軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

107 楽しいバカンス②

僕は日頃クランマスター室に引きこもっているが、あれは自衛のためであって、別に引きこもるのが好きなわけではない。

ただ、帝都では因縁ができすぎてしまったのだ。ちょっと外を歩いただけであーるん達に絡まれたように、皆が皆、僕の命を虎視眈々と狙っている。

だが、ここは帝都ではない。誰も僕がこんな、特筆すべき点のない衛星都市にいることなど知らない。

僕の顔を知る者も帝都と比べて遥かに少ないだろう。雨も降っているし、フードを深くかぶれば気づかれる可能性は皆無に近い。

あいにくの天気だが、気分は悪くなかった。嵐が追ってきたと聞いた時には驚いたが、冷静に考えるとありえない話だ。

徐々にバカンスへの期待が膨らんでくる。今の僕は自由だ。

仕事を放り出しておいて何だが、こういうのもたまにはいいではないか。

ふと近い場所で意味もなくぐるぐる歩き回っていたリィズが、特に躓いたわけでもないのによろめき、つんのめる。踏み込んだ水たまりの水が跳ね、足にかかる。珍しい光景だ。

体調でも悪いのだろうか? じっと見ていると、視線に気づいたリィズはばつが悪そうに笑った。

「えへへ……ごめんね。隙の多い歩き方、忘れちゃって……もう何年もやってないから……」

「そ、そう……」

なんか僕の要望とずれていない? という問いを飲み込む。

僕の要求は大人しくバカンスを楽しむ事、ただそれだけなのだが、自然体のままでも大丈夫だよなどと言ったら最後、ジェノサイドモンスターに戻ってしまうだろう。彼女にはアクセルしか存在しないのだ。

ならば少し我慢してもらって、後で埋め合わせをしたほうがいい。

リィズはやりづらそうにしながらも、自身の背中で手を組み、満面の笑みを僕に向ける。

「でも……うん。こういうのも、少し新鮮で、楽しいかも?」

「…………」

何でも楽しめるのは素晴らしい事だ。僕も少しはリィズの生き方を見習ったほうがいいのかもしれないな。

そんな事を考えていると、僕達二人を置いて用事に出ていたシトリーとティノが小走りで戻ってきた。深く被ったフードの中、淡いピンクの目がひっそりと輝いている。

「すいません、お待たせしました」

「いや、待ってないよ。用事でもあったの?」

僕にはこの町で真っ先にしなくてはならない用事など浮かばないが、雨が降っている中、宿を探す前にわざわざ出ていったんだからよほど重要な用事だったのだろう。

何気なく出した問いに、シトリーは口元を手で隠し、照れたように言った。

「いえ…………情報網を封鎖してきました」

「…………?」

「何かあればすぐに連絡が来るようにしてあったのですが…………それも駄目なんですね? 後、領主への根回しの撤廃とか…………ああ、無防備過ぎて……少し、どきどきします。これもまた一つの勉強なんですね……」

「う、うんうん、そうだね……」

手抜きを知らないのは彼女たちの長所であり、短所でもある。僕が封じたかったのは行動を起こす腕であって、目や耳まで封じたかったわけではないのだが、こちらから要望した手前、とても言いづらい。普通にしてください、普通に……。

リィズが小さく口笛を吹き、僕を見る。

「へー、やるじゃん。クライちゃん、もしかして私も、足とか縛ったほうがいい?」

「縛らなくていいよ……」

ハンデつけてんじゃないんだから。僕は手を出すなと言ったんだよ。穏便に過ごそうって言っただけなんだよ。

まともなのはティノだけか。

ちらりとティノの方を見ると、ティノは怯えたようにシトリーの後ろに隠れた。身長差の関係で隠れきれていないのだが、つい先日までますたぁますたぁ言っていた事を考えると少しだけショックだ。なんとしてでもこの旅行中に尊厳を取り戻さなくては。

だが、方法が浮かばない。常日頃から人を頼っていたつけが来ていた。このダメさ加減をどうにかするには相当な努力が必要だろう。

僕を駄目な人間にした根本的な原因の一人であるシトリーが伺いを立ててくる。

「クライさん、宿はどうしますか? 仮にもバカンスならばそれなりのランクの宿を取るべきだと思いますが……」

「……当日に取れるの?」

観光地というわけではないが、【エラン】は帝都に至る中継都市だ。昨日の嵐もあるし、宿もいっぱいだろう。

僕の問いに、シトリーは考える素振りも見せずに、薄い笑みを浮かべる。

「……クライさんの名前を使えば取れます」

実力の伴っていない僕の名前に何の価値があるのだろうか……。

悲しい気分になるがそれはさておき、高レベルハンターというのは基本的に優遇されている。僕は申し訳ないので特権を使う事は滅多にないが、確かにレベル8の力を使えば部屋の一つや二つ取れるかもしれない。

だが、それはまずい。僕は今サボって逃げているのだ。

「却下だ。僕達は旅行中だ。そうだな……今の僕達はハンターじゃない」

だから依頼を受けたりしないし、戦ったり仕事もしない。道端で《千変万化》ですねと聞かれても人違いですよと答える。訓練もしないのだ。バカンスとはそういうものなのだ。

「それは……とっても新鮮で、素晴らしい考えだと思います」

声を潜め、戯言だとしか思えない事を言う僕に、シトリーは躊躇いなく称賛の声をあげた。

そういうところが僕を駄目にするのである。いや、本当にごめんなさい。誰か僕を詰ってくれ。

「へぇ……身分を隠して旅行なんて、とっても楽しそう! 密偵みたい! ティーもそう思うでしょ?」

「わ、わたしになど、ますたぁの真意はとても測れません」

「やるからには気合入れてやらないと…………後でルークちゃん達に自慢してやろっと」

そこで僕は初めて大変な事に気づいた。

今回のメンバー……僕を止めてくれる人がいない。僕が落とし穴に落ちたら一緒に落ちてしまうメンバーばかりだ。せめてエヴァを連れてくるべきであった。

自分のケツは自分で拭けという話なのだが、それで被害を受けるのは僕だけではないのだ。

言いようのない不安感に見舞われる僕の手を、シトリーがぎゅっと取った。

「クライさんの真意はわかりました。段取りは私に任せてください」

§ § §

ティノ・シェイドはお姉さま二人の自然な様子に己の未熟を恥じ入るばかりだった。

恐らく、これが経験の差というものなのだろう。

クライの言葉はティノにとって千金よりも重く、同時に何よりも恐ろしいものだ。

今まで幾度となく受けた『千の試練』は確かにティノを成長させ、師の鍛錬も合わせ常在戦場の心得を身に着けさせた。

だが、今回の試練はこれまでの試練とは全く異なるものだ。

訓練縛り。これまで魂を削って身につけた技能をあえて使わず、弱者の立場に身をおくこと。

何という壮絶な試練だろうか。

このバカンスで何が起こるのか、ティノには全く予想出来ないが、碌でもない事が起こるであろうことはわかる。それにこの無防備に等しい状態で挑むというのは命を捨てる行為に等しい。

その事はティノのお姉さま二人はティノ以上に知っているはずだ。だが、その表情にはティノと違って陰りがなかった。

さすがに無防備な状態に身を置くという行為に慣れていないためだろう。一挙一動はどこかぎこちなく不自然だったが、ティノの目にはその光景すら輝いて見えた。

ティノにはとても出来ない。周囲への警戒も、足音を立てない事も、常に戦闘に入れるようにすることも、全てティノにとって習慣になっている。

それを捨て去るという事は、これまでの全てを捨て去るという事に等しい。

最初に師に引きずられ、馬車に連れ込まれた時にあった感情は既にこのあまりにも過酷な試練に霧散していた。

この試練は純粋な戦闘能力ではなく、心を鍛える類のものだ。

明鏡止水の心。如何なる状況でも平静な心を保ち行動できるようにすること。

ティノにとっては、もしかしたら雨の中外を走り雷に撃たれる事よりも厳しいかもしれない、そんな試練。

そして同時に、いつもますたぁが自然体である事を思い出し、普段意識することのなかったその事実に愕然とする。

今改めて確認するますたぁの姿はお姉さま二人とは異なり、完璧な無防備を誇っていた。一体どれほどの胆力があればここまで無防備に己を晒せるのか。

言いしれない畏れを抱くティノに、不意にその目が向けられ、姿勢を正す。

「ティノ、リィズが無理やり連れてきて悪かったね」

「…………いえ、ますたぁ。ですが……私は、迷惑ではないですか?」

ティノは未熟だ。シトリーお姉さまの連れてきた三人はともかくとして、今ここにいる四人の中では飛び抜けて弱い。経験も実力も、何もかもが不足している。

そして、いざ絶体絶命の状態に陥った時、なんだかんだ優しいますたぁはティノの事を見捨てたりしないだろう。

迷惑を掛けてしまうのではないかという不安と、そして未だかつて受けたことのない恐ろしい試練に対する恐怖。

不安を押し殺し出したティノの言葉に、完全無欠のますたぁは驚いたように目を見開いた。

「迷惑だなんてとんでもない。ティノにも是非来てほしかったんだ。いつも、リィズが迷惑をかけているしね」

浮かべたその穏やかな笑みに、ティノは半ば反射的にびくりと身を震わせた。

ティノはますたぁに恩がある。好きか嫌いかで言えば大好きだ。だが、その課してくる過酷な試練を喜んで受けるかどうかはまた別の話なのだ。

その目には善意しかなかった。だからこそ、恐ろしい。ますたぁは、完全な善意で、ティノに試練を課そうとしている。

一度小さくひゃっくりをし、涙を浮かべ懇願するように言う。

「そんな……ますたぁ、とてもありがたいお話ですが……私はお姉さまの訓練でいっぱいいっぱいなんです……」

ますたぁとお姉さまは凄い。ただ無節操にティノに試練を課すだけでなく、自らもまたそれを受けているのだから文句は言えない。

だがしかし、ただ一つだけ言わせてもらえるのならば――無理です。

「うんうん、そうだね。だから、今回は羽を伸ばして欲しいな」

「クライちゃん、やさしー……、ティー、ほら、もっと嬉しそうな表情して? クライちゃんに失礼でしょ?」

お姉さまの黄色い声も、もはやティノの耳には入っていなかった。