなくても可愛いから、私としては困らないけど」
「私ばっかり情けないところ見せてる…」
「そんなことないさ」
つい子どものようにいじけてしまうが、それも前ならシリル様には見せなかったことだ。
シリル様を困らせたくないと気持ちが通じる前は思っていたけれど、今は少し違う。
こんな態度を取っても、シリル様なら呆れないと知っていて、見せてしまうのだ。
そして、できることなら受け止めてもらいたくなる。
私も随分、我儘になったなぁ…。
シリル様は、元々部屋に物が少なかったのもあって、大事なものは全部書斎に置いて、あっという間にこちらの部屋へとやってきた。
でも最初の日は、お互いに緊張しすぎて、手も繋げなかった。
ただ隣で眠っただけだったけど、今までより狭いベッドが何よりも嬉しくて、体の隅々まで幸せが行き届くようだった。
次の日、起きたらシリル様がいる朝を迎えて、しあわせの形っていっぱいあるんだと思った。
寝ぼけたシリル様を見るのが、1日の中で1番好きな瞬間かもしれない。
当主の部屋と夫婦の寝室が空っぽだというのに、お祭り騒ぎの如く使用人が喜ぶ家は、我が家くらいなものだろう。
フランクが目頭を押さえて涙を堪えていたのを目撃した時は、私まで泣きそうだった。
部屋引越し日の夕飯は、私が嫁いできた歓迎の日より豪華だった。
フェルナンド様もその夕飯を見て苦笑気味だったけれど、よかったと胸を撫で下ろしていた。
この家族は、やっぱり温かいなと思ったのだった。
シリル様は私の腕を掴んで引くと、そのままそっと抱き締めた。
部屋を同じにして以来、シリル様は私を腕の中に閉じ込めるようになった。
慣れないっ…!
「本、読み途中なのに、いいんですか…?」
「メリンダが来るまでの暇つぶしだからね」
息がかかる距離にいることを自覚して、湯上がりとは別に火照っていく。
それなのに、シリル様は私の髪に顔を埋めるから容赦がない。
「シリル様、くすぐったいです…」
「嫌かい?」
「そんなわけ、ない、ですけど」
「やっぱりメリンダは、私に甘いねえ」
夜だからか、いつもよりも低く掠れた声が、余計に私の脈を速くする。
こうやって、触れる距離にいることが当たり前になってきた。
座っているシリル様にもたれるような形で、後ろから抱き締められているから、顔は見えない。
でも、機嫌がよさそうな感じがする。
シリル様が不機嫌な時なんてないけどさ。
私も腰に回った手の上に、自分の手を重ねた。
「今日はありがとうございました」
今日のことを思い出すと、なんか賑やかだったなと思う。
王女殿下とルイーゼ様とお茶していたはずなのに、いつの間にか王宮図書館にも、トウガキ古書店にもいたし。
楽しかったなあ。
「んー?何かしたかな?」
「隣国の本、一緒に探してくれて嬉しかったです」
「大収穫だったからねぇ」
「はい!私も読むのが楽しみですっ!」
「私も買ってきたからおあいこさ。楽しかったよ」
「私もっ、すっごく楽しかったですっ!」
一日の終わりに今日あったことを話す。
それは前と変わらないはずなのに、ただハーブテティーを一緒に飲むだけだった頃とは違う。
変わっていくことは少しだけ怯えてしまうけれど、変化した先にある新しい形を眺めて、これもいいなって思える自分がいる。
今まさにシリル様の腕の中にいるのも新しい形だけれど、心から安心できる場所になってきた。
そわそわはするけども。
それでも、これまでと充足感が桁違いだな、とわかる。
しあわせの上限知らずになって、もっと我儘になっちゃったらどうしようね。
私は後ろにいるシリル様の肩あたりに自分の頭をくっつけた。
こんなに近いのに、ちょっとまだ遠いって思っちゃうのはなんでだろう。
どれだけ近づいても、体の境目というものはあるんだと実感する。
シリル様の胸板と、私の背中が、自然とくっついている。
贅沢ねえ、メリンダ。
寄りかかるように擦り寄ると、同じだけの頬擦りが返ってきた。
うっ、照れる…。
「メリンダ、一つ頼みというか、提案があるのだけれど」
「なんですか?」
「うーん、嫌だったら断ってくれていいのだけれど」
珍しく前置きが多いシリル様の言い方に、どうしたのかと不思議に思った。
私は首の向きを変えて、シリル様の顔が見える位置に動いた。
思わず心配そうに覗き込んでしまったからか、シリル様は緩やかに笑みに変わっていって、私の髪を梳いた。
丁寧に扱われる自分の髪の先が揺れて、毛先も大事なものに見えてくる。
シリル様は照れたように、あの少年の笑みを見せた。
「よかったら、結婚式をしないかい?」
「え?」
想定外の言葉に、一瞬何を言われたのかわからなくなった。
えっと、結婚式って、フェルナンド様とルイーゼ様の結婚式じゃなくて?
「ふふ、メリンダと私のだよ」
どうやら私の考えていることはお見通しだったらしい。
「やっぱり、結婚式をやらないとまずかったですか?」
「いや、そういうわけじゃないよ」
「だったら…」
「ただの私の我儘なんだ」
シリル様はほんのり強張った声が聞こえて、じっと見つめていたら、おでこにキスをされた。
「メリンダのウェディングドレス姿が見たくなってしまったんだよ」
はにかむシリル様にきゅーっとなって、同時にむむむ…、となっていく。
私のドレス姿って大丈夫なのかな…。
ルイーゼ様みたいに綺麗に着こなせる自信ないんだけど。
まあ、でも、シリル様が見たいって言ってくれているならいっか。
前の私なら、「私にはもったいないですし!」くらい言いそうなものだ。
ふふ、シリル様に私そのものにまで、水やりをして育ててもらったみたい。
私はシリル様の紫色の瞳を見つめた。
「じゃあ、ルイーゼ様たちの結婚式が終わったらにしましょうか」
「いいのかい?」
シリル様が確かめるように訊くのが可愛くて、私はしっかりと頷いた。
私もシリル様の髪に触れて、安心させたくなった。
「小規模でもいいですか?ルイーゼ様の準備を手伝っていると、あんなに大きいのは自分でできる気がしないので」
「ああ、それなら身内だけを呼ぶ式にしようか」
「いいですね、それなら私も安心かもです」
「そうか、よかった。ありがとう、メリンダ」
嬉しそうにぎゅーっとされたから、これぐらいお安い御用ですよという気分になる。
うーん、かわいい…。
マーサたちも喜んでくれそうだなぁ。
あと、ルイーゼ様ね。
絶対、喜んでくれると思う。
お姉様たちにも招待状を出して、久しぶりに会えるか訊いてみようかな。
「楽しみだな」
シリル様の声が、首の辺りから聞こえて、じわああっと何かが込み上げてくる。
さっきキスされたおでこを触って、前にも同じようなことがあったなと思い出す。
そうだ、前にもおでこにキスされたんだよ。
あれは、シリル様がお酒を飲んでいらして、この部屋から見送る時に…。
「シリル様って、前にもおでこにキスしてくれたことありましたよね」
ポロッとそう言うと、シリル様は顔を上げて目をパチパチさせた。
心底、驚いた顔をしている。
「いつ…?」
「えーっと、シリル様がお酒を飲まれていた日に。次の日、私が盛大に寝坊して、…あっ、そうです!旧古代語の手紙の日の、前の夜です!」
「え」
シリル様は固まったあと、複雑な表情に変わっていった。
あれ、言わない方がよかった?
あの時はじめてキスされたからびっくりして、あんまり寝られなかったんだよね。
そういえば、なんであの日はキスしてもらえたんだろう。
シリル様は、目が行ったり来たりしながら、何かを思い出すようにしていた。
「…………どうやら、私は自分が思っているより、堪え性のない人間だったらしい」
「シリル様?」
「あの頃には、もう自分の気持ちを見ないようにしていた、らしい…」
それだけ言って、私の肩に顔を埋めてしまった。
耳が赤くなっていくのが見えた。
今日は、お酒飲まれてないのに。
それ、照れているんですか!?
えっ、自覚なく、キスしちゃったってことでいいですか。
お酒でふわふわほわほわしてたもんなぁ、そういえば。
うん、これは私の都合いい解釈とかじゃないと思う。
私の夫、可愛すぎて心配になるのですが。
「……すまない、メリンダ。あんまり覚えていなんだが、気持ちが先走っていたみたいだ」
「シリル様もそういうことあるんですね」
「酒は飲まないことにするよ」
「くふふ、別に飲んでもいいと思いますけどね」
「…ダメだよ、メリンダに呆れられたら困るよ」
「呆れませんよ、びっくりしただけです」
私の言葉に、シリル様の体の力が抜けるのが、触れている部分の全部から伝わってきた。
なんだ、そうだったのか。
私たち、お互いに想いを秘めすぎていたんですね。
ほんと、隣国の愛の示し方を見習った方がいいわ、私。
「私、思っていたよりも前からシリル様に好かれていたみたいですね」
「…うん、好きだよメリンダ」
「私も大好きです、シリル様」
どちらともなく顔を見合わせると、シリル様が躊躇いがちに顔を近づけてくるのがわかった。
そのまま、目を閉じるのを忘れている間に、唇がふわっと触れ合った。
私よりも冷えている唇のわずかな感触がして、離れていくのを見守ってしまった。
何も言わなかったけど、私は今度こそ瞼を閉じた。
ちょっとだけ間があって、それからまた柔らかい感触がした。
さっきよりもずっと押し当てているとわかる。
ふにふにしてて、私よりも薄くて、湿っていた。
目を閉じているはずなのに、目の前がクラクラしてくる。
私、唇カサカサじゃないかな…。
マーサにもっとリップオイルを塗って貰えばよかった。
こんな時でさえ、色気のないことを頭に掠めながら、シリル様の寝間着を掴んだ。
それが合図だったかのようにシリル様の唇が動いて、優しく私の上唇を喰んだ。
思わずビクッと体が揺れて、シリル様が私の頭をあやすように撫でた。
甘噛みよりも弱くて、控えめで、だからこそ余計に意識がそこにいってしまう。
息ができなくなるようなキスじゃない。
それでも、シリル様の息で湿度が上がっていきそうな。
まるで私が触れただけで壊れてしまうものかのように、どこまで優しさしか残らないシリル様みたいなキスを与えられて、ふわふわなのにしびれるようで。
体の芯がここだとわかるほどに、熱くなった気がした。
長い時間そうしていたわけじゃないのに、ずっとそうしていた気もする。
離れていく気配とともに、ゆっくりと瞼を上げると、紫の目を視線がかち合って、今度こそ顔が赤くなった。
「ふふ、赤い」
シリル様は見入るように私を見ながら、指の背で私の頬を掠めた。
甘くて、倒れそうだ。
「だって…」
「うん」
「シリル様、わかっていてその顔をしているんですね…?」
いたずらを覚えた子どもみたいに、ニコニコしている。
余裕のある大人、ずるい…!
「うん、そうだね」
「ずるいんだぁ!」
私はそれだけ言うと、体ごと振り返ってギュッと抱きついた。
シリル様の胸におでこをぐいぐいくっつけて、自分の顔を隠した。
くすくす笑う声が上から降ってくるから、回した腕の力を強めてせめてもの抵抗だ…!
私の押していない力に流されるように、シリル様はベッドへと沈んでいく。
一緒にベッドに横になって、そこに相手がいる重みを感じていく。
同じベッドで眠るようになったから知ったことだけど、これがとても落ち着くのだ。
「私も早くもっと大人になりたいです…」
「ちょっとずつでいいんだよ」
「追いつきたいのに、ですか?」
「駆け足で来られたら、すぐに追いつかれてしまうよ」
シリル様は私の髪を耳にかけて、優しく笑った。
笑うたびに、シリル様の肺の動きが伝わってきて、なんか嬉しくなる。
「もう少しだけ、私に年上らしいことをさせておくれ」
柔らかい声音に、胸の奥がくすぐったくなる。
もし私が追いついたとしても、きっと甘やかしてくれるだろうに、そんなことを言うんだから。
「じゃあ、私も一つ我儘を言ってもいいですか?」
「ああ、いいよ」
「嫌だったら断ってほしいんですけど」
「なんだい?」
「あのですね、ルイーゼ様が結婚されたら、この家に来られるじゃないですか」
「そうだね」
「そうしたら、きっと新しい家族の肖像画を描くことになりますよね」
そこまで言って、私は顔を上げた。
シリル様の表情がどうか曇りませんようにと、そっと願う。
「それまで倉庫にある肖像画をもう一度飾ってもいいですか?」
「…メリンダ」
「ルイーゼ様が嫁いでいらっしゃるまでの間なので、1年もないと思うんですが。どうですか?」
じっと見つめた先の紫色がひどく揺れているのが見えたが、表情そのものは困っていなかった。
ただ、どういう顔をしていいのかわからないといった感じで。
シリル様から嫌悪感も感じなかった。
「シリル様の家族が、家の中で見られるところにあったら、嬉しいなというだけなんですけど」
さらにそう言うと、気が抜けるようにフッと息が漏れるのが聞こえた。
戸惑ったように口元を緩ませながら、シリル様は泣きそうに笑った。
やっぱりいつものように私の頭を撫でながら。
「…ありがとう、メリンダ」
「もちろん、無理にとは言わないんですけど」
「いいや、メリンダがいいならそうしよう」
シリル様の手を辿って、互いの指が交互になるように私から手を繋いだ。
体温を確かめるように、ぎゅっと握る。
「大丈夫そう、ですか?」
「ああ、だってメリンダが隣にいてくれるだろう?」
「手を握って離しません!」
「ははっ、心強い。…それに、そろそろ向き合わないと、ヴェローニカに怒られそうだ」
「それは一緒に怒られましょう!2人で怒られたら、苦さも半分になりますよ、きっと」
私はニカッと笑って、パタパタと膝を折り曲げて戻して、わざとらしくはしゃいでみせた。
シリル様の苦しみが、どこかで置いてきぼりにならないように、私のできる年下らしい子どもっぽさで、我儘みたいに全部を連れて行けるように。
こうやって、気晴らしにでもなれば、それでいい。
「ああ、きっとそうだね」
シリル様の消え入りそうな声のあとに、もう一度だけキスをした。
静かな夜も、2人でいれば何も怖くはなかった。