作品タイトル不明
289 クルト商会 10
「う……、こ、ここは……」
商会長が目覚めると、そこは見たことのない場所であった。
いや、どこかの建物の中の一室であることは分かるが、その内装や調度品が、今まで目にしたことのないものだったのである。
真っ白で、継ぎ目が見当たらない、つるつるしていそうな感じの壁と天井。
部屋の大半を占める、用途が分からないたくさんの機械類。
そして自分が寝かされている、身体を包み込むような感じの 不思議な椅子(バケットシート) 。
縛られているわけではないが、なぜか手足が動かせない。
首から上は動き、喋ることも眼を動かすこともできるのであるが……。
そして頭部を動かさなくとも、室内の、自分が寝かされている 不思議な椅子(バケットシート) より高い部分は概ね視野に入っている。
その視野の左端ぎりぎりで動いているものの正体を確認すべく、頭を左に傾けると、その物体の正体が判明した。
白く薄い、ひらひらした衣服を纏い、背中に純白の翼を付け、頭の上にはぴかぴかと光が明滅する 輪っか(リング) を浮かべた、ふわふわした感じの優しそうな少女。
その少女が、両手を羽ばたくように動かしながら、踊っていた。
……変装して顔を変えた、恭子である。
「……天使様? てっ、天国なのか、ここは?」
突然死ならば、仕方ない。人間には、天が定めた寿命というものがある。
しかし、色々と悪事に手を染めたというのに、天国に来ることができたということは、何たる 僥倖(ぎょうこう) であることか!
そう思い、死の悲しみではなく、己の幸運に喜ぶ商会主。
「目が 覚(さ) めたようね」
そして、凶悪な目付きをした少女が、死角となっていた自分の頭上方向からいきなり顔を覗き込んできた。
変装したカオルであるが、尋問時の威圧効果を考慮して、目元だけは元のままにしてある。
「……くっ、地獄だったか!!」
「じゃかましいわっ!!」
カオル、激おこであった……。
* *
「……では、ここはまだあの世ではないと?」
あれから、目付きが悪い方も頭上の 輪っか(リング) と背中の翼を見せつけたため、ここが地獄だというわけではないことを何とか納得した商会主。
身体は動かないままであるため、 不思議な椅子(バケットシート) に横たわったままでそう確認の質問をした。
時々逆上して暴れる者がいるから動けないようにしているだけだと言われ、後で動けるようにすると説明されているため、落ち着いているようであった。
確かに、動けないならば話をするしかないため、妥当な処置なのであろう。
「はい。ここは地上世界でも天国でも地獄でもない、それら全ての上に存在する、私達が世界を見守っている場所です……」
そのカオルの言葉は、嘘ではなかった。
「ここから見える、地上世界です。どうぞ、御覧ください」
そして、やや上半身を起こされた形になり、 不思議な椅子(バケットシート) に横たわったまま見える壁面スクリーンに映った、黒い背景の中に浮かぶ青い球体。
「こ、これは?」
商会主の問いに答えることなく、カオルの指示で何やら操作する恭子。
そして、スクリーンの中の球体がどんどん拡大されてゆく。
スクリーンいっぱいに球体が広がり、更に大きくなり、どんどん拡大が続き……。
「……海? 陸地? ま、まさか……」
そして大陸がはっきりと見え、海岸線が 露(あら) わとなり、その形が……。
「ばっ、ばかな! こっ、これは、この大陸の……、我が国の……」
そしてとある都市が見え、それが段々と大きくなり……。
「おっ、王宮……、こっ、この王都が……。
……せ、世界が丸い? この大陸が、あんなにちっぽけで……、人間が、虫よりも、アリよりもちっぽけな……」
商会主は、先程まで自分が王都にいると思っていたが、ここは、その遥か上空であった。
カオルの、『ここは地上世界でも天国でも地獄でもない、それら全ての上に存在する場所』という言葉は、決して嘘ではなかった。
……ここは宇宙空間。衛星軌道上の、恭子の母艦の 艦橋(ブリッジ) であった……。
* *
商会主は、何の隠し事をすることもなく、ぺらぺらと喋った。
……女神が実在する世界でこんなものを見せられて、御使い様を信じひれ伏さない者などいない。たとえどんな悪人であろうとも……。
金のため数人を殺すことは 厭(いと) わない者であっても、自分のせいで大陸ひとつが沈み、数千万の人々や多くの動植物が全滅するということに平然と耐えられる者は少ない。
また、女神がそういうことをする原因となった者が、楽に死なせてもらえるはずがなかった。
死ねない身体にされて、永遠に続く責め苦を……。
そんな目に遭うくらいならば、死んだ方がマシである。
……いや、死ねないから続く苦痛なのに、死んだ方がマシなどと言っても、当たり前過ぎて笑えない。
とにかく、この世界では女神やその御使い、眷属達を怒らせるどころか、ほんの僅かな不快感すら与えないよう、細心の注意を払うのが当たり前であり、もし御機嫌を損ねるようなことがあれば、その場で自害して謝罪し、大陸が滅びる確率を1パーセントでも下げるよう努めるのが、人間として、いや、この大陸に住む生き物としての義務であった。
その昔、ひとりの超絶英雄が、この大陸を滅ぼそうとした女神セレスティーヌを 叱(しか) り、 諌(いさ) めたと言われているが、そのようなことが、ただの人間にできるはずがない。
もはや、儲けとか店の発展とか自分の栄達だとかいうような 些事(さじ) など、関係なかった。
この商会主も、いくら悪人ではあっても、さすがにこの大陸全ての生きとし生けるものを自分が死滅させるということには抵抗があったようである。
大半の者は、その遥か手前の段階、自分の家族や一族郎党が、という時点で陥落するであろう。
なので、必死で喋った。問われることに対し、嘘や誤魔化しなど考えもせずに……。
「なるほど、では、貧乏であった子供の頃に受けた仕打ちが忘れられず、お金以外は信じない、自分に敵対する者は全て叩き潰す、という主義に?」
「はい……」
(……困ったなぁ。何だか、 劇場版(きれいな) ジャイアンみたいになってきたぞ、コイツ……)
* *
「どうする?」
「どうする、ったって……」
商会主は、『 神々のお酒(ネクタル) を賜う』として渡した お酒(ポーション) を飲んで、至福の表情で眠りに就いている。
「従業員を7人も攫ったのに、みんな大したことを知らないみたいだから、仕方なく予定を変えて親玉を拉致したというのに……。
何だか、思っていた程の悪党じゃないんだよねぇ……。
そりゃ、今回の襲撃事件は悪いけど、うまく自分達の商会に疑いがかからないようにして情報を聞き出す算段があったそうで、攫った従業員は無傷で帰すつもりだったみたいだし……。
警備兵に怪我をさせたのは、想定外の邪魔が入って焦ったチンピラの暴走だって話だし。
警備兵は、非番で私服だったから、粋がった若造が連れの女の前でいい格好をしたがっているだけだと思い、脅して追い払おうとしたら本気で向かってきて、『不幸な事故』になっちゃっただけみたいだしね。
だから、無関係の者に思わぬ怪我をさせちゃって、『相手に怪我をさせない。腹を数発殴るとか、拘束する時に手を捻るとかは可』という契約条項違反になってしまい、そういう時の取り決めの通りに、作戦を中止して慌てて撤収した、ってことらしいけど、それ、結構信用できる説明なんだよねぇ。
本気で拉致するつもりなら、腕の1本も折って無理矢理連れ去るだろうからね、普通。
邪魔する若造の片腕を潰したなら、ひ弱な商人をボコって連れ去るくらい、大した手間じゃなかっただろうから……。
それに、 私達(みつかいさま) に対するあの様子じゃ、とても嘘を吐いているとは思えないんだよねぇ」
「……確かに……」
恭子も、同意の言葉を口にするのであった……。