作品タイトル不明
第24話 雑用令嬢、エルフにお弁当を作る①
その日は朝から慌ただしかった。
朝食を取ったあと、私は廊下の掃除を、旦那様はすぐ近くのお部屋で愛剣の手入れをしていた。
そして私がバケツの水を替え、濡らした雑巾を絞ろうとした――そのときだった。
「たのもー!」
呼び鈴の音と一緒に、屋敷の外から大きな声が響いた。
「え」
思わず私の手が止まる。しかもちょうど雑巾を絞る前だったせいで、水が指先からぽたぽたと床に落ちてしまった。
はて、誰かしら。たしか来客の予定は入ってなかったはずだけど。
もしやこの前のフレット様のように旦那様のお知り合いかな?
「ああ、大丈夫だ、アイカ。俺が出よう」
「あ、旦那様。すみません、ありがとうございます」
立ち上がろうとした私を制し、旦那様が代わりに玄関へと向かう。私は慌てて雑巾を絞り直しながら、その背中を遠巻きに見守った。
「はい。どちら様でしょう」
旦那様が扉を開けると、そこに立っていたのは見慣れない男性だった。
背筋がすっと伸びていて、身にまとっているのは羽衣のような上等な衣装。旅人というには品があり、商人というには妙に浮世離れしている。
ただ立っているだけなのに、こちらが姿勢を正したくなるような不思議な空気をまとっていた。
と、そこで旦那様の視線がぴたりと止まる。
その先にあるもの――客人の淡い髪色をした長髪の間からは、 す(・) ら(・) り(・) と(・) 尖(・) っ(・) た(・) 耳(・) が覗いていた。
「「エルフ!?」」
あまりにまさかすぎる客人の正体に対し、思わず玄関と廊下で旦那様と私の反応がリンクする。
エルフ――またの名を森人とも言う。
言わずと知れた前世でも有名な亜人種の代表格であるが、私もこの目で見るのは初めてだった。
それもそのはず。この世界における亜人種は基本的に人間とは生活圏を分け、独自の国や文化を築いていることがほとんどなのである。
存在こそ広く世界中で知られているものの、人里へ姿を見せることは極めて珍しい。
そんな存在が今、アルグレイン家の玄関先に立っている。しかもよく見ればその姿は一人ではない。
男性の背後には複数の荷馬車がずらっと並び、その横には従者らしき人たちも大勢控えていた。もちろん彼らの耳も同じように尖っている。
こ、これはいったい何事……?
「失礼、突然の訪問で驚かせてしまって申し訳ありません。私はエルフの国の王子――レオルーシェと申します」
「王子……?」
旦那様がわずかに眉を動かす。私も雑巾を握ったまま固まってしまった。
ただでさえエルフが屋敷に来たというだけでも驚きなのに、そのうえ相手は王子ときたものだ。こうなるともうなにがなにやらである。
穏やかだった朝の一時に放り込まれる情報量としては、いささか多すぎやしないだろうか。というか衝撃的すぎる。
けれどそうして私たちが動揺している合間にも、レオルーシェ様はさらに予想外の発言を重ねてきた。
「我々はここに、アイカ・フランベル殿という方がいると聞いてやって参りました」
「……なに?」
旦那様が一瞬だけこちらを見る。知り合いか、と問われた気がして、私はすぐにまさかまさかと首を横に振った。
エルフ、それもその王子に知り合いなどいるはずがない。
とはいえ、相手は自分の名前を知っている。
いったいなぜ……そう考えを巡らせてすぐ、私はつい先日フレット様から聞いたばかりの情報を思い出し、胸の奥をひやりとさせた。
私のかつての上司であり、王国の冒険者ギルドでマスターをしているガルド・バルディオス。
まさか彼が帝国にやって来たことと何か関係が?
……けれど、ギルド時代の記憶をいくら探ってみても、ガルドとエルフがつながっているという心当たりはない。
なにより、目の前の彼らからは敵意を一切感じない。むしろ何かに追い立てられているような切迫感がある。そこが気になった。
もっとも、それがなぜなのかはやはりわからないのだけれど……。
ともあれ名前を出された以上、このまま廊下の陰でひっそりというわけにもいかない。私は雑巾をバケツの縁に置き、エプロンで手を拭きながら玄関へ近づいた。
「あの……フランベルなら私ですが」
「おお、あなたが……!」
私が名乗り出ると同時、レオルーシェ様の顔がぱっと明るくなる。
そして驚いたことに、彼はそのまま玄関先だというのにその場で膝をついた。しかも背後では彼の従者たちまでもが、それにならって一斉に同じ姿勢を取る。
「不躾であることを承知でお願いします!」
レオルーシェ様は石畳に手をつき、深く頭を下げる。
「フランベル殿、どうか我らの国を救うために……“お弁当”を作っていただけないでしょうか!!」
…………はい?
***
「――なるほど。ではあなた方がアイカのことを知っていたのは、フロストーレ様から話を聞いたからだ、と」
応接室のソファに腰を下ろした旦那様は、ひと通り事情を聞き終えるとカップを置いた。
向かいに座るレオルーシェ様が静かに頷く。
「はい。氷の大妖精フロストーレ様は、我らエルフにとって神に近しい存在です。古来より縁があり、折に触れて言葉を賜ることもあります」
フロストーレ様。河原で行き倒れていたところを助けた、小さな大妖精様。
さっきはいきなりのことで何が何だかさっぱりだったけど、あの方がエルフとつながりを持っていたと聞けば、突然私の名前が出てきた理由も納得だ。
ちなみに紅茶を出し終えた私は、その話を少し控えた位置で立って聞いていた。
壁際には従者の人たちもずらりと整列している。けれどこれでも全員は入りきらなかったらしく、一部は馬車で待機しているとのことだった。
「そのフロストーレ様に先日お会いした際、フランベル殿の存在を聞いたのです。危険なモンスターを食材として扱う、唯一無二の凄腕の料理人だと。それはもう、大変な称賛ぶりで」
それは少し想像できた。
デーモンフィッシュのお鍋を食べたときを思い出す。あのときのフロストーレ様は数百年も生きている大妖精とは思えないほど、子どものようなはしゃぎっぷりだったから。
「ふむ。たしかに戒厳令を出したばかりではあったが、フロストーレ様には特になにも伝えていなかったからな。その辺はまあ致し方あるまい」
旦那様も納得したように頷く。が、すぐにレオルーシェ様を見て続ける。
「だが、それだけでエルフの王子がここまで来るとは思えん。まさかただ美食を求めて、というわけではないのだろう?」
「はい」
レオルーシェ様はすぐに頷いた。
「実のところ、我々が追い求めてきたのはモンスター料理の味そのものではありません。そうではなく、その副次効果のほうです」
そこで、レオルーシェ様は一度言葉を切った。
「……実は私の父でもある、我らがエルフ王は長らく原因不明の不治の病で床に伏せているのです」
私は思わず、レオルーシェ様を見つめた。
「国に伝わる薬も、古い治癒術も試しました。ですが、思うような結果は出ておりません」
そこでようやく、玄関先でのお願いがつながった。
私の作るモンスター料理には、食べれば肉体をパワーアップさせるという副作用がある。その中には怪我の治癒や体力の回復も含まれる。
であれば、きっと病さえも治せるのでは……と、エルフのみなさんは考えたのだろう。
「王は意識こそありますが、直接こちらへ来られるような状態ではありません。ですが、かといってフランベル殿をすぐに我が国へ招くのも難しい。エルフにとってヒューマンは同じ人型であっても同族ではありませんから。過去の諍いから嫌悪感を抱いている者もいます」
レオルーシェ様が気遣うように旦那様を見る。
「恐らく、それはそちらも同じでしょう」
「……まあ、否定はできないな」
その昔、人とエルフの間で友好的な関係が築かれていた時期もあったという。
けれどいつからか互いに距離を置き、関わることをやめたと文献に記されていたのを読んだことがある。
そのきっかけが何かまでは知らないけど、とにかく人間である私がエルフの国を訪問するのに危険が伴うのはたしかでしょう。
「ゆえに、すぐに持ち帰って王に食べさせられる形として弁当を望んだというわけです。無論、相応の礼は用意してあります。宝石、財宝、薬草。お望みのものがあれば、可能な限り応じましょう。それと……」
レオルーシェ様が従者へ目配せする。
「こちらは対価というより、ある種の食材提供と言うべきでしょうか。もっとも、必ずしもお役に立つかどうかまでは、我々ではわからないのですが……」
レオルーシェ様がそう言い淀む中、従者の一人が運んできたのは木箱だった。
しかし、ただの木箱ではない。
箱には護符がいくつも貼られ、蓋の合わせ目も紐で厳重に封じられていた。宝石や財宝を入れる箱には見えない。
「これは?」
「まずはご覧ください」
旦那様が眉を寄せる中、レオルーシェ様自ら蓋を開く。
中に詰められていたのは、銀色に輝くいくつもの塊だった。
一見すると宝石か鉱石のようにも見える。けれど、どうも違う。光り方も形も、ただの石とはどこか違っていた。
「ん?」
旦那様も最初は怪訝そうに箱を覗き込んでいた。
けれどすぐに、はっとしたように目を見開く。
「こ、こいつはまさか……!」