作品タイトル不明
第19話・シンシア(前編)
サーシャが作った晩飯を済ませ、冷えた身体を温める。そして全員で食器を片付ける。本当ならば部下である俺とサーシャが、雇い主であるアルメル様と、その妻であるクリスティーナ様の食器を片付けるべきだろうに、変わり者の我が主はそれを拒む。そのため、全員で和気あいあいと食器を下げる。
アルメル様が上水設備なるものを開発した事で、洗い場も途端に充実した。洗い物をする際に、水の残量を気にしなくて良いなどという贅沢は、滅多に出来ないだろう。
そして、洗い物まで一通り終えて、食堂に戻り、俺はアルメル様と対面する。
初めて会った時は10歳程度の子供だった。筋肉量は少々心もとないが、背丈は十分に大人だ。
そして、美しい。
目鼻立ちは整い、綺麗な金髪をしている。長男であるスレイン様に近いだろうか。おそらく、スレイン様とアルメル様は、どちらかというとダグラス様の血を引いている。アルフレッド様はヘンリー様の血を引いている、という印象だ。
椅子に座って、アルメル様と互いに見合う。
俺達はこれから、口喧嘩をする。
口元を緩めて、これから始まる事を楽しもうとしているクリスティーナ様と、ただの事実として分析を試みようと身構えるサーシャ。
「えっと、それじゃあ……」アルメル様が口を開く。「これから、口喧嘩を始めさせて頂く、という事で、いいのかな?」
既に口喧嘩では無い。
しかし、アルメル様の流儀だ。まずは確認から、という事だろう。俺は頷いた。
「ええ、これより、俺とアルメル様で、口喧嘩をさせて頂きます」
「そうか……」
アルメル様が唾を呑む。
そして言う。
「よろしくお願いします」
既に口喧嘩では無い。
しかし、そう前置きをしなければ口喧嘩も出来ないほど、優しい環境で育ったのだと思えば、諸々納得が行く。
「…………」
アルメル様は、基本的に善人だ。異世界から来たという発言がどれほど真実かは解らないが、この世界より遥かに発展した世界から来たと言っていた。この世界より発展しているのならば、きっと、元居た世界は、平和だったに違いない。
「…………」
その上でなお、転生をした先がファラン子爵家だ。王国の盾として屈強であり、政治も上手く、人徳もある。人間関係で困る事などありはしないだろう。ならば、わざわざ争う経験が無かったというのは、全く不思議では無い。
現に。
「……………」
アルメル様は何も言わず、ずっと困った顔をしていた。
「アルメル様? 口喧嘩なんで、何か言わないと始まらないんすけど、何か俺に言えます?」
念のため確認すると、アルメル様はようやく口を開く。
「シンシアに言える文句が、ひとつも思い浮かばない」
嬉しいのだがもどかしい言葉だった。
「では、僭越ながら俺のほうから言わせてもらっていいっすかね」
その提案に、アルメル様は頷く。
アルメル様へ文句を言うなど本来なら俺の意思に反するが、これは任務だと割り切る。
「アルメル様、ちょっと自惚れ過ぎじゃないっすか? 今回も野盗を飼いならせると思ってたんすよね。でも全然出来てない。もっと慎重に行動すべきっすよ。戦場なら死にますよ」
そう言って、アルメル様の反応を待つ。
アルメル様は俯き、そして顔を上げて、こう返した。
「――確かに」
「いえ確かにではなく」
言い返してください口喧嘩なんだから。その学びを得たみたいな目をやめてください。
だが、アルメル様が納得できる範疇の物言いしか出来なかった俺の落ち度でもある。追撃が必要だろう。
「傭兵団の副団長やってた時に思ったんすけどね、無能な働き者って、有能な敵よりも厄介なんすよ。勝手に首突っ込んだり、暴走や思い込みで勝手な事して、味方を巻き込んで失敗するんで。今回のアルメル様、めっちゃそれっすよね」
言いながら、胸を不快感が撫でた。俺の本心では無いが、物は言い様。この言い方も出来る状態だったのは間違いない。
この言葉を食らい、アルメル様は俯き、口元に手を当て、震えた声でこう返す。
「……確かに」
「いえ確かにではなく」
やる気あんのかこの人、口喧嘩を。
「アルメル様、真面目にやってください。納得しては喧嘩になりません」
そう言うと、当然のようにアルメル様は言う。
「真面目にやったら喧嘩にならない。普通に納得できる事を言うのやめて欲しい」
結構偏った発言をしたつもりだったのだが、アルメル様自身が偏っている部分があるためか、納得してしまったようだ。
しかし、悪くない。言い返して来たなら、ここが糸口だろう。
「納得っすか? 野盗の頭との件があったせいでビビって、ただ従うだけの人間になってるだけでは?」
そう言うと、アルメル様は「お」と何かを思いついたような表情を浮かべてから、こう返してきた。
「失敗した直後に慎重になって何が悪い? それをビビり呼ばわりするなんて……ああ、この繊細な気持ちは、勇敢なシンシアには解らないか。無茶を言ってしまってすまない」
おお、と、感心する。野盗の頭と喧嘩になった際も、煽りは上手かった。思考的な発言に入れれば得意分野なのかもしれない。
ここは、この煽りに全力で乗る必要があるだろう。
「勇敢さが無い人が慎重になり過ぎる事を、ビビりって言うんじゃないんすか?」
ビビると慎重はそもそも全く違う事だが、多少荒っぽい理屈のほうがアルメル様の好みらしいので、異なる事象を繋ぎ合わせて、詭弁を返す。
詭弁を返した、はずなのに。
アルメル様は目を見開いて言う。
「…………確かにっ」
「いや確かにではなく!」
一時中断。俺は立ち上がり、自分の額を指先で突いた。
「アルメル様、今俺、結構、正論では無い言い分を言えた気がするんすけど」
そう苦言を呈すものの、アルメル様は当たり前のように言う。
「え、でも実際、勇敢じゃない人が『慎重にやってるんだ』とか言ってたら『あ、ビビってるんだな』って評価が妥当じゃない?」
その気持ちは理解出来なくもない。だが、
「いえいえ、そもそも『勇敢じゃないという判定の定義』が人それぞれだと思うんすよ」
と、提言すると、アルメル様は半身を乗り出して興味を示した。
「というと?」
問われた俺は、失礼の無いよう慎重に、しかし正確に伝わるよう、言葉を選ぶ。
「例えばなんすけど、俺はスラム出身の天涯孤独でした。同じ境遇の子供達が寄り集まって、助け合ったり、けなし合ったりするような環境で、そのおかげで物心が着くまで生き延びれたんすけど、さぁ、じゃあ物心着いた後っすよね。物乞いか、スリをしなきゃ生きていけない。そんな環境になった場合、どうするのが『勇敢』っすかね」
そう問うと、アルメル様は考えた。考えて、口元を手で覆い、驚いたような面持ちでこう言う。
「『人に迷惑を掛けないために、誰にも加害せず死ぬ』のも勇敢だが、『生きるために誰かに加害する』のも勇敢と言えるな」
俺は「そうです」と答えた後に、こう付け足す。
「『誰かに加害する勇気も無くただ死んでしまったやつ』でもあり『誰にも迷惑を掛けないために自己犠牲で終える勇気も無いやつ』でもあると言えるっすよ」
アルメル様は再び驚いて見せる。
そして独り言のようにこう呟く。
「性善説と性悪説の亜種みたいなものか……いや、これがそのものなのか……なるほど、うん、面白い」
そんな独り言を終え、そして目を輝かせてこう言う。
「じゃあ、勇敢か否かは人それぞれという事にしたって、『人それぞれなので定義付け出来ません』では、あまりにも理屈として弱い。人それぞれだと言ったからには、少なくともいくつかは、『こういう人はこう』みたいな基準が、シンシアなりにあるんじゃないか?」
その質問には考えがあったので、すぐに答える。
「俺が思う基準は、日ごろの勇敢さと比較して否かっすね。それこそ包丁と剣。原理って同じっすよね。日ごろ包丁は怖くて握れないのに、剣だけは握れる人間っていうのは、俺は勇敢なんじゃなく、危険さを解っていない鈍感な人間、と判断するっす」
「となると、剣は怖くて握れないのに包丁は平気って人が勇敢? 俺はそうは思わないけど」
「そう、俺もそう思いません。剣と包丁は長さと重さが違うだけで、同じ事が出来る道具です。その両方の危険さを解った上で扱える人間が、勇敢。そのどちらの危険性も解ってないで使う人間を、蛮勇だと、俺は判断するっすね」
「いい……うん、それは俺好みの解釈だ……確かに納得出来」
「ねぇ、あなた達」
2人で盛り上がっていたら、隣で観察していたクリスティーナ様が会話を止めた。
そして、呆れたようにため息を吐き、こう言う。
「……喧嘩は?」
「…………」「…………」
問われた通り、果たして今のは、喧嘩になっていただろうか?
その疑問は一瞬で解決し、俺は言う。
「――確かに」