軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

おかえりなさい?

人のいなくなった待合室から続く扉を叩く。

入室の許可が聞こえて扉を開く。ジグルドとアルマに礼をする書記官らしき男と入れ替わって部屋へ入る。

「失礼します」

仄かに甘いサンダルウッドの香りの中で、重厚なデスクの向こうに陶人形のごとき美しい青年が座っている。

一週間前と同じ光景。

急に、一週間慣れない場所でできることを探して右往左往していたことが、なんだか全て無駄だったような感覚に襲われて、疲れた溜め息が漏れた。

「………なんだ」

「何がですか」

「その溜め息はなんだと聞いている」

灰色の冷たい目がアルマを睨む。

「………すみません」

マークとの寒暖差がひどすぎて風邪をひきそう。

「謝罪を求めているわけではない」

「いえ。人と顔を合わせた途端に溜め息をつくなんて、わたしが失礼でした。少し、疲れてしまって」

「なら、立っていないで座れ」

デスクの前の応接テーブルを示されて、ソファに座る。ジグルドもデスクチェアから立ち上がり、向かい合うソファに移動してきた。

怖い顔をしているが、あのマークがまだ首と胴体が繋がっているんだから、まあ大丈夫なんだろう。

向かい合って座ったまま沈黙が降りる。

言いたい事や聞きたい事が沢山あったはずだが何だったかな。

「―――あの」

「なんだ」

「おかえりなさい?」

とりあえず、仕事から帰ってきた夫にかけるべきであろう単語を口にしてみる。違和感が酷くて疑問形になってしまう。

無視されるかとも思ったが、ジグルドは少し不思議そうな顔をした。

「………ただいま……?」

おっ。返事が返ってきた。疑問形の。

ジグルドは咳払いして、仕切り直すようにアルマに向き直る。

「……食事が」

「食事?」

「合わないようだと聞いた。

王都ほど良い食材は手に入りにくい。望むなら乾物は取り寄せるが、肉や野菜は傷んでしまう。我慢して食べてくれないか」

ああ、食事。

そういえば殆ど残してしまっている。

「わたし、お肉が苦手なんです。いつも出てくるお豆のスープを多めに頂ければ嬉しいです」

「肉が苦手……?」

「はい」

毎日苦手な肉料理が出てくるので、豆のスープと添え物の葉物だけ食べている。ここ二、三日はイゾルデが用意してくれたであろうデザートとマークの持ってくるクッキーが主食だった。因みに饅頭は完食したら、次の日も出てきた。謎である。

アルマの答えに、ジグルドは目をしばたく。

作り物のようだった顔が、人間に見えた。

「肉が苦手、というと………その、肉、が、苦手ということか?」

「その通りです」

「つまり、肉が苦手」

残虐の魔王が壊れた蓄音機みたいになってしまった。切れ長の目が二割増し大きく見開かれている。

くっそ、イケメンはアホっぽくても可愛い。ずるい。

「………肉は、馳走なのに」

そうなのか。まあ、不作の続く土地ではそうか。

山盛りの肉料理、もしかして歓迎用だったかしら。

「ご馳走を出していただいてたんですね。ありがとうございます」

「………ほんとに?」

「はい。残してしまって、すみません」

ジグルドの視線が、未知の生物を見るそれである。

ジグルドは肉が好きなのかな。

「いや、そうか。あとで誰かやるので、食事について申し付けてくれ。

食事でなければ、何か不自由があったか」

「いえ、ありません」

「では、……なぜ、祈祷をしてくれない」

「え?」

「私の不在の間、一度も祈祷をしていないだろう」

「えっ? だってそれは」

貴方が外出許可をくれないから、と言いかけて、アルマははたと気付く。

―――そうか。

最後にウィンターハーン領に派遣された祈祷師はソフィア・デ・トゥール。稀代の祈祷師と呼ばれた教皇の秘蔵っ子。

あのレベルを期待されていたのか。

きっついなぁ。

「わたしは、祈祷は、適切な場所に足を運ばないとできません」

「そうならそうと」

言いかけて、ジグルドも何かに気付いたように口を噤む。

「……いや、話す場を設けなかったこちらの落ち度だ。以前いた祈祷師は、毎日あなたの部屋で祈祷していたと聞いているので、そういうものかと」

「ああ……確かに、あの部屋は窓から領都が見渡せますしね。あの距離で届く祈祷師は、多分今の中央神殿にはいません」

ジグルドが僅かに目を見開く。

「稀代の祈祷師だったとは、聞いていたが―――」

「参考のため聞いてもいいですか。

部屋で祈祷してるとかしてないとか、どうして分かるんですか」

「扉に札がかからないと、報告を受けている」

「ふだ?」

「祈祷の最中には『お仕事中』の札が扉にかけられるので、邪魔をしないよう周知してあった」

ああ、なんか、そんなの置いてあったな。

「ソフィア様が使っていた?」

「そう聞いている。私は幼かったので覚えていない」

「ソフィア様は―――」

伝説の祈祷師の現役時代に興味を惹かれ、日常を問おうとして、アルマは口を噤む。

ソフィア・デ・トゥールは幼少の頃からずば抜けた才覚を示し、中央神殿の広告塔も兼ねて例外的に若い頃から派遣祈祷師として活躍していた。ソフィアひとりの存在が、アルデンティアの安泰と言われたほどだ。

その大天才が大盤振る舞いで一年近くウィンターハーンに派遣され、ジグルドの父との愛憎劇の末に自殺を図り、王都に連れ戻された時には心を病んでいた。

アルマにとっては伝説の人。

中央神殿にとっては失くした秘宝。

ジグルドにとっては、父親の浮気相手だ。

(やばいやばい。恋愛の拗れの当てつけ自殺に繋がる日常なんか、修羅場に決まってるじゃないか)

しかもそれが当時の教皇の怒りを買い、翌年から中央神殿はウィンターハーンに祈祷師を派遣しなくなった。その結果が今日のウィンターハーンの荒廃だ。

そう考えてみると、ジグルドのアルマに対する対応は極めて冷静と言える。アルマとラウルの同衾騒ぎの話も淡々と話していたし、怨恨とか、厭悪とか、そういう感情はないのだろうか。

……ブリキだから?