軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

462 虎の尾

どうやらクライという男は余程危機感がないらしい。

暗闇の中、その青年はスマホを通した誘導に馬鹿正直に従っていた。メアリーの誘導の声を疑う様子もなく、道中現れた幻影達を完全にスルーして進む様は、この先この宝物殿で恐怖を集め続けたとしても二度と見られない光景だろう。

この宝物殿には幾つもエリアがあるが、その全てが恐怖を与える事を目的としている。だが、どのエリアを歩いていても、クライの感情は感心のみで恐怖心や警戒心は欠片も見えない。どれだけメールの文面を信じればこうなるのか?

あまつさえクライは途中で休憩まで入れていた。

恐怖心を煽るためだけに装飾された病室でどこからともなく取り出したチョコバーを食んでいるその様子は頭が痛くなってきそうな光景だ。

まず最初に誘導したのは、廃病院エリアの一角に存在するタブースイッチだ。

数ある病室の中でも、明らかに異質な一室だ。

幾つもの金属製の扉を抜けた先に存在するその部屋は、特殊な才能の持ち主を生み出す実験室だった。

部屋の外には赤で大きく描かれた『警告』の文字。中に封印されているのは、脳の改造により特殊な能力を開発された男である。

レディも情報しか知らないが、力の代償として本来人間が持つべき倫理観を全て失ったその男はかつてその能力を使い一万人以上を殺したらしい。

特殊なカプセルの中で冬眠させられているその男を解放するのは簡単だ。

ボタンを順番に押せばいい。にも拘らずこれまで封印が解かれていなかったのは、誰も『危険! 絶対に押すな!』と書かれたボタンを押さないからという単純な理由であった。

というか、ここまであからさまだと誰もボタンを押してくれないと思ったので、レディは一度もここに人を入れていない。

クライが物怖じせずに部屋に入り、ぎらぎらの警告色と物々しい設備に目を丸くする。

「私、メアリー。そこのボタンを順番に押して欲しいの」

『? これかな?』

クライが素直に大きなボタンを押し始める。

押すなと書かれたボタンを押し始めるその余りの躊躇いのなさに、レディは思わずやめてと叫びそうになった。

クライも一応ハンターのはずなのだが、この警戒心のなさでどうやってこれまで生き延びたのだろうか? 不思議でならない。

押すなと書いてあるのが見えないのだろうか? 他の仲間達も呆然としている。

そのまま、クライは殺人鬼を解放するのに必要な手順を速やかに実行した。ただの一度もボタンを押す手が止まる事はなかった。逆にドン引きだ。本当に頭が痛くなってきた。

施されていた拘束具が一つずつはずれ、扉の鍵が外れ、施されていたコールドスリープの解除プロセスが起動する。これで時間が経てば超能力殺人鬼――『コールドA』は動き始めるだろう。

余りにもあっけない解放であった。

コールドAはレディよりはモンスター・ディギー側の存在である。このままクライをここに留めればあっさり殺されてしまうだろう。

「……他の封印も解かせなさい」

果たしてどこまで解けるだろうか? ここまで来ると、期待よりも怖さが勝る。

と言っても、恐怖ではなくてはらはらだ。正直レディは、もう封印を解いてくれなくてもよかった。

サヤであれクライであれ、極端だとろくなことにならない。

と、そこで、メアリーが顔をあげた。

「私、メアリー。誰かが、噂を試そうとしているの」

「!? また?」

今この宝物殿に繋がる噂は一つだけ――クライが使った噂だけだ。

時間を確認する。時計は四時四十四分を示していた。

クライが時間前に突入できたのは例外中の例外である。メアリー達が特別に配慮した結果だ。

本来、ゲートはこの時間に開くのが正しい。

どうしてこれまで一度も試す者がいなかった噂が二度連続で試されるのだろうか?

今度はどんな馬鹿が噂を試そうというのか――確認しようとしたレディの目に入ってきたのは、鏡の前にスマホを取り出す、先程追い出された二人を含めたグループの姿だった。

サヤ・クロミズにルシア・ロジェ。そしてルシアと同格であろうハンター達数人。

とんでもない馬鹿が二人連続で現れなかった事にちょっとほっとし、サヤがやはり死んでいなかった事に眉を顰める。

ともあれ、当たり前の話だがこのまま彼ら全員を招き入れるわけにはいかない。

異形達が裏切ったとはいえ、サヤは強いし、他の者達もかなりの力を感じる。きっと彼らはモンスター・ディギーやレディを怖がったりしないだろう。もうやだ。

この中で宝物殿に入れていいのはルシアだけだ。

「メアリー、ルシアだけ入れて。他はいらないわ」

本来、神隠しは条件さえ満たせばオートで発動するものだ。条件を満たした者を全員自動的に招き入れるので、一人だけ消すなんて事はできない。

だが、レディが目の前にいる場合は別だ。

今ならば、条件を満たした者でも『入れない』事ができる。ルシア以外を入れなければ、この宝物殿に入ってくるのは怖がりの魔導師一人だけだ。

しかもこの宝物殿には今、ルシアが一番失うのを恐れている兄がいる。そしてその事を、ルシア本人が知っている。

これほど恐怖を煽りやすい条件はない。

「ゲートを一瞬だけあける。特に、サヤだけは絶対に入れないように」

サヤに従っていた異形達は皆、この宝物殿の中にいる。

サヤを入れても、もう負ける事はないだろうが、面倒事はない方がいい。

§ § §

シトリーのスマホに着信がきて、大きな鏡が強く紫に発光する。

鏡が光っていたのは一瞬だった。すぐに光が消え、視界が戻る。

鏡の前でわくわくした表情のリィズにルーク。他のメンバーと同じくらいの大きさに変身したアンセムに、スマホを片手にしたシトリー。謎の生命体キルキル君に――サヤ。

先ほどまでいたはずのルシアがいない!!

スマホを耳元に当てていたシトリーが困ったように笑う。

「あっちゃあ……これ、誰かがターゲット選んでますね。条件はちゃんと満たしたはずなのにルシアちゃんだけ吸い込まれるなんて……サヤさんが言っていた幻影かも」

「くそおおおおおおおおおおッ! 俺も混ぜろおおおッ! くらあああいッ!!」

どんどんと鏡を叩き始めるルーク。

鏡を見るが、どうやらゲートが存在していたのは一瞬のようだった。

もうサヤの能力でもこじ開けられない。甘かった……完全に警戒されている。

「チッ。つまんねえ事しやがって…………ま、恐怖を与えるとか言ってもその程度の相手って事か」

「うむうむ」

「そうですねえ。特殊ギミック系宝物殿は難しいとは限りませんから」

だが、焦るサヤとは反対に、皆の反応はのんびりとしたものだった。

仲間がたった一人攫われたのに――しかも、苦手な相手だと知っているはずなのに、全く心配していない。

「ルシアが心配じゃないの? ルシアは――」

あの空間でのルシアは明らかに精彩を欠いていた。そんな状態で一人であの宝物殿を歩くなど自殺行為だ。

サヤには幻影が怖いという感覚がわからないが、ハンターの中には特定の相手を苦手としている者がいる事は知っている。

どうやらルシアはああいう悪霊系の見た目の幻影や魔物が苦手らしい。

そして、その事をあのレディという幻影も気づいている。このままではルシアは戻ってこないだろう。

宝物殿に侵入するための別ルートはあるだろうか? だが、この帝都に広まっている噂は膨大だし、レディがゲートを封鎖できるなら見つけたところで封鎖されてしまうだろう。

焦るサヤに、シトリーが目を見開き、ぽんと手を叩いた。

「あー、心配いらないですよ。サヤさんはまだルシアちゃんの事をわかってません」

「幻影も馬鹿よねえ。この中でルシアちゃんだけ連れて行くなんて」

リィズも呆れたように笑っている。

まだわかっていない? ルシアには隠された力でもあるというのだろうか?

鏡をもう一度見る。クライが買ったばかりらしい鏡は曇り一つなく、サヤの目をもってしても戸惑う自分の表情以外に何も見えない。

§ § §

よし、うまくいったッ!

レディはガッツポーズを取った。サヤとかクライとか異形とか色々余計な心配の多い中、純粋にレディ達を怖がってくれるルシア・ロジェは唯一の癒やしだ。

彼女が怖がってくれればくれる程レディ達は強くなれる。何なら、滞在する部屋もゲスト待遇にしてもいい。それくらい、力を持ちつつもレディ達をただただ恐れてくれるルシアは貴重だった。

前回の脅かしで味を占めた仲間達が集まってくる。もはやそこにはクライに対する興味は欠片もなかった。いないのはメアリー達電話にまつわる者たちくらいだ。

どうせまた少し分けて欲しいとでも言うのだろう。

別に構わない。数時間前にわかったが、ルシアの見せる恐怖は皆を癒やして有り余る程だ。

「やつらには気づかれないようにしなさい。ルシアを殺されたら堪ったもんじゃないわ」

サヤの異形はレディ達とは違う。奴らは侵略や暴力を目的としており、レディ達のように恐怖を必要としない。レディ達がいなくなれば力を振るうのにまたサヤを頼らなくてはならなくなる以上、すぐに反旗を翻すとは思えないが、きっと奴らは虎視眈々とこの宝物殿の管理権限を狙っている。

いずれ、格付けはしなくてはならないだろう。それまでに力を蓄えなくては。

「私が最初に行くわ。今はクライがこの宝物殿にいるから」

レディの言葉に、他の幻影達がブーイングを始めるが、ここは譲れない。

クライはルシアの弱点なのである。それをうまく突ける幻影は自分をおいて他にいない。

ルシアは一緒にいたはずの皆がいなくなった状況に、きょろきょろと忙しなく辺りを見回している。

今の彼女を怖がらせるなんて赤子の手をひねるよりも簡単だ。

そっとルシアの後ろに移動し、その首元に触れる。

「ひぃッ!?」

悲鳴をあげ、身を捩りこちらを見るルシア。その表情が歪む。

得も知れぬ充足感がレディを満たす。レディは心の底から笑みを浮かべて言った。

「ルシアお姉ちゃん、また、遊びに来てくれたの? 逃げられたかと思ったのに、レディ、嬉しい」

恐怖と共に囁き声をルシアに流し込む。レディの手口はスマートだ。与えるダメージは精神だけ。

一瞬で血の気が失われたルシアの表情に、レディは嬉しくなってくる。

とんと地面を蹴り、宙に浮かび、ルシアに顔を近づける。

「でも、もう逃げられないよ。絶対に逃さない」

「!?」

揺さぶるたびに良質なエネルギーがレディに流れ込んでくる。これこそが本来ある形だ。

この時代の人間が皆、ルシアのようだったらいいのに……そんな事を考えながら、さらなる絶望を与えるべく続ける。

「だって、ここには今、お姉ちゃんの大切な、お兄ちゃんがいるもの」

誰かのためならば力を発揮できる。それは長所でもあり、弱点である。

クライのためならば、ルシアは逃げられない。恐怖しながらもこの宝物殿を彷徨う事になるだろう。

レディは顔を変化させ、三日月型の笑みを浮かべる。

そして、ルシアを最も恐れさせるであろう脅しの文句を述べた。

「あそぼ? かくれんぼなんてどう? お兄ちゃんを、お姉ちゃんが探すの。早く見つけないとお兄ちゃんを殺しちゃうかも――」

「…………は?」

底冷えのするような声。笑顔のまま一瞬硬直するレディの首に、ルシアの手が伸びる。

ルシアの表情には先ほどまであった恐怖は一瞬で霧散していた。ありえなかった。

あんなにもレディを恐れていたルシアが、レディに向かって手を伸ばすなんて。

指自体はレディに触れられなかったが、動悸が止められない。

寒い。凍りつきそうな程。それは果たしてルシアの魔力故か、それともレディがルシアを恐れているが故か。

「あ、あの……お姉ちゃん?」

「今、なんと?」

冷徹な眼差し。力の込められた声。その身に満ちていた魔力が凍える風となって吹き荒れる。

レディは思った。

これは……ダメな奴だ、と。

虎の尾を踏んだ。今のルシアにある感情は恐怖じゃない。

これは――怒りだ。気づかなかった。

恐れる対象ではなかった。

ルシアにとってのクライ・アンドリヒは――竜にとっての逆鱗のようなものだったのだ。

いつの間にか廊下が水で濡れていた。これはただの水ではない。

水の精霊だ。遮断されたこの宝物殿で精霊を呼びだせるわけがないし、タイムラグが余りにもないので、きっと何かに入れて持ち歩いていたのだろう。

普通そんな事をすれば精霊が激怒するはずなのだが、彼女はできている。

怖い。先程までただ怯えレディを楽しませてくれるはずだった少女の怒りが、怖い。

状況がわかっていないのか、焦れた仲間達がルシアに向かって一斉に向かってくる。

それぞれ、四つん這いで走り、宙を浮き、転移を用いて――だが、その全てにルシアは凍てつくような眼差しを向けた。

魔力が一瞬で練り上げられ現象になる。世界が氷で包まれる。

レディ達に普通の攻撃はほとんど通用しない。

だが、それは普通の攻撃ではなかった。

怒りの感情。絶対に逃さないという冷たい殺意。

術に乗せられた研ぎ澄まされた激情が、嵐となってレディ達を襲う。

レディは――そして恐らく仲間達も、一瞬で思い知らされていた。

ルシア・ロジェには二度と勝てない、と。

床が凍りつき、四つん這いで迫ろうとしていた女が悲鳴をあげる。お化けオーケストラが凍りつき、重力に引かれ床に落ちた。

少なくとも、異形のいないサヤの攻撃手段は限られていた。だが、ルシアは違う。

彼女の攻撃手段は幅広く、限りはない。レディはルシアにつけられている二つ名を思い出した。

《万象自在》。あらゆる現象を自在に操る魔導師。

つい数時間前まで追いかけ回され必死で逃げていた幻影達を見てぴくりとも表情筋を動かさないルシアに、慌てて説得を試みる。

「じょ、冗談だよ、お姉ちゃん。私、お兄ちゃんを殺したりなんて――」

「うるさい」

「ッ!?」

返事は巨大な氷柱だった。顔面を通り抜けた巨大な氷柱はそのまま勢いを失うことなく、床に突き刺さり冷気を撒き散らし、床の一帯を完全に氷結させる。

寒気が止まらなかった。殺意によるものだけではない。

少しずつ、魔法が調整されてきている。レディ達に甚大なるダメージを与えるものへと。

ルシア・ロジェは、兄を殺そうとするもの全てを始末するつもりだ。

人食いブルーが咆哮を上げ、ルシアに向かって突進する。天井を泳ぎ、デーモンシャークがルシアの頭を食いちぎろうと襲いかかる。

だが、双方ともルシアの元までたどり着くその前に、氷漬けになり動きを止めた。

堅い音を立てて床に転がるパニックモンスター二体を、ルシアは冷ややかな眼差しで一瞥する。

奇襲が意味をなさない。でかいだけの鮫など相手にならない。モンスター・ディギーだって近づく事すらできないだろう。

レディは反転すると、叫びながら全速力で逃げ出した。みしみしと、強い冷気が全てを凍りつかせ迫ってくる。

「みんなああああああ、逃げてえええええええええッ!」

このままでは宝物殿全てが凍りついてしまう。早くクライを探してルシアに返さなくては!