軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

1030 トリスメギストスの理由

なんでここにトリスメギストスがいる?

ともかく、逃げないとマズい!

俺は咄嗟に短距離転移を発動して、距離を取ろうとしたのだが――。

「そう急くな。待て」

『なっ!』

転移した直後、トリスメギストスが目の前にいた。俺の転移先を瞬時に察知して、同時に動いたらしい。

これはマズいとさらに空間跳躍しようとしたが、トリスメギストスの眼がこちらを向いた瞬間、転移のために練り上げた魔力が雲散霧消した。今度は打ち消された? あの眼の力か?

いやその前に、なんでここにいる? トリスメギストスは、城の結界から外に出れないんじゃなかったのか?

一瞬で様々な思考が頭を埋め尽くすが、今はそんな場合じゃなかった。どうにか、イザリオを連れて、安全な場所に逃げなければならない。

転移がダメなら念動だ。

しかし、それもトリスメギストスの前には意味がなかった。何らかの方法で魔力に干渉され、魔術もスキルも上手く発動できない。

くそ! こんなことやってる間にも、イザリオの生命力が!

「我は『待て』と言っている」

『グッ!』

一瞬、体が動かなくなった。なんだ?

「『動くな』」

『!』

奴の言葉……。言霊的な能力か? 拘束力は一瞬だが、魔力を打ち消す能力と合わせれば、完全に無力化されてしまう瞬間があった。

奴らは俺のことを狙っている。これは、致命的過ぎる。

トリスメギストスから殺意は感じられないが、こいつは相手を攻撃するにしても、そんなものは発さないだろう。

「我に攻撃意思はない」

『?』

「イザリオには、今後も抗魔を滅し続けてもらわねばならん。剣よ『動くな』。嫉妬の原罪」

『は? な、何を……!』

トリスメギストスからイザリオに向かって、黒い手のようなものが無数に伸ばされる。嫉妬の原罪で間違いない。

俺は躱すこともできず、イザリオの中に黒い手が沈んでいくのを見ていることしかできなかった。何をしようっていうんだ? 神剣開放スキルでも奪う気なのか?

だが、俺の前で、驚きの変化が起きる。なんと、イザリオの容体が急激に安定したのだ。顔色は戻り、傷なども塞がった。何より、生命力と魔力が安全域まで回復している。

どういうことだ?

「ごふっ。イザリオの肉体から、時を強制的に奪った……」

対するトリスメギストスは、魔力が大幅に減り、口からは血を吐いている。

『時を奪った、だと?』

「数時間ほどの、肉体の経験と変化を、全てだ。代わりに、魔力と生命力、経験値を与えたがな」

ここ数時間の肉体の時……? つまり、イザリオが数時間内に受けたダメージや、消耗を引き受けたっていうことか? だから、急に具合が悪そうになったのか!

下手したら代償もトリスメギストスに移っているかもしれない。

その代わり、トリスメギストスからイザリオに対し、生命力や魔力が与えられたってことなんだろう。

トリスメギストスが損をしていて等価交換とは思えないが、それで成立したってことは、スキルはこれを等価と判断したらしい。

「人の、時というのは、良くも悪くも替えが利かぬ貴重なもの。それは、得難い価値があるのだ。我の経験値が、大量に持っていかれるほどには、な」

痛みを感じないのか、その表情は相変わらず涼しいものだ。だが、ダメージ自体はあるらしい。声が震えている。

にしても、嫉妬の原罪にはこんな使い方もあったのか。相手のダメージを奪うことで、癒すってわけだ。

俺が唸っている内に、こちらに駆け寄ってくる気配があった。フランだ。

さきほどまで上手く動けなかったはずなのに、俺たちが危険と感じて力を振り絞ったのだろう。だが、数メートル後ろで、再び転んでしまった。そのまま、起き上がることができない。

『フラン! マキシマムヒール!』

(師匠……、これ?)

『新しく覚えた。あまり無茶をするな。体が限界なんだぞ?』

(でも……)

「娘と剣よ、案ずるな。もう、剣を破壊して奪うつもりはない」

おっと、そう言えばこいつらは念話を盗み聞けるんだった!

「フランと師匠よ。汝らは、自らの価値を示した」

『つまり、強いから抗魔殲滅に役立ちそうだってことか?』

「そうだ」

ムカつくほどに清清しい判断基準だ。自分の目的に有用だから癒し、許す。これで俺たちがもっと弱ければ、ここで俺は壊され、力を奪われていただろう。

そう問えば、トリスメギストスは悪びれもせずに頷くはずだ。

もう俺たちを狙わないことは分かった。だが、まだ分からないこともある。

『結局、お前は何がしたかったんだ?』

「良き問いだ。我が目的は、あの巨大な抗魔を生み出し、倒すこと」

『は?』

「それによって、深淵喰らいは大きく力を減じた。我に与えられし使命の達成に、大きく近づいたことであろう」

マジかよ。確かに、強い抗魔を生み出すには、深淵喰らいもそれなりに無理をして力を注がなきゃいけないはずだ。そして、その特別製の抗魔があっさりと倒されたら、無駄に力を消費したことになる。

「鍵となる廃棄神剣使いと、抗魔に抗うための戦力が整っている今こそが最大の好機であったが、上手くいったようだ」

『そのために、メルトリッテやゲオルグと手を組んでいた?』

「うむ。その方らの働き、誠に大儀であった」

トリスメギストスの顔には、なんの感情も浮かんではいない。喜びも、申し訳なさも、怒りも、何もない。

それを見て、理解できてしまった。この男は、神に与えられた使命を達成するために、機械的に動く人形だ。そのためには、他者を利用することも、自身が悪く思われることも、何とも思っていない。

言葉通り、深淵喰らいを弱らせるために行動し、それが達成できたから形通りに協力者を褒める。そう行動しただけだった。

多分、謀略関係はファンナベルタが担当し、トリスメギストスは言われるがままに行動しているだけなんじゃないか?

だが、それでも、俺は問わずにいられなかった。

『人が大勢、死んだぞ?』

「それもまた目的の一つである」

『人を殺すことが、目的だとっ……?』

敵に回してはいけないと理解しつつも、言葉に怒りが乗ってしまうのが自分でも分かる。

「幾度か退去するように命じたが居座ったままであったので、必要だったのだ」

事も無げに頷くトリスメギストス。狂気も悪意も感じられないからこそ、とんでもない化け物であると理解させられる。

イザリオが怪物だと言った意味が、分かった。